未知との遭遇
馬車を肩から降ろし、ミーナ達には待機を命じながら一人で先へ進んでいくバルパ。魔物の領域というものがどういう場所なのか、その危険性はどの程度なのか。そういった部分を知っているのといないのとではいずれ差が出てくるに違いない。そう考えついてこようとうする者達をなだめ、ようやく一人で偵察を行うまでに至ったのである。
彼は極力気取られないように周囲に闇の魔撃を展開させながら、数多くの反応のある集落とおぼしき場所をぐるりと歩いていく。
ここは海よりも深い溝の層で表すのなら、第二百五十三層にあたる部分である。常に頭上のドラゴンを警戒しなければいけないエリアは大体第百層までで終わったのだが、魔物の領域に突入だと意気込んでからの方が探索に時間がかかったというのにはバルパとしても苦笑を禁じ得ない。第八十層あたりまでが密林、八十から百二十までが木の点在する荒野、そしてそこから先は再び森林という様子は駆けながら確認していけば理解できた。
第百層とその周辺で魔物の強さはピークに達し、百二十層を越えると魔物の強さは徐々に弱くなっていった。第二百五十層の魔物の強さは、リンプフェルト周辺の森のそれと大差はない。両者を隔てる層の厚さと、際限なく湧いてくるドラゴン軍団のせいで攻略は遅滞を続けているそうだが、バルパとしてはその均衡は非常に危ういものに感じられた。
ドラゴンが死ねば危険性は大きく減じる、つまり言い換えればドラゴン達さえなんとかしてしまえば先へ進むことは一気に容易になるということだ。
彼らがいなくとも敵にある程度の強さはあるとはいえ、やはり他の魔物達はドラゴンと比べれば一歩も二歩も劣る。
ヴァンスにドラゴンの駆逐を依頼したのには、攻略を進めるためのしっかりとした理由があったのだろう。だとすればわりかし亜人にも平等に接するヴァンスが自分の武力を出し渋っていたのもわかる話だ。
ドラゴンさえ滅してしまえば、騎士団なり冒険者の群れなりが頑張れば数の暴力で押してしまえる。竜というイレギュラーさえなければ、海よりも深い溝とはさほど危険の高い場所ではないのである。だだっ広く常に魔物の脅威にさらされるために神経を磨り減らすだろうし、魔力感知のない状態では木々の上、地面の下、空の上というありとあらゆる場所から奇襲を受けるわけだから間違いなく数は減っていくだろうが……騎士団員が千人もいれば辿り着ける者も出てくるのではないだろうか。運の要素も多分に絡むだろうが、現にピリリ達を捕らえた奴隷商人という実例がある以上不可能ではないのである。
人間がいる可能性も考える必要があるかもしれない。バルパは用心を重ねるために魔撃を張り直し、全身に鎧を纏ってから魔力感知で集団になっている魔物の反応目掛けてゆっくりと歩き出した。
反応から居場所はまるわかりであるため、その人影を見つけること自体はそれほど困難ではなかった。バルパは数分も歩いていると、目的の集団を見つけた。
強化された視力で確認をすると、どうやら彼らは亜人であるらしかった。額には小さな青い角が生えており、彼らの瞳は一人残らず同じ色をしている。右目が赤、そして左目が青。眉毛は剃っており、顔立ちは人間とさほど変わらない。ここらで獲れる魔物の素材から出来ていると思われる茶色い毛皮を加工した、上下一体のワンピースのようなものを着ている。
数は十五ほど、ピリリのような特殊な反応を示すこともないためとりあえず彼女と関係はなさそうだ。彼らの魔力量は並以上異常未満という量だが、魔物の領域の生き物はそれぞれが特殊な戦闘方法を取ることで有名らしいので油断はしない。
音を立てぬよう気を払いながら木々の間隙に身を潜め、魔力で聴覚を強化しながら彼らと接触するべきかを考えることにした。彼らの言葉がしっかりと理解できる言語になって耳に届くことのありがたさを感じ、バルパはそっと翻訳の首飾りを撫でた。
「あー、どうだ。人間の姿はあったか?」
「バカ言え、あったらとっくに報告に向かってるっつうの」
「それもそうだな、とりあえず今日も襲撃はなし……か」
「何時来るかわからないっつうのはやっぱりゴリゴリメンタル削るよなぁ」
「どうなるんかねぇ、俺達」
「なるようにしかならないさ、俺らじゃまともな庇護も受けられん。なんたって悪名轟くセリゲラ族だからな」
「ちげえねぇ、ちみちみ交易やるくらいが性に合ってらぁな」
どうやら彼らはセリゲラ族という種族に分類されるらしい。話を聞いている限り天使族と関わりを持っているようにも思えない。
そして彼らもまた、ピリリのいた虫使いの一族と同様に魔物の領域からも爪弾きにされている存在らしい。人間が迫っているのだから魔物も人間も手を組んで対処すべきだと思うのだが、やはりそう簡単にはいかないようだ。
どうやら彼らは一族の中でも戦士の者達であるようで、今は平時から行っている巡回の最中らしい。話をしていたのは丁度引き継ぎの時間だったからと思われる。普段はもう少し人数が少なめなようだ。
既に魔物の領域に入ったと勘違いしていたが、どうやらここは彼らのように何かしらの理由があって辺境に留まらざるを得ない者達の住む場所らしい。ということはここを上下に探していけば、ピリリ達の部族とも合流できるはずだ。
その後もしばらくは耳をそばだてて彼らの話を聞いていたのだが、以後の話題は世間話や噂話ばかりで大して役に立ちそうにはなかった。ウィリス達の故郷のヒントでも転がってはいないかと彼らが交替を終え別れるまでずっと身を潜めていたのだが、どうやらそう上手くはいかないようだった。
強いて言うならどうやら最近不審な影が少し増えているということくらいで、その存在自体がなんなのかもよくわかっていない流言飛語の類が少し気にはなったが、すぐに忘れてしまう程度の重要性しか感じられない。
ならばとりあえずは魔力感知の範囲を伸ばし、意思疏通の出来る存在を避けながら上へ上へと向かっていくしかないだろう。横の長さはかなりあるが、縦の長さに関して言えばまだまだ未知数な部分も多い。
思っていたよりも捜索は難航するかもしれないな……と考え、いやと首を振る。自分の機動力を更に上げればなんとかなるだろう。そんな力業な解決策しか思い付けない自分の脳みその残念具合にガックリと肩を落とすバルパ。
だが得られた情報自体は有用と言って差し支えないものだ。あまり奥の方にまで進まない限りは基本小集団が点在している程度だというここら一体の情報には、自分を安堵させるに十分に足る力がある。
バルパはミーナあたりが問題を起こしていないことを祈りながら、彼女達の待っている馬車へと戻っていった。




