兵どもが夢 2
ポップスが音が聞こえるようになるまで近づいて行った時、先ほどまで何やら話をしている少女は口を閉じていた。
彼女が拳を握り、一度下を向いてからキッと鋭い目付きで前を向く。その視線の先にいたスポルの奴が小さく悲鳴をあげた。あいつは後で折檻だなと心の中に留めておき少女ウィリスの方に視線を戻す。
彼女はバルパの奴隷である。一体何を論じるつもりなのだろうかという不思議な気持ちを抱くポップス。少なくとも彼の知る奴隷階級の人間は、周囲の人間を相手にして一席論じようなどという人種ではないはずである。奴隷というものは基本的に、自己を否定させ他者を肯定することを徹底的に教え込まされる。
お前は間違っている、お前のやっていることは全て不正解である。こうやって奴隷の人格を否定し、その自我を歪めていく。そうやって自分を卑下させ、主を自分より上の存在だと思い込ませるのが奴隷商人の調教術であるという話だ。
ポップス自身この森を抜け出して外へ出た回数はさほど多くはないため、生の奴隷というものを見るのは初めてだった。
彼は人を人とも思わぬ奴隷制度などという悪しき慣習を憎み、海よりも深い溝の先にいる人間達の欲望により、自分達の一族が晒されるのではないかという疑念をどこかで抱えていた。自分達もまた、奴隷に落とされ自分という存在として生きていくことすら不可能になってしまうのではないかと。
だが彼が初めて見た奴隷の少女達の様子は、聞いていたものとはほど遠い。彼女達はイキイキとしながら笑い、歌い、人生を謳歌しているように思えた。今までの主がどうだったのかは知らないが、少なくともバルパは彼女達に非道を働いているわけではないらしい。彼の人となりを考えればわかることだが、それでも普通の人間として扱われている奴隷の少女たちを見ると、やはりバルパは人間としてはまともな方だろうと再確認出来た。
彼女達の姿を見て奴隷にも色々あるということを知ったポップスではあるが、それでも奴隷になることが幸せで、彼女達の人生が薔薇色に染まっていたなおと考えるほどお花畑な思考回路はしていない。常日頃から死や痛み、争いの中に身を置いている彼は、表面と内面が食い違うような人間を数多く見てきた。見た限りでは幸せに見えていても実際はとてつもない心の傷を抱えていた例。心の底から浮かべているとしか思えない笑みの下で、ドロドロに煮詰まったヘドロのような復讐心を持っていた例等、そういった話には枚挙に暇がない。
彼女達は幸せそうに見えても深い闇を抱えているかもしれないし、恐らく過去には他人に語りたくないような出来事もあったのだろう。
社会の暗黒面、人間の罪深さをその一身に背負う身となった彼女は一体自分達に何を話そうとしているのだろう。
ポップスはじっと彼女を見つめ、呆けたようになっている男達の頭をグーで殴り付けながら彼女の目の前へと歩いていった。
奴隷に会ったのは初めてで、純粋に興味があるというのもある。美人が一席を弁じようとしているのだから下手な横やりが入らないようにしてあげたいという下心じみた気持ちもある。だが彼女に近づいた理由の中で一番大きな割合を占めていたのは、その腫れている瞳の中に映る輝きだった。
ひたむきに何かをやろうとする若者の瞳を中年世代はいつだって嫉妬たっぷりに、しかしどこか憧憬の眼差しで見つめるものなのだ。
ウィリスが小さな口を開く、口紅が引かれているわけでもないのにそのピンク色の唇は艶かしく濡れていた。
「あんた達は、何とも思わないの?」
その問いかけには肝心の目的語が欠けていた。しかし彼女がなんのことを言っているのかは、恐らく男達全員が理解できた。女達は察しの良い奴らは気づいていると言った感じだったが、困惑が強そうに見える。
なんとも思わないのかというのは恐らく、幾つかの意味がある。
だが言ってしまえばそれは、バルパについてなんとも思わないのかという一言に集約できる。
バルパに意中の女をかっさらわれようとしている現状に対してなんとも思わないのか。彼に食料を恵まれるだけ恵まれて何も返せない自分をなんとも思わないのか。本当にこのままの状態が半月続いても、本当にお前達はなんとも思わないのか。彼女の瞳はそう訴えているかのようだった。
「良い? このままじゃあんた達、ずっと惨めなままよ。恩の一つも返せず、面子や女の好意なんていう下らないものを気にしているせいで素直に礼も言えないよう男を、誰かが好きになってくれると思う?」
彼女の言葉は辛辣で、図星を突かれた男達の中には胸の奥に棘がささったかのように顔をしかめるものもいた。
だがポップスは自分達を貶しているはずの彼女もまた、何かしこりでも感じているかのように妙な顔をしているのがわかった。
まるで他人への言葉で自分を傷つけているかのようなちぐはぐな印象の彼女の姿を視界の中心に捉えながら、彼女の言葉に耳を傾ける。
「今の惨めなあんたらが出来ることなんてたった一つだけ。それは、あいつを見返してやることよ」
あいつが誰なのか、それを聞くものはいない。
血気盛んな者達のうちの数人は今にも鬨の声を上げそうになっており、昨日彼の実力を感じとった者達はそんなことが出来るわけがないと小さく体を縮こまらせる。
誰もが口々に口を開こうとするの見ると、ウィリスは大きく息を吸う。
「うるさい黙れっ‼」
機先を制されたことで黙る男達の方を見る彼女は、しかし自分達のことを見てはいない。ポップスにはそれがわかった。彼女が見ているのは自分達の後ろにいる何か、そして彼女の後ろにいる何かだ。その何かが一体なんなのかは、わざわざ言うべくもない。
「見返してやるのよ、何がなんでもっ‼ 素直になる必要なんてないっ‼ おもねる必要なんてないっ‼ あんたらにも誇りがあるんなら、後は背中で語りなさいっ‼」
彼女は自分達に話をするという体裁で、自分の行き場のない感情をぶちまけている。そう気付いたものは、果たしてどれだけいるだろう。ポップスは目に涙すら溜めながらまともな指向性も無く心情を吐露し続けているウィリスの姿を見て、羨ましいと思った。
若いなぁ、そう感じながら一歩引いてしまう自分が惨めな気がした。
昔は思っていた。自分が世界を変えられると、世界には自分が必要なんだと。だが違った、自分なんぞいなくても世界は回るし、自分の分の穴はすぐに他の誰かが埋めてしまう。
自分が傲慢さを、世界を相手に大言壮語を吐けるほどに若く、無分別で、そして青く眩しい感性を持っていたのは一体いつまでだっただろう。
「良い、下らないプライドは私達がへし折ってあげる。だからあんた達はもっと大きなプライドを持ちなさい‼ 決して折れず、曲がらず強くなるのよっ‼ そうすれば引く手数多、お嫁さんだって選り取りみどりよっ‼」
彼女の言葉に込められている熱量に触発されてか、血気盛んな若い衆が雄叫びのような声をあげた。それにつられて、少し年老いた奴等も声をあげた。
「私たちがあんたらを強くしてあげるっ‼ あんたらはさっさと強くなって、力づくで願いを叶えるのよっ‼」
気が付けばポップスも、周囲につられながら声を出していた。
彼女の発言はめちゃくちゃで、イマイチ意味をなしていなくて、そしてだからこそ心に響く何かがある。
自分の中にもまだ若さが残っているのだとわかったポップスは、久しく感じていなかった冒険心が疼く音を確かに聞いた。
男ってわけがわからないと首を振る女達の中にも、以前とは違う何かが灯っている。
本気の思いというものは人に訴求する何かがあるということは、彼らの様子を見れば一目瞭然だった。
自分も、ちょっとばかり無茶をしてみようか。
昔のように英雄になるだとか、世界を救うだなんて大袈裟なことは言わないけれど。夕食のメニューを一品増やし、笑顔の質を少しばかり向上させ、生活をほんの少し改善することくらいなら、出来るのではないだろうか。
若さにあてられるというのはこういうことかと苦笑しながらも、ポップスもまた、自分の中の何かが変わるのがわかった。
こうして彼らはミーナ達主導の元、ひたすら戦闘に明け暮れることと相成ったのである。




