〈プロローグ〉~誰が誰の皮を剥ぐのか~
〈プロローグ〉~誰が誰の皮を剥ぐのか~
「貴方は一体何が目的なの?」
木黒市にある埠頭に二つの影があった。
一つは少女の形をしていた。十代の若い少女だ。
もう一つの影は黒く大仰な形をしていた。少し動く度に外灯が当たり、影ができる。それで辛うじて人型ということが分かる程度だ。
「私をどうするつもりなの」
少女が黒い人影に向かって問いかける。
しかし、黒い人影は少女に相対しているだけでなにも答えない。
「いいよ、そっちがその気なら、私にも考えがある」
少女は後ろ足に重心をかけ、いつでも走り出せる準備を整える。
それに対し黒い人影は些細な体重移動も見逃さず、一歩少女に近づく。
少女は胸に提げた懐中時計を握りしめ、一気に走り出す。
背後から気配を感じながらも、コンテナの間を、夜の闇を駆ける。
走って、跳んで、滑って、登って、再び走り出す。
立体的に動き回り、走り回り、逃げ回る。
ようやく埠頭を抜け、大通りの道路に出る。
「そんな……」
そこにいたのは、先程まで少女を追っていた黒い人影だった。
フシュウゥと黒い人影が息を抜き、少女へと飛びかかる。
その速さはヒトを超越していた。
黒い人影が地面を蹴った瞬間、少女の目の前には巨大な手が広がっていた。
空を切り裂く感覚を体感すると共に、少女は地面に組み伏せられた。
「……アッ! ガハッ!」
背中を地面に打ち付けられ悲鳴に似た嗚咽を漏らす。それでも、少女は首に提げた懐中時計を握って離さない。
その姿を見て、黒い人影はうっすらと表情を変えた。
「それを貰う」
黒い人影が手を伸ばす。少女が命よりも大事にしている。大事にせざるをえない懐中時計を奪い取る。
「やめて、それを、返して」
無理矢理奪われた懐中時計に少女は手を伸ばす。
だが、懐中時計を掴もうと広げた手は、伸ばした腕は、執念を込めた声を出す口は――既に変化していた。
「かえ、して」
必死に絞り出したその声も、既に少女のそれではない。
地底深くから轟くような化生の如き呻き声。
変化が訪れた。少女だった者は、目の前にいる黒い人影を認識し、
「ウジュアァアァアァ!」
醜悪なる叫び声をあげた。
■■■
「矢神、おーい矢神……恋川矢神!」
友人による三回目のコールで恋川矢神はようやく意識を取り戻した。
といっても別に気を失っていたわけではない。ただ少し、
『今の、なんだったんだ? なんか、助けを求めるような叫び声、みたいな』
別のことに気をとられていただけだった。
「ちょっと矢神! 聞いてんの?」
再び矢神を心配する声が聴こえてくる。女子にしてはほんの少しだけ低い、独特な声だ。
「ん? ああ、悪い守川」
矢神は頭を振りながら、中学時代からの女友達である守川朱里に謝った。
「どうしたの? 急にボーっとして」
今年で高校二年生になる二人はその他大勢の友人と共にカラオケで精一杯楽しんだ。
そしてカラオケのフリータイムが終了したところで、解散の流れになり、矢神と朱里の二人で帰っていたのだが、商店街に入ったところで急に矢神の動きが止まってしまったのだ。
「いや、大丈夫だよ。それよりさ、今なにか聞こえなかったか?」
「なにかって何?」
形のいい唇を尖らせ、朱里は若干の不満の意をみせる。隣にいる自分の声ではなくどこかから聞こえてきた声に神経を注いでいるという態度がかなり気にくわないようだ。
「いや、よく分かんないんだけど、なんかの叫び声みたいな。なんだろう、なんて言えばいいのかな、とにかく、誰かが叫んでたんだ。怖くて、叫んでた」
「気のせいでしょ、それか疲れてるだけ」
矢神の必死の訴えも虚しく、朱里は大きなあくびをしながら先を歩いていく。
「確かに聞こえたんだよ。叫び声だ。気のせいなんかじゃない」
繰り返す言葉はもはや朱里ではなく自分に言い聞かせていた。
「……矢神、どうしたの?」
普段のクソ真面目でめんどくさがりな矢神らしくない様子に、朱里は眉をひそめる。
「別におかしくなったわけじゃ……いや、どうなんだろう」
「もしかして、あの事件の被害者の声じゃない?」
とにかく『正体不明の叫び声』の話題を逸らすため、朱里はそれらしい解を提案する。
「あの事件?」
わざわざ頭を少し捻って朱里が出した解に幸いなのか厄介なのか、矢神はそこそこ食いついた。
「あの事件ってなんだ?」
「うそ、矢神知らないの? 木黒の高校生の八割は知ってるよ。おっくっれってるー」
守川朱里は自他共に認める今時の女の子で、SNS等を巧みに利用して常に流行の最先端を歩いている。もちろんそれはファッションだけではなく、ありとあらゆるジャンルの最新を常に持っている。
そんな『流行に敏感な女子高生』を地で行く朱里が遅れていると評価するのだ。それはもう木黒という街そのものの雰囲気に取り残されているといっても過言ではないだろう。
「それで? あの事件っていうのはなんなんだ?」
だからといって矢神が大袈裟に傷つくということも特にはない。朱里の方だってそんなことは百も承知なわけで、とりあえずのリアクションということで矢神をけなしたのだ。
「今すんごい有名だよ、『木黒市連続殺人事件』」
女子高生がペラペラ喋るにはいささかエッジの効いた――『連続殺人事件』というワードに矢神は思わず眉間にシワを寄せた。
「連続殺人って、随分物騒じゃないか。どういうやつなんだよ?」
「老若男女区別せず、ここ最近で六人も殺されてるんだって。しかも皆同じ死に方。決まって血が全部抜かれてるらしいよ」
朱里は自分で自分を抱き締め、わざとらしく肩を震わせる。
「デタラメだな。警察は何やってるんだよ」
「さぁ? 国民の血税を使って大層有意義な捜査でもしてるんじゃない? または他の事件に労力を割かれてるのか」
「他の事件?」
矢神のオウム返しに朱里は目を細めて微笑む。
「殺人事件知らないってことはそりゃこっちも知らないよね」
朱里はモスグリーンのクラッチバッグから板ガムを出し、矢神に一本渡した。
「もう一つおっきい事件があるんだって」
ガムを噛みながら朱里は矢神に上目遣いをする。
その小悪魔的な視線を、矢神は平静を装いながら受けきる。
「木黒市の罪のない人々が殺されている裏で、人が行方不明になってるんだってさ『木黒市連続失踪事件』ってわけ」
再び出てきた連続というキーワードに矢神は反応し首を捻った。
「連続って、そんなに人がいなくなってんのか?」
「さぁ、あたしもそこまでは分かんないんだよね。こっちはただの噂話って可能性もあるらしいし。なにせ情報が少ないから」
釣り情報も多いし――なんて補足し、朱里は覗き込むような姿勢を戻し、矢神の横に並んだ。
「でも怖いよね。人間がいなくなるなんてさ」
静寂に包まれた夜の商店街を歩きながら朱里が呟く。
「だって人間だよ? ネズミとか猫とか鳥じゃなくて人間が消えるんだよ? あんなおっきいのに、どこにいるのか誰も分からなくなるんだよ? 異常じゃん」
朱里のいつになくシリアスな表情につられ、矢神も腕を組んで考え込む。
「まぁ確かにおかしいと言えばおかしいな。でもそんな真剣になって考えることじゃないぜ」
「自分は関係ないから?」
「皆そう思ってるよ。自分には関係ないって」
「本当にそうだといいんだけどね」
矢神の尤もな意見に、朱里は軽いため息を吐いて逆方向へと分かれた。
■■■
『春だって言うのに肌寒いな……あれ?』
朱里と別れ、住宅街の中を歩いていると、見知った後姿が視界に入り込んだ。
身長百九十以上はあるらしい大きな背丈に、長い手足。どこにいても目立つ風貌の男だった。
「剛徒! なにやってんだ?」
矢神は中学からの友人である阿南剛徒の名を呼び、駆け寄った。
名前を呼ばれた剛徒のほうはポケットに手を入れながら、ゆっくりと振り向いた。
「ああ、矢神か。お前こそどうしたんだよ、こんな時間に」
「ああ、さっきまでクラスの連中と一緒でさ、お前来ればよかったのに」
「ここ最近運動部の助っ人が多くてさ、今日なんて三件あったんだぜ。正直疲れるよ」
「そうか、それはかなりアレだったな、お疲れ」
高身長で運動神経抜群の剛徒は特定の部活に所属する事はせず、バイト感覚で様々な運動部の試合などに助っ人として参加している。最初は親しい友人の手伝い程度だったものが、噂が噂を呼び、今や全運動部から予約が殺到しているとのことだ。
「明日も野球部と陸上ホッケー部の助っ人だよ。ていうか俺陸上ホッケーなんてやってことねぇし」
「本当に大変だな、まぁなんにせよあんま無茶すんなよ。今度時間出来たら俺とお前と守川の三人で遊ぼうぜ」
「ああ、それいいな。最近は集まってなかったからな。じゃあ余裕が出来たらまた連絡するよ」
剛徒はポケットに手を入れたまま身震いをし、矢神が歩いてきた方向とは逆の方向へと走り去っていった。
■■■
剛徒と別れた後、雨がポツポツと疎らに落ちてきた。
「雨降ってきたな」
歩く足を早め、普段は使わない公園の中に入り、近道をする。
中が空洞になっている築山や、ブランコを横目でぼんやりと眺めながら早足で抜けていく――その時だった
「ウジュルルル……」
築山の中から低い、唸り声が聞こえてきた。
その唸り声は暗く、地の底から這い上がってきたような手負いの獣の鳴き声に似ていた。
そして同時に、その声はどこか弱々しさや、切なさが入り混じっていた。
「今の声って……」
聞こえてきた声に矢神は思わず足を止め、築山の中をジッと見つめる。しかし、既に深夜を回っている事もあり、中がどうなっているのか分からない。
『確認するべきか?』
いつもの自分なら絶対に無視を決め込んで帰るところだったが、今回は少しばかり事情が違う。
築山の中から聞こえてきた禍々しい唸り声は、先ほど矢神だけに聞こえた――と思われる声と同じだったからだ。
運命的なもの。なんて言ってしまうとかなり胡散臭い事になってしまうが、矢神としては恥ずかしながらそれ以外の感想が思い浮かばなかった。
「少しだけだ。少しだけ」
自分自身に言い聞かせて、矢神は築山へと入る。
中は暗くなっていて、周りに何があるのか全く分からない。
矢神はスマホのバックライト機能を使って、暗闇を照らした。
「ウジュウゥ……」
そこには、限りなく白に近い灰色の化物が、息を吐きながら鎮座していた。
『ッ! 何なんだこいつは』
突如姿を見せた人の理から離れた生物に矢神は思わず口元をおさえ、一歩後ろに下がる。
矢神の目の前で体育座りをしている人型の獣は異様な姿をしていた。
筋肉が隆起した強靭な肉体にはこの公園のものと思われる土がついていて所々汚れている。
トカゲにも似た爬虫類のような顔には紫色の瞳が弱々しく輝いていて、鋭利な牙が並ぶ大きな口からは、ひゅーという空気が抜ける音が聴こえてくる。
そんな異様な見た目の中でも、尻まで伸びている黒髪と金髪が矢神の目を引いた。そしてそこに隠れている太くて長い棘のついた尻尾にも。
『一体何の生物なんだよ』
明らかに枠外の存在に矢神は重心を後ろに引いた右足をずらし、いつでも逃げられるようにする。
しかし、目の前にいる化物はいつまで経っても矢神に襲いかかろうとしてこない。ただその紫色の瞳を弱々しく輝かせているだけだ。
『もしかしてこいつ、弱ってるのか?』
矢神は目の前で荒い呼吸をしている化物を見て、少しだけ警戒心を解いていく。たとえどんなに醜い見た目でも、生き物は生き物だ。目の前で弱っている姿をじっと見ているのは忍びない。
微動だにせず、ただ体力を回復させるため荒い呼吸をしている化物が、少しだけ惨めに見えてきた矢神は、怪物と距離をとりながら、背中に背負ったリュックサックを下ろし、中を探り始める。
あれも違う、これも違う、と繰り返していると、ようやく、お目当ての物が見つかった。
「悪いな、これぐらいしかないんだ」
リュックの中から矢神が取り出したのは紙袋に入ったクッキーだった。今日朱里に会った時、「作り過ぎたから少しあげる」と言ってもらったものだ。
リボンを解き、中から一枚だけクッキーを取り出して、恐る恐る化物の口へと運ぶ。
「あいつの作ったクッキーそこそこ美味いんだから、食ってみろよ」
プルプルと震えているクッキーを前にして化物は、矢神が思っていたよりも口を大きく開け――矢神の右手ごと喰らいついた。
「いってぇ! お前何してんだよ!」
叫びながら矢神は慌てて手を引き抜く。まさかここまで貪欲に喰らいついてくるとは思わなかっただろう。
噛み付かれた右手の甲を見ると、鋭利な歯によって引っかき傷が出来ており、うっすらと血がにじみ出ている。
「あーあ、帰ったらちゃんと消毒しねぇとな」
傷口を眺めながら矢神はめんどくさそうにぼやく。
その時だった。
「ッ! いってぇ、なんだ? 熱い」
化物に噛みつかれた傷が信じられないほど熱くなり矢神は思わず右手をおさえる。
興奮状態で体が熱くなっている。なんて言葉は生ぬるいほどに熱く、高温で熱した鉄をそのまま傷口に当てられているようだった。
「う、グッ、あぁ、あぁあぁあぁ!」
熱による痛みは声にならない叫びとなって築山の内部に響き渡り――矢神は、意識を失った。
■■■
ひんやりとした空気が体全体を包み込む。
先程まで気絶するほどだった右手の傷の熱はいつの間にか収まっていて、傷口すらも綺麗さっぱりなくなっていた。
「なんで? 確かに噛まれたはずなのに」
矢神は毒づきながら周囲を見渡し、違和感に気づいた。
さっきまで感じていた化物の妙な視線が、なくなっていた。というよりあの化物がいなくなっていたのだ。
矢神は慌ててスマホのバックライト機能を使い、再び築山の内部を照らし出す。
だがそこには、先程まで化け物が座り込んでいたその場所には、一糸纏わぬ姿の美少女が横になっていたのだ。
「……誰?」
突如現れた謎の全裸美少女の存在に、矢神は目を白黒させる。
微かに揺れる長い睫毛に、ふっくらとした綺麗な薄ピンク色の唇。陶磁器のような真っ白な肌、すらりとした長い手足。の割には身長が少し小さいように見えて、胸だってそれほど度を越えた主張はしていなかった。
それよりも矢神が気になったのは、少女の腰まで届く長い髪は金髪と黒髪が混ざっていたところだった。
「えっと、これから俺はどうすればいいのかな」
もしかしてこれはクラスメイトによる性質の悪いドッキリなんじゃないのだろうか。なんて考えていると、パチリと、少女が大きな目を見開いた。
矢神は慌てて後ろに下がり、少女から目を逸らす。
ようやく目を醒ました少女はきょろきょろと周りを見渡し、その後自分が裸である事を確認して、冷静に腕を使って胸を隠した。
「ねぇ」
少女が矢神に話し掛ける。
派手な見た目をしている割には大人しい声だ。
「な、なんだよ」
矢神は警戒しつつ、少女の姿を視線の端に捉える。
「出来れば何か着る物を貸してほしいんだけど」
「あ、ああ、そうだよな。分かったよ」
色々と聞きたいことがあるのだが、裸のままではどちらも集中できないと思ったので、矢神は少女の要求を素直に受け入れ、自分が着ていた上着を少女の方に投げた。
「なぁ、君は一体何者なんだ?」
貸してもらった上着を着込んだ少女が、矢神にジッと視線を向ける。鋭い視線が矢神の顔をしっかり捉えている。
「私の名前は、次萩まりや」
少し珍しい名前を脳内にインプットし、矢神はさらに深いところへと質問をする、
「そして貴方は、私の同調者になったの」
ところで、まりやが先に言い放った。




