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〈第一章〉~美少女(スティーラー)と生活を共にするということ~

 〈第一章〉~美少女(スティーラー)と生活を共にするということ~


「どこか落ち着けるところで話がしたいんだけど」

 あくまでも冷静な声で、次萩まりやはそう言った。

 上着を貸してしまった以上放っておく事も出来ないし、相手が逃げようとしたら何をするか分からないといった顔をしているので、矢神は仕方なく半ば無理矢理な形でまりやの要求を飲み込むことにした。

「どこか適当なとこに座っててくれ」

 落ち着けるところで話が出来る場所。というのは矢神の中では自宅しか思い浮かばなかった。というより選べなかった。

 話が出来る環境がある店に深夜を過ぎている時間帯で学生が容易に入れるとは思えないし、料金的な意味でも難しい。

 ただ何よりも難しいのは、矢神の真後ろで距離を離さず歩いている次萩まりやが上着一枚しか着ていないという理由による。

 こんな状況で、迂闊に街を歩くことなんてできない。

 なので、やむを得なく自宅を選んだのだ。

『さて、これからどうしようかな』

 お茶を用意しながらチラリと、まりやの様子を見る。矢神が渡した上下青色のジャージに身を包みながら何かをするわけでもなくただジッと佇んでいる。

 その得体の知れなさに、矢神は若干恐れながらも、お茶を出した。

「えっと、色々聞きたいことがあるんだが」

 余裕だという気持ちを多分に含ませながら、矢神は椅子に座る。

 真正面から改めて見る次萩まりやは、誰がどう見ても美少女だと形容するほどに美少女だった。

 目はパッチリとした三重で、鼻筋もしっかり通っていてはっきりした顔立ちだ。そして細い。首も腰も腕も指も全て細い。少し掴んだら折れてしまいそうなほどの細さだ。アニメなどでよく出てくる正統派の物静かな美少女といった感じだ。

 友人である守川朱里もまた美少女と言われるが、あれとはまた別系統の美しさだ。

「矢神君は、吸血鬼と人狼を信じる?」

 あまりの美少女っぷりに惚れ惚れしていると、まりやが唐突に話を切り出した。

「きゅ、吸血鬼? 人狼? 何言ってんだ?」

 突然出してきた謎の単語に矢神は眉間に皺を寄せる。

「知らない? 人の血を吸って生きる生物。ドラキュラとかヴァンパイアとか。あ、因みに人狼は人から狼に、狼から人になる生き物の事ね」

「ちょっと! ちょっと待ってくれ!」

 いきなり流暢に喋り始めたまりやに対し、矢神は掌を突き出してストップを掛ける。

「君はさっきから何言ってんだ? 吸血鬼だの人狼だの、確かに知ってるけど、そんなの想像上の生物だろ? 何でそんな話をするんだよ」

「それは……必要だからだよ」

 さっき以上に真剣なトーンで、まりやは矢神の言葉を返す。

「これからする話は、貴方にとっても私にとっても大切な話なの。少し前の貴方なら、関係ないどうでもいい話だったのだけれど、もうそれは過去形になってしまった。『だった』という言葉がついた以上、いや、私がつけてしまった以上無視する事なんて出来ないの。だからこれは重要な話。生死に関わる重要な話なんだよ」

 すらすらと捲し立ててくるまりやの剣幕に矢神は押され、生唾を飲み込んだ。

「分かったよ。そこまで言うなら、話してくれ。そうじゃないと不安でしょうがない」

 矢神のお願いに、まりやは力強く頷いた。

「まず言っておかなければいけないのは、貴方がさっき言っていた想像上の生物である吸血鬼と人狼は実際に存在する。ただ『吸血鬼』じゃなくて『吸血鬼(マント)』で、『人狼』じゃなくて『人狼(グレイ)』という名で私達の世界にいるの」

 矢神は身動き一つせずまりやの話を聞く。ツッコミたいところはあるが、ここは我慢だ。胡散臭くてしょうがないが、ここは我慢だ。

「彼らは随分昔からいたらしくて、人前に姿を見せるようになったのはイギリスでヴィクトリア女王が即位した時代らしいの。そこで彼らは人間達と協定を結んだ。それ以来彼らは異種族と呼ばれ、裏社会のさらに裏で暗躍している。ここまで、話分かった?」

 矢神に訊ねると、まりやは出してもらったお茶を一気に飲み干し、喉を潤わせた。

「分かったも何も、そんな話信じる奴の方がおかしいと思うんだが。何か話に信憑性を持たせる証拠はないのか?」

 ようやく矢神の番になり、率直な感想を吐きだす。

「うーん、そうだとしたら本物の吸血鬼や人狼に会うしかないんだよね。まぁそれは無理なんだろうけど」

「じゃあ信じられるわけがないだろう」

 まりやの投げやりな物言いに矢神は少しだけムッとして、語気を強める。

「でも信じてもらうしかないんだよね。だって今からする話は、異種族の存在を前提とした話だからさ」

 まりやはふぅ、と軽い溜め息を吐き、表情を曇らせた。ここで初めて、まりやの表情が変化したのだ。

「前提とした話? っていうのはどういう意味だ?」

「説明させてもらうとね、異種族は基本的なスペックが凄い高かったんだよ。筋力や運動能力は勿論、吸血鬼に至っては知能も人間を越えていた」

 どうやらまりやは少し遠回りで話を進める癖があるらしい。出来れば早く終われなんて思いながら、矢神はまりやの話に耳を傾ける。

「いくら個体数が少ないとはいえ、人間よりも優れた生物がいるというのは、あまりにも危険だと判断した人間側は異種族に対抗するために、ある兵器を作り出した」

 兵器、というなじみのない言葉に矢神は過敏に反応し、まりやを見つめる。

「異種族を凌駕する運動神経と、再生能力を持った異種族を殺しきる力を持ち、さらに異種族と同じ再生能力を持っている生物兵器が造られてしまった。矢神君、これなら貴方も知っているはずだよ」

 言われて、矢神がようやく思い出したのは、公園の築山の中で弱っていた化物だった。

 確かにあんな生物、今まで生きてきて見たことがない。

 巨大な人型の爬虫類。ファンタジーのゲームで見たことあるリザードマンのような見た目をしていて、弱々しく目を輝かせていた。

「僕が、見たもの?」

 ガラガラと、矢神の価値観が崩れていく。

「そう、貴方が見た物は対異種族用に開発された生物兵器『皮剥人(スティーラー)』だったの」



皮剥人(スティーラー)?」

 聞き慣れないどころか初めて聞く単語に矢神は眉を顰める。

「信じられないと思うけど、あれは実際に存在する生物兵器なの。誰も殺す事の出来ない、凶悪で醜悪な兵器」

 皮剥人について語るまりやの表情はどこか沈んでいて、同時に何かを諦めているようだった。

 だが、今の矢神にとって大事な事は、まりやの表情ではなく、まりやがここにいる理由だ。

「そっちが言いたい事は分かったよ。だけど、だとしたらだ、とうとう君は一体何者なんだ? この世界には吸血鬼(マント)人狼(グレイ)と呼ばれる異種族がいる。オーケイ、分かった。そしてその異種族を殺すために皮剥人と呼ばれる生物兵器が生み出された。これもオーケイだ。じゃあ君は? 次萩まりやは、どうしてここにいるんだ?」

 矢神の疑問に対して、まりやはあからさまに嫌な顔をした。答えたくないと、態度で表した。

「……矢神君は、あの化物に何をしたの?」

 質問を的外れな質問で返され、矢神は少しムッとしかけるが、彼女の事だから、また遠回りな話になるのだろうと、思い込み、答えを返す事にする。

「何って特に何も……いや、そういえばあげたんだっけな」

「あげた? 何を?」

「食料だよ。あの時あいつはなんか弱ってるように見えたからな。そしたら僕の指ごと喰らい付きやがった」

 その時の光景を思い出しながら、矢神は噛まれた右手の甲を見る。しかし、もうそこには傷口どころか傷痕すら残っていない。

「皮剥人が矢神君の手を噛んだ時、血は出たの?」

「ああ、出たよ。思いっきり噛みやがったあいつ」

「その時あいつの唾液も出てなかった?」

「唾液? いや、どうだろう。そこまでは」

 曖昧な矢神の答えを聞いて、まりやは大きく溜め息を吐いた。

 まりやにとっては予想できていたとはいえ、矢神の答えは決定的過ぎたのだから。

「これはさっきの話の続きなんだけど」

 まりやはそう言って、自分の手の甲と矢神の手の甲を見比べる。

「異種族に対抗するために造り出した皮剥人は、結果的には成功したの。ただ、一つだけ欠陥があった」

「欠陥? 命令を聞かないとかか?」

 生物兵器が反旗を翻すというフィクションにおいて定番のネタを、矢神は半ば冗談で言い放つ。

「半分は正解かもね。本当の欠陥は、強くなりすぎてしまったの」

 一言では完璧に理解できなかったのか、矢神は首を捻り、考え込む。

「異種族を殺すために造られた皮剥人は強くなりすぎてしまった。だからもし、皮剥人が敵である異種族の手に渡ったり、制御不能に陥ったりしてしまった場合、万が一の事態を想定した場合、人間なんかじゃどうする事も出来ないの。ねぇ矢神君。私が初めて貴方に言った言葉、覚えてる?」

 矢神は薄暗い築山で交わした言葉を思い出す。あの時は、ただただ少女の美しさに見とれていただけだった。

「……服貸してくれってやつか?」

「そっちじゃなくて、その後。私は貴方のことをなんて呼んだ?」

 矢神は再び考え込む。なんだかどうにも不可解な名称で呼ばれていた気がする。

「えっと、なんだっけ、『しんくろん』とか言ってなかった?」

「なんかひらがなで発音してるみたいだね。『同調者(どうちょうしゃ)』と書いて同調者(シンクロン)だよ」

 三秒ほど経過したところで、矢神は自分が何を言われたのかようやく理解した。

「……つまり、君の言うことを信じるなら僕は『同調者(シンクロン)』なのか?」

「『なのか』? というよりも『なった』だね。皮剥人が貴方の手に噛みついて、唾液と血が混ざり合った時貴方は同調者になった」

 なら、あの時同情心を見せなければ、少しの優しさを出さなければ、聞こえた声と同じだと、気にならなければ、こんなことにはならなかった。自分の軽率さと、無意味な好奇心を矢神は叱責したくなってしまう。

「えっと、つまり、僕は君が言う『同調者』になったわけなんだが、その同調者って言うのは何なんだ? どうしてそうなったんだ?」

 当然出てくる疑問に、まりやが無表情で頷く。

「強くなりすぎた皮剥人を制御するために、ある特別な人間が開発されたの。それが同調者(シンクロン)。そして同調者になる方法は人間が皮剥人の体液を体内に取り込むこと。同時に皮剥人がその人間の血液を体内に取り込むこと。覚えがあるでしょ?」

 真っ暗な築山の中で、矢神は皮剥人に噛みつかれ、手に穴が開いた。おそらくその時口内の体液が傷口に入り、同調者となってしまったのだろう。

「僕が、同調者になったらどうなるんだ?」

「本題に戻すと、制御不能に陥った皮剥人を制御するためには力が必要だった。そのために同調者が造られたの」

 矢神の呟きを無視してまりやはすらすらと語っていく。

「同調者が近くにいることで皮剥人は人の姿を保つことが出来る。だから私は、今もこうやって人の姿でいられるの。個人差によるらしいけど、私と矢神君はおよそ三メートルより離れると、駄目みたいだね」

 まりやの言っていることを理解するのに数秒の時間を要した。今日はどうしてこんなにも驚くことばかり起こってしまうのだろうか。なんて思いながら矢神は片手で頭をおさえる。

「えっと、今までの君の発言から考えるに、僕は皮剥人を制御する同調者で、君はもしかして、異種族を殺すためだけに造られた『皮剥人』なのか?」

 矢神としては本当は信じたくなかったが、この状況と先ほどの発言だ。嫌でも想像できてしまう。なによりまりやは、先程からずっと矢神から離れようとしない。まっすぐで生気が失せた瞳をずっと矢神に向けているだけだ。

「そう。私は異種族の抑止力として造られた皮剥人(スティーラー)という、生物兵器なの」



「無理だな。君の話には信憑性がない。なにより僕が納得できるほどの証拠がない。そんなのただの空想だ」

 矢神はまりやの話を真っ向から否定した。ような体を見せた。

 本当は――もうほとんど信じ切っていた。

 公園で見た皮剥人の姿はあまりにも現実味がなくて、ゲームやマンガのキャラクターのようだったけど、そのキャラクターが噛み付いた瞬間、一気に現実味が湧いてきた。

 間違いなくこれは生物なのだということを理解させられたのだ。

 それでも矢神は最後の最後まで、目の前で佇んでいる美少女が決定的な証拠を見せてくれるまで認めなかった。認めたくなかった。

「分かった貴方がそこまで言うなら、実際にやってみましょう」

 矢神のせめてもの抵抗を素直に受け入れ、まりやが立ち上がる。

「実際にって何をするつもりなんだ?」

「決まってるでしょう。実際に私が皮剥人だということを今から証明するの」

 そう言ってまりやはジリジリと矢神から距離を取っていく。

「……? どうやって証明するんだ?」

「私の体が完全に皮剥人になったら、私の体を触って。人の体に戻るまで触っていてそうね、時間で言うと三秒くらいかな」

 まりやがもう一歩矢神から離れる――瞬間、空気が一変した。

 端正な顔は苦痛で歪み、自らの体を抱き締めて膝を曲げる。

「おい、どうしたんだよ。まさか本当に」

 激しく震える体は段々と変化していき、手足は太くなり、体中の至る所に鋭利な棘が生えてくる。小さな顔は大きくなり強靭な牙が露出する。

 先程までまりやだった生物は、紫色に輝く妖しい瞳で矢神を見つめた。

 その姿は公園の築山の中で見た化け物と同じだった。

「触れば……触ればいいんだろ」

 噴き出る汗を拭い、恐怖を押し殺して皮剥人へと近づく。

 ゆっくりとにじり寄り、筋肉が隆起した両肩を掴み、ジッと皮剥人の顔を見つめる。

 三秒――体感的には三十秒ほどの時間が経過したところで、皮剥人はようやく変化し、まりやの体に戻った。

「これで分かった? 私は皮剥人(スティーラー)で、貴方は同調者(シンクロン)なの。そして私達はお互い半径三メートルよりも離れてしまうと、今みたいに、人の姿を保てなくなってしまう」

 変身というのはあまり綺麗なものではなくて、謎の粒子に包まれていつの間にか変身なんてものではなくて、肉が隆起し、骨組みが入れ替わり、そして痛みによる叫びと体が入れ替わる奇怪な音が鳴り響くのだ。

 さっきまで着ていたジャージもボロボロだ。

 戻るときも同様で、変身を終えたまりやは矢神の腕に掴まりながらフラフラと立ち上がり、顔を上げる。

 近くでよく見ると、まりやの黒い瞳には薄い紫色が混じっていた。

「確かに分かったけどさ。理解せざるを得ないけど、だとしたら、これからどうやって生活していくんだ? だって半径三メートルだろう? そんなの結構に無茶な問題だぞ」

「うん、それは分かってるよ。十分分かってる。分かりすぎなんじゃないかってぐらいに分かってる。つまり私はこれから矢神君と一緒に過ごすって事になるんだよね」

 分かっていたとはいえ、まりやの爆弾発言に矢神は黙る事しか出来なかった。


 ■■■


「矢神君のご両親にはそれなりの事情を説明するから安心して」

 時刻は深夜。あと二時間もすれば陽が出るであろう時間だった。

 まりやは矢神から布団を貰い、矢神が使っているベッドの真横に敷いて横になっている。

 一度に全部話すと混乱するから、また明日になったらさらに詳しく話す――ということを約束し、矢神とまりやはとりあえず床へつく事にしたのだ。

「ああ、僕の家に母親はいないんだ。だから説得するのは父親だけでいいよ」

 女子の、それもとびきり美少女と同じ部屋で寝るというシチュエーションに今更ながら緊張してしまい、矢神はまりやに背を向けて寝ている。

 もちろん、半径三メートルのルールは徹底し、なるべく離れないようにはしている。別の意味での緊張感だ。

「……そう、だったの。ごめんなさい」

 後ろからまりやの気まずそうな声が聴こえてくる。

 とはいえ、矢神の母親はそれほど劇的な死に方をしたわけではなく、ただ普通に治療が困難な病に罹り、安らかに逝っただけだった。

 元々体が弱かったので、いつかそうなってしまうのかもしれないと。矢神もぼんやりと考えてしまっていたのだ。

 だからこそ、葬式の時は悲しんだが、同時にどこかで気持ちが落ち着いていた。

「いいよ、気にしなくて。ていうかむしろそっちは大丈夫なのか? 親に言わなくてもいいのか?」

 矢神は言った後に考えてしまった。そもそもまりやの両親は自分の娘の正体を知っているのか?

「私の両親は少し前に私を置いて家を出たの。だから気にしないでいいよ」

「むしろそれはそれでかなり気になるんだが……」

 しかしまりやは一向に両親の事について語ろうとはしない。矢神も別に猛烈に気になるというわけでもないので、とりあえず追求はしないことにした。

「ねぇ矢神君」

 それぞれが黙り込み、少し気まずい空気が流れ出すと、まりやが、聞こえるか聞こえないかの小さな声で矢神の名前を呼んだ。

「私は貴方に謝らなければいけないの。ううん、謝って済む問題じゃない」

 チラリと横で寝ているまりやを見ると、ただでさえ小さい体を縮こませて、さらに小さくしていた。先程までの凛とした態度は陰もなく、ただ悲しみに心を震わせる、どこにでもいる少女の姿がそこにはあった。

「……僕を同調者にしたことについてか?」

「私の意志が弱かったせいで、皮剥人としての自分を制御できなかった。貴方は私のせいで、不自由な生活を送ってしまう事になる。本当に、ごめんなさい」

 まりやの言う事は尤もで、確かにこれから送る事になる生活はかなり窮屈なのかもしれない。常に誰かが傍にいて、プライバシーなんて言葉は最早意味を成さない。家族以上に近い存在になってしまうのかもしれない。

「気にすんなよ。今からそんなこと言ってたら何にも出来ないぞ」

 だが、それは矢神だけの問題ではない。まりやも同様に囚われの身となったのだ。それに関して文句を言うことなど出来るわけもない。

「元はと言えば安易に食いモンあげた僕が悪いからな。まぁかと言っていきなり噛み付いてきたお前もどうかと思うが。つまりさ、どっちも悪いんだよ。喧嘩両成敗ってことで」

 言葉のチョイスは少し間違っているかもしれないが、矢神の言葉の真意を汲み取ったまりやは、「……ありがとう」と、小さい声で礼を述べた。

 暖かい布団に包まれ、温かい言葉を貰い、まりやは、今まで我慢していた涙を流す。様々な感情が入り混じった涙をぽろぽろと流し、掛け布団を被って嗚咽を殺した。

 そんな泣き声を隣で聞いている矢神は、不安も悲哀も全て押し殺し、やりきれない思いを抱いて目を閉じた。


 ■■■


「おはよう、矢神君」

 朝起きたら美少女が横で正座をして待っていた。

 恋川矢神として普通に生活を送っていたら本来有り得ないであろう状況を理解するのに、一分ほどの時間を要した。

「ああ、おはよう次萩。僕が起きるのをわざわざ待ってたのか?」

 ちょこんと正座をしているまりやは完全にすっぴん状態で、さらに寝癖もついていた。

「うん、だって矢神君が起きないとどこにもいけないからね」

「うっ、それもそうだ」

 思わず墓穴を掘ってしまい、矢神は気まずそうにまりやから視線を逸らす。

「気にしないで、それよりも、頼みがあるんだけど」

「頼み? なんだよ改まって」

 まりやは頬を赤らめて、合わせた両手を口の前に持って恥ずかしそうにしている。

「その、教えてほしい場所があって」

「教えてほしい場所? どこだ?」

「それは……」

 急に言葉を濁し、今度はまりやが気まずそうに視線を逸らす。

「言ってくれないとさすがに分かんないんだが」

「うん……えっと、その、あそこ、なんだけど」

 まりやはさらに顔を赤くしてもじもじしている。

「あそこっていうのは、どこなんだ?」

「だから、あの……トイ、レなんだけど」

 矢神の追求に耐えられなかったのか、まりやはとうとうその名を口にしてしまった。羞恥心が極限まで高まり、凄い勢いで矢神に背を向ける。

「あーえっとその、察しが悪くて、申し訳ない」

 耳まで真っ赤になっているまりやを見て、矢神は「やっちまった」と心の中で呟く。

『女の子の言いたくない事に気づかないなんて男としてサイテー。気ぃ使え!』

 なんて、女友達である守川朱里の罵倒が脳内で反響する。

「悪かったよ、ごめん、すいませんでした。これからはもう少し、いや、もっと気を遣うようにするから。とりあえずさっさと行って済ませちゃおうぜ」

 ジト目で睨んでくる朱里を振り払い、矢神は部屋を出る。

 その後ろをゆっくりとまりやが歩く。

「ここが、トイレだから。自由に使ってくれ」

 我ながら変な言葉だと思いながら、矢神はトイレのドアを開け、まりやを誘導する。

「ありがとう、その、私がでるまで何も聴かないで、耳塞いでて。お願い」

 心底恥ずかしいといった表情でまりやはドアを閉め、鍵をかけた。

『なんか、昨日とは全然違うな』

 言われた通り耳を塞ぎながら、矢神はぼんやりと考える。

 昨夜はこんなにも女の部分を出していなかった。まぁ初対面で女を前面にグイグイ出してくるのもどうかと思ってしまうが、それにしても、矢神としてはどうにも腑に落ちない――というより、困惑してしまう。

 自分は男で、相手は女という、ごくごく当たり前のことを矢神は改めて思い知る。

 同時に、こんなことで共同生活が出来るのか。なんて不安が胸の中に広がっていった。



「このままじゃいけないと思うの。お互いに」

 まるで別れ話を切り出す恋人のように、まりやは唐突に口を開いた。

「よくないってことは漠然と分かるんだが、具体的にはどういけないんだ?」

 まりやと共に作った朝食を食べながら、矢神は首をかしげる。

「要するに、このままじゃ私達どちらかが死ぬまで一緒にいることになる。彼女どころか友達すら出来なくなるかもしれないんだよ」

 一方的に心配をしてくれるまりやを見て、矢神は逆にまりやのことが心配になってしまった。

 昨夜からそうだったが、この少女は自分を省みるという事はしないのだろう。

「だからといってどうするんだよ。お前は皮剥人(スティーラー)で、僕は同調者(シンクロン)だ。これは変えられないんだろ?」

「変えられるよ。昨日話さなかったことが、あるから」

 昨夜まりやは皮剥人や同調者、異種族について全てを話さなかった。「一度に全部言ってしまえば確実に混乱する」と言ったのはまりやだったが、同時にまりや自身も一気に話すことを良しとしなかったのだろう。

 話す方も話される方も、それなりの準備がいるのだから。

「私は皮剥人として生まれ、皮剥人として育てられた。もちろん、小学校にも、中学校にも通ったの」

「おい、どういうことだ」

 まりやの生い立ちに矢神はすかさず口を挟む。

「皮剥人は同調者がいないと人間の姿を保てないんだろう? じゃあどうやって学校とかに通ってたんだよ」

 まさかあの姿で学校に通っている、というよりあの姿で生活していることは無いだろうと思いたい。

「懐中時計……があったの」

 矢神は頭の中で鎖に繋げられた銀色の時計を思い描く。

「私が人間の姿を保つ為にはあの懐中時計が必要なの。あれは、特別な懐中時計だから」

 どこがどう特別なのかここで説明する気はないらしく、まりやはどこか遠い目をして黙っている。

「それで、その大切な懐中時計さえ手に入れば僕は同調者としての役割を果たさなくていいのか?」

「うん、だから私は懐中時計を取り戻して、平穏な生活を、お互いにとっての日常を取り戻したいの」

「ん? ちょっと待ってくれ」

 まりあの言葉に矢神は引っかかり、再び口を挟む。

「なぁ次萩、今お前「取り戻す」って言わなかったか?」

「うん、そう言ったよ」

 頭をおさえる矢神に対して、まりあは何の抑揚もないトーンで答える。

「私が人間の姿を保つ為の懐中時計は、木黒市にいる異種族に奪われたの」


 ■■■


『朝のニュースをお送りいたします。昨夜、C県木黒市の路上で男性の死体が発見されました。遺体の状態が悪く……』

 矢神がテレビをつけると、いつもの朝の情報番組が、二人にとって身近なニュースを報道していた。

 昨夜、朱里が矢神に話していた『木黒市連続殺人事件』についてのニュースだった。

 矢神が朱里と別れ、その後公園でまりやと出会ったまさにその時、殺人犯による犯行が行われていて、尊い二十代男性の命が散ってしまった。

 矢神が住んでいる場所で起きている事件だというのに、今現在矢神は全く緊張感を持っていない。

 それも仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 何せ今は、街の大きな問題よりも、目の前にある大きな問題を片付けなければいけないから。

「矢神君はこの事件の犯人誰だと思う?」

 番組のコーナーが変わり、最新流行についての特集が始まったところで、まりやは口を開いた。

「誰だと思うってそんなの分かるわけないだろ。どうせどっかの頭飛んでる奴だろ?」

 まりやの会話に適当に付き合いながら矢神はてきぱきと食器を片付ける。朝食を作ってくれたのは実は殆どまりやなのだから、せめて自分が後始末をしようと思い立ったわけだ。

「あれは異種族の仕業なの。犯行が異種族にしか出来ないやり方だったから」

 矢神の体は数秒ほど固まり、まりやを見つめる。

 強い意志が篭った、綺麗な瞳だった。

「この街で起きてる『木黒市連続殺人事件』と『木黒市連続失踪事件』の犯人は、この街に住んでいる異種族が犯人なの」

 昨夜の矢神だったら、まりやの話を一笑に付すことができた。

「それは――」

 だが、今は違う。

「それは、異種族だとしたら、どっちなんだ?」

 違う世界を知ってしまった矢神は目を逸らす事が出来ない。

 なによりも、自分のパートナーとなってしまったまりやが、わざわざ話を振ってきたということは、自分に何かしらの関係があるということなのだろう。

「まだ分からない。ただ、この前私はこの異種族(はんにん)に襲われた」

「……どうして、そいつはお前のことを襲ったんだ? いや、お前だけじゃない。もし犯人が異種族だったとして、どうして奴らは人間に襲いかかってるんだ?」

 巷で噂になっているこの二つの事件が、ただの通り魔的犯行だとは思えなかった。まりやから聞いた異種族の印象はそんな愚かなことをしない、もっと神秘的なイメージだ。

 だからこそ理解できない。

 異種族の誰かが起こしたとされる一連の事件は、最早冗談として通じないレベルの話となってしまった。遅かれ早かれ、犯人は捕まってしまうだろう。

 そうなることが分かっているのに事件は加速していく。

 矢神は憤りにも似た感情を呑み込み、ため息を吐いた。

「創作上の吸血鬼に噛まれた人間がどうなってしまうのか、矢神君は知ってる?」

「確か同じ吸血鬼になるんじゃないか? まさかこの世界の吸血鬼と人狼もその能力を持ってるってわけじゃないよな」

 まりやの遠回しな物言いに、若干馴れてきた矢神は、素直に疑問を口にする。

「そのまさかなんだよね。むしろよくあるあの設定は史実に忠実なんだよ。ただ一つ問題があって、人間が異種族になる現象――私達はこれを『変異』って呼んでるんだけど、この変異は吸血鬼にしろ、人狼にしろ、成功率が著しく低いんだよ」

 ここまで説明されて矢神はようやく答えが見えてきた。あまりに残酷で、不憫な答えが。

「成功した奴は異種族になるんだろ? じゃあ失敗した奴は? 変異を失敗した奴はいったいどうなっちまうんだよ」

 答えはもう頭の中で浮かび上がっているのに、矢神はそれを口に出したくなかった。言ってしまえば、知ってしまえば、本当に戻れなくなってしまう気がして、せめてまりやの口から真実を聞きたかった。

「変異に失敗した人間は拒否反応が出て死に至る。ここまで言えば矢神君も分かると思うけど、巷で噂になっている『木黒市連続殺人事件』と『木黒市連続失踪事件』の被害者は、変異における結果でしかないんだよ」

 まりやが選んだ結果という言葉はあまりにも端的でなにより的確だった。

「変異に失敗した人間は殺人事件にカテゴライズされ、変異に成功し、異種族になった人間は失踪事件にカテゴライズされる。彼らは自分の勢力を拡大するために、今日もどこかで人を襲っているかもしれない」

「だとしたら、次萩が狙われた理由っていうのは、変異させるため、なのか?」

 まりやが異種族になれば、手中における。異種族にならなかった場合は、皮剥人という邪魔な存在を消すことができる。どちらにしても犯人側としてはメリットしかない。

「その可能性もないかな。私は異種族に対して抗体みたいなものがあるから。相手は私を排除することしか考えてなかったと思うよ。つまり犯人は私が皮剥人(スティーラー)だということを知っている存在」

「皮剥人の存在を知っているのは、異種族だけってわけか」

 コクリとまりやは頷き、テーブルの上に置いた拳をギュッと握り締める。

「あの懐中時計は、今犯人が持っている」

 まりやが席から離れ、座っている矢神の前に立つ。

「私は、自分の為にも、矢神君の為にも、あの懐中時計を取り戻したいの。その為には、同調者(シンクロン)である君の力に頼るしかない」

 饒舌に喋る割には、随分怯えた様子でまりやは右手を差し出す。

「お願い、犯人探しに協力して」

 差し出された右手とまりやの顔を交互に見上げ、矢神は立ち上がる。

「それしか方法がないなら、やるしかないだろ」

 握った右手は小さくて、不思議と暖かかった。

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