表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
外伝 孤月の巫女と常若の都
27/27

外伝5

 それは彼女が不老不死を得る前、その齢がまだ十も数えない幼き日のこと。

 さくり、積もった落ち葉が鳴る。すぐ近くに見えた目的地も、子供の足で山道を超えるとなれば一筋縄ではゆかず、気づけばとっぷりと日が暮れていた。意地を張るんじゃなかった、途中で引き返していれば、と思ってももう遅い。来た道は一寸先も闇に閉ざされ、無事に下山することは困難で、月明りの差す竹林の方が安全そうだった。ここで一晩過ごそう、村が見えるくらいに明るくなったら帰ろう、そう決意し少女は恐る恐る歩みを進めた。

 さやさやと竹の葉が擦れる。涼やかな音だけが満ちた空間は、無音より静かな気がした。どんなに暖かい時期でも夜の山は冷え込むもので、静寂と相まって心身が凍える心地がして自分の身体をぎゅっと抱きしめながら歩く。薄い麻の服は丈が短く、剝き出しの腕をごしごしと擦ったが気休めにもならない。ふと、もしものために持ってきた火打石の存在を思い出し、暖をとる方法があることにほっとした。


「火を起こそう。落ち葉を集めなきゃ。」


 怖さを紛らわせようと、自分の行動を口に出しながら手を動かす。少しかき集めれば簡単に枯葉の小山ができ、念のためその周りは地面が出るくらいに葉を除ける。真上で真っ白な月が煌々と輝いているおかげで動くのに支障はなかった。

 風向きに気を付けて石を打ち合わせる。かち、かち、となる音に合わせて火花が散るも、油やほぐした紐のような火口なしでうまく着火するわけが無く。


 かちかち。さやさや。


 少女の立てる音と風が奏でる音だけが夜の空気を震わせる。不意に警鐘に似た違和感が過って手を止めるのと、彼女に覆い被さるように影が差したのは全く同時のことだった。

 月光が遮られて手元が真っ暗になる。恐怖で硬直したまま、そぅっと視線を動かし影の形を確認すると、それは人のようでいて頭部の両脇から長い突起が突き出ている。村人の誰かが脅かそうとしているようには思えず、まさか幽鬼かと体が竦んだ。


 さら、さら、ざあぁぁぁ。


 竹の葉が風に遊ばれる音だけが続いている。虫も、鳥も、背後の何者かも、一切の息遣いを感じさせない。夜の山がこんなに静かなわけがないと、今更気づいて絶望した。

しかし、怯え震え動けずにいる間も背後の影は沈黙を保っている。もしかしたら危害を加えてくる存在ではないのかも……? とうっすら希望を見出して、大きく息を吸い込み、一思いに身体ごと振り返ると。

見上げたはずが視界は白一色。予想外のことに停止する思考。

ぱちくりと瞬けば、光に慣れた目が像を結び白い月の輝く空が見えてくる。そして視界の左半分ほどを、斜めに横切る黒い何かがいて……ギ、ギギ、と立て付けの悪い扉のごとき動きでそれをなぞるように首を回せば、不自然で不気味な角度に体を折り曲げ横から少女を覗き込む怪物と目が合った。


「イヤアアアアアァ!!!」


 咄嗟に、握りしめていた石を怪物の金眼に投げつけた。それが効いたかも見届けず竹林を駆け抜ける。真っ暗でもいい、足を滑らせて落ちてもいい、ただ恐ろしい化け物から距離を取りたい一心で外を目指す。

 だが走っても走っても竹林が終わらない。

 決して広くはないはずなのに、深く踏み込んだつもりもなかったのに、なぜか遠くの景色は白い月光に塗り潰され眩しいばかりで見通せないのだ。どう考えてもまずい状況だが、今はもつれそうな足を無理に動かし続けることしかできない。


(どうしよう、さっきのあやかしの縄張りに閉じ込められちゃったんだ! 逃げ回って、朝が来てくれたら助かる? どうしよう、お父さんお母さん……!!)


 もう家に帰れないかも、と一度考えてしまえば涙が止まらなかった。膝が笑って力が入らず、ついに落ち葉で足を滑らせしりもちをつく。立ち上がる前に影が差し、ばっと顔を上げた目の前に、ぬうっと伸ばされた巨大な手。


「あ………………」


 恐怖が限界を超え、少女は白目をむいて気絶した。ぱたりとひっくり返った体を枯れ葉の積もった地面が受け止め、その上を風が素知らぬ顔で吹きすぎていく。あとに残されたのは、伸ばしかけた手をそのままに所在なさげに佇む怪物だけだった。





「……ィル、もう――――だから!」


 幼子特有の、姦しいキンキン声が耳に飛び込んできて目覚めを促す。いつもの癖で目を擦りながら寝返りを打つと、消えかけの焚火の向こう側に、昨夜の怪物らしき人型と白い大虎がいた。

 人型の方のあの恐ろしさ不気味さはどこへやら、正座したまましょげ返っており女の子の声に叱られてはこくこくと控えめに頷き、虎は大男の前に横たわって時折前足や尻尾で相手のふとももあたりをべしべし叩いていた。


「前にも教えたでしょ、後ろから近づくのは狩りの時! 普通に話しかけるときは前から! 黙って近寄るのもダメ!!」

「でも目線を合わせるという助言は実行したが悲鳴を上げられたぞ。」

「アンタの図体で後ろから覗き込んだら怖さ増し増しでしょーーーが!!!」


 ドゴッッ!! と強めの猫パンチが顔面に炸裂したが巨体は揺らぎもせず、しかしますます落ち込んだようだった。緊張感のないやり取り、相変わらずわからない声の主、昨夜との落差も手伝って夢でも見ているよう。ぼんやりしたままじゃれ合う者たちを眺めていると、視線を察知でもしたのか、大きな虎が首を巡らせた。


「あ! 起きた?」


 動いた口から少女の声。先程から喋っていたのはこの虎だったのかと驚いているうちに、それはしなやかな体さばきで側へとやってくる。


「大丈夫? ごめんねぇ、あいつにも悪気があったわけじゃないんだよ。子どもが火を起こそうとするのが危なっかしくて見守りたかったんだって。」


 ざりぃ、と大きな舌が頬を舐める。本能的恐怖が背筋を駆け上がるが、口ぶりからすると敵意は無いらしい。


「あ、あの……」

「なぁに?」

「家に…………か、帰りたい……」

「わかってるよ~。ティル、抱っこしてあげて。」


 おそるおそる訴えた少女に心得ていると頷き返して、虎は身を翻した。同時に枯竹色の巨人がのっそり立ち上がって少女を手招く。


「じ、自分で歩けるから!」

「怖がらせた詫びだ。幼子の足では村まで遠い、途中までになるが運んでいく。」


 言葉少なに少女を抱え上げた大男は、そのまま洞窟を出て竹林を歩き出した。





「へえ~、仙人ならぬ仙虎になりたくて修行してるんだ!」


 縮こまっていたのは最初の内だけ、親し気に話しかけてくる虎とどんなに暴れても怒らないし安定感抜群の大男に、すっかり警戒心を失ってシユエは談笑を楽しんでいた。今は抱えられるのにも飽き、巨人の方によじ登って足をゆらゆらさせている。


「そうなの~! 徳を積むから人は襲わないし、むしろ助けたいと思ってるの、今みたいにね! 人間の言葉も修行の一環で覚えたんだけど、ちゃんと伝わってるみたいでよかった。」

「すっごく上手だよ、どうやって勉強したの? こっちのでっかい人が教えてくれたの?」

「いや……」

「ティルにはあたしが教えたの! こいつったら、最初は言葉を知らないどころか喋る気もなかったんだよ!?」

「某と出会ったものはたいてい悲鳴を上げて逃げた。話しかけてくる者も言葉が通じないと分かれば諦めて去っていった。言葉を教えてまで会話を試みたのは、この頑固な虎が初めてだったのだ。」

「はぁ~~~!!? 頑固ってなによ、ティルがものぐさなだけでしょ!!」


 虎がグルグルと唸りながら、ティルと呼んだ大男の足元に巻き付く。

 猫が人間の足元にすり寄る動きとほぼ同じだがいかんせん大きさが違う、虎に足を掬われかけぐらついた男が、慌てて肩の少女に手を添え支えた。


「あたし独学で頑張ったんだから! 人間の会話を盗み聞きしたり、人の近くで生活してる動物たちに聞いて回ったり!」

「わかったわかった、じゃれていると明るいうちに村まで辿り着かないぞ。」


 片手でわっしわっしと虎を撫でそういった男の表情はまるで父親のようで、シユエに家で待っているだろう父を思わせた。心がそわつき、一人と一匹を急かす。


「私が帰らないと村の人たちが探しに来るかも、そうなったら困っちゃわない?」

「それもそっか、じゃあちょっと急ごう!」


 少女の元来た道は危ないからと、遠回りになるというのに村人が使っている山道の近くまでわざわざ送ってくれた虎とティル。ちゃんとお礼を言って見慣れた道を下っていけば、己の名を呼ぶ母の声がした。


「おっ、おかあさん!!」

「シユエ! もうどこまで行ってたの、帰ってこないから心配したんだよ!?」

「ごめんなさい……途中で暗くなって山を降りれなくなっちゃったの。」

「無事でよかった……! しばらく勝手に山に入るのは禁止よ! さ、帰りましょうね。」


 叫んで駆け寄った少女を、両手を広げて迎え入れる母。抱きしめる腕の強さと涙で上擦った叱責に、今更怖かったことや不安がぶり返して涙があふれ、シユエは母の胸に顔をうずめ甘えるようにすり寄った。泣き出した我が子の髪をそっと撫でて、小さな手を握って、母親は山道を引き返し始める。

 手の甲でごしごしと目を擦りこっそり後ろを見た少女は、木々の隙間から手と尻尾が降られるのに気付いて笑顔を取り戻し、母に悟られぬよう小さく手を振り返して別れを告げた。





「で、なんでまたここに来たの?」


 そんな、『住む世界が違う者たちとの束の間の邂逅』として朧げな思い出として記憶の彼方にしまわれそうな別れ方をしたのち、半月も経たないうちに少女は再び竹林を訪れていた。


「山に入るのを禁止されていなかったか?」

「ふふん! 子どもが親の言うことを聞くと思ったら大間違いなんだからね!! 村にいたってつまんないんだもん! 日が暮れる前に変えるようにするから大丈夫、近道も見つけたし!」

「……よいのか。」

「まぁあたしも子虎だった頃はこんな感じだったし? あんまり危ないことするようなら止めてあげればいいんじゃない?」

「も~、わたしのことはいいの! はい、これ!」


 何やら保護者目線で喋っているところに割込み中断させ、ずいと持ってきた袋を押しつけた。


「助けてもらったお礼! ……っていっても貧乏な寒村の子どもに用意できるものだから、大したものじゃないけど。」

「お礼……?」


 受け取ったティルがその大きな手のひらに袋の中身を空けると、出てきたのは干した肉や果物の欠片。なけなしの食糧からバレないくらいの量を少しずつ蓄えたのだろうと一目でわかるささやかなものだ。

 シユエを見、虎を見、しばらく迷うように視線を彷徨わせていたティルだったが、一つ頷いて干し肉をつまみ虎の口へ放り込み、続いて果物をつまんでシユエに差し出した。


「わたしはいいって、ティルが食べて?」

「某は食事を必要としない。日光と水があればいい、こういうものは必要とする者に与えられるべきだ。」

「そもそもあたしたちはお礼させたくてやったんじゃないよ。どうしてもって言うならあたしと一緒に食べよう!」


 伏せの姿勢で話を聞いていた虎がおもむろに立ち上がり、シユエに歩み寄るとその大きな体で囲い込むように動く。びっくりしてよろける彼女を寄りかからせたまま虎が座り、猛獣を背もたれにして少女もぺたりと腰を下ろす形になった。少女の緊張を解すように頬ずりする虎、ふわふわの毛にくすぐられて相好を崩すシユエ、彼女らを微笑ましげに見守り、小鳥にえさを与えるように食べ物を口に運んでやるティル。


「そういえば虎さんは名前無いの? 実は考えてきたんだけど、聞きたい?」

「名前!? 欲しい、聞きたい!!」

「あのね……虎月(ホゥユエ)っていうの! どう? あの夜見た、白いお月さまみたいな毛並みをしているからホゥユエ! わたしと音も似てて姉妹みたいでしょ?」

「……なんと良い名だ! 白虎のに似合いの名だ、よかったなぁ……ホゥユエ!」

「うん! ありがとう、シユエ!!」


 喜びいっぱいにモフモフほっぺを押しつけてくるホゥユエの、白い体がふわっと光ったのを見てシユエは目を瞬かせた。


「今なんで光ったの?」

「個を確かなものとする名前を得て、魂の位が上がったんだよ! この調子なら人間に化けられる日も遠くないかも~!」

「へー! そうなんだ。」


 種族は三者三様でありながら、彼らの間に流れる空気は穏やかそのものであった。こうして、人ならざる友を得たシユエは、暇を作っては竹林に通うようになる。ティルとホゥユエはいつでも竹林にいて、少女の旺盛な好奇心から繰り出される質問にも嫌な顔一つせず付き合ってくれるので、シユエはどんどん彼らについて詳しくなっていった。


 ティルは空の遥か彼方からやって来た異邦の者であり、植物に近しい種族であること。ここの竹林は彼が生やしたもので、彼の一部であり本体でもあること。ティルという呼び名は種族名からとったものだが、同族に出会ったことはなく、ただ長い年月を孤独に過ごしていたこと。

 ホゥユエはこの山で生まれた虎だが、生まれつき強い通力を持ち兄弟たちと異なる姿であったために巣を追い出されたこと。安全な場所を求めて逃げ惑ううちに竹林に辿り着き、ティルと出会ったこと。初めは植物然として足を土に埋め突っ立っているだけだったティルに、何度もちょっかいをかけて遊びに誘い、話しかけ続けた結果仲良くなったこと。いつか戻る孤独の日々を想い、帰りたくないと嘆くようになった彼のために仙虎を目指し始めたこと。


 そして、二人が交わした約束のこと。


「わたしが仙虎になれたら、ティルの故郷に連れて行ってもらうの! 肉の器の縛りを捨てて、もっとずっと一緒にいるの!」

「某はホゥユエの修行を気長に見守っている。時間だけはうんざりするほど持っている故な。もしシユエが生きているうちに還る日が来たならば、この竹林に無数の灯が灯る時が合図だ。竹が一斉に開花し、散り、蓄えた生命力を我が身に還元して某は月へと飛び立つことになる。ホゥユエを連れて。」

「ティルの故郷の景色を見せてもらう約束なんだ。」

「共に某の生まれ落ちた地を旅する約束なのだ。」


 そう言って、彼らは楽しげに笑い合っていた。






 月日は滞りなく巡る。

 数年たってもシユエは他の村人に黙って竹林に入り浸っていた。何も言われないのはホゥユエたちに採集を手伝って貰い、成果を山のように持ち帰っているからで、今となっては生活の苦しい村の頼りにすらされているほど。

 シユエも食事量が増えたおかげで、ガリガリのやせっぽちだったころと比べてだいぶ子どもらしい丸みを帯びてきたところであった。


 そして運命の転換は前触れなく、いつも通りの日常に差し込まれた小さな不運から始まる。


「いっ……たぁ~! やっちゃったぁ~!」

「シユエ、大丈夫!?」


 秋も深まってきたある日、冬に備えた山の幸探しの帰り道。通り雨に降られ濡れた岩場で、シユエが足を滑らせた。ホゥユエが服を咥えて止めたため、山道を転げ落ちて大怪我、という惨事は避けられたのだが。


「足首の色が……」

「これまずいかも、折れちゃった? 転ぶとき、岩の間に足が入ったまま捻ってたよね!?」

「怪我したところがドクンドクンする……歩けない、かも…………」


 顔を青ざめさせる少女におろおろするティル。一方ホゥユエは冷静に首をもたげて村までの距離を測る。収穫を増やすため山に深入りしたのが仇となり、いつもの竹林すらかなり遠くに見下ろせるほど、現在地は村から離れていた。

 震え声でティルに手伝いを頼み、やっとのことで患部に添え木を固定したシユエへと向き直った虎が言う。


「あたし、助けを呼んでくる!」

「助け!?人前には出られないだろう、どうするのだ!」

「このまま運んでいってもあたしたちじゃ村まで送り届けられないのは同じでしょ!? なんとかして竹林辺りまで村の人を連れてくるから、ティルはシユエをお願い! 竹林で合流して、シユエを村の人に任せて、あたしたちは逃げる! これでいこう! 頼んだよ!!」

「待て、ホゥユエ! ……行ってしまった。」


 言うだけ言って身を翻した虎に、あっけにとられ立ち尽くすティル。しかし少女のうめき声ですぐ我に返り、おっかなびっくりの手つきながらも怪我人を抱き上げ、慎重に山を下り始めるのだった。

 虎の強靭な脚力と身軽さにかかれば、険しい道もなんのその。倒木や小川を飛び越え藪を突っ切り乱暴なまでに急いだホゥユエは、あっという間に村の近くまで到着した。既に空は茜色に染まり、村人たちが家に引き上げる時間帯であったが、何やら村の出入り口付近でもめているらしく人だかりができている。そろりと忍び寄って様子を伺うと、今から山に入ろうとするものを他の者が止めているようだ。


「どいてくれ、シユエがまだ帰ってこないんだぞ!?」

「気持ちはわかるが、もう日が落ちる! お前まで遭難したらどうするんだ!!」

「気持ちがわかるだと!? 嘘も大概にしろ、うちの娘を都合よく使いやがって!! あぁやっぱり一人で山に入るなんて許すべきじゃなかった……!」


 どうやら一番大きな声で騒いでいるのがシユエの父親らしい。


(あの人なら着いてきてくれそうね!)


 しかしおびき寄せられそうな人がいても、虎の姿で躍り出ては逃げられるか攻撃されて追い払われるだけだ。今こそ修行の成果を見せるとき、とホゥユエは内なる力を操るため集中する。


(人間の手、人間の足……! 爪は丸く、薄く、シユエみたいに……!)


 やがて虎の身体の輪郭が溶けるように崩れ始め、さらには小さく縮んでいく。再び輪郭がはっきりした時には、髪の白さ以外は見事にシユエそっくりの少女がそこにいた。


「こ、これは……! 初めてのわりに上手じゃない!? でも髪の毛の色は変えれなかったか。仕方ない、声真似して呼んでみよう。


お父さん!」

「ッシユエ!?」


 村人たちがざわりと揺れる。他の者を押し退けて出てきた男性が叫び返してくるのを聞き、茂みから片腕だけ出して手を振る。


「遅くなってごめん! ちょっと山奥まで行きすぎちゃった、でもたくさん収穫できたんだ、運ぶの手伝ってよ! ついてきて!」


 言い終わってすぐ、ホゥユエは山へと駆け出した。


「うおお人の身体ってすごく不便、高く跳べないし走るのも遅い!」


 慣れない体に苦労しつつ、追いつかれない程度に先を行く。父親だけでなく数人の村人も釣れたようで、後ろからそれなりの数の足音がしている。シユエから教えてもらった近道を通って竹林までやって来たものの、あまりにも早く着きすぎたのかティルとシユエの気配はまだなく、ここにきて虎娘は己の考え無しに気づき頭を抱えた。


(やばい、焦って動きすぎた!? シユエが来ないと村人を連れてきても意味ないじゃん!! 怪我人抱えて歩くならいつもより時間かかるだろうし、かといって村人をこれ以上山奥に誘導したら怪我人増やしちゃうかも……ど、どうしよう!? 村人をここに引き留めて時間稼ぐ? いや、いっそ虎に戻ってティルたちを迎えに行った方が早いかもしれないよね!?)

「シユエ…………じゃない?」


 変化を解きかけ、耳と尻尾を出した瞬間背後からした人の声に飛び上がる。思っていたより近づかれていたこと、それに気づかなかったことの両方に驚き、人の感覚の鈍さに絶句するホゥユエ。


「だから言っただろう! 暗くなってから人を山に誘い込むなんて、あやかしのすることだと!」

「あれは……虎の耳と尾だ! 可哀そうに、食い殺されて姿かたちを奪われたのか……」


 誤解だと声を上げようとしたが、風を切って飛んできた竹槍に慌てて身を翻す。最初から警戒されていたらしく、村人たちは明かりとなる松明だけでなく竹槍や鉈を持っているものばかりだった。


(だめだ、まず逃げなきゃ殺される!!)

「逃げたぞ、追えッ!!」

「人の味を覚えた獣だ、絶対に逃がすな!!!」

「だからちがうんだってぇ!!」


 敵意と狂乱に満ちた彼らに言葉が届いた様子はなく、走り回りながら変化を解除しようとするホゥユエだが、動きながらでは集中できずうまくいかない。


「ギャッ!!?」


 疲労にふらつき、動きが鈍ったその時、投擲された槍が少女の横腹を抉った。

 もんどりうって転がったホゥユエに、目を血走らせた男が迫る。


「人食い虎め、よくも!!」

「ちが、話聞いて、おねがい――」

「娘を! 娘を返せえぇっ!!!」


 懇願する少女の声に怒りを膨らませ、男は槍を構え。






「や、やっと竹林まで戻ってこれた……!」

「うむ、ホゥユエはうまくやったのか、いくつも人の気配があるな。」


 長く険しかった道の終わりにシユエがそっと息を吐き、その背中をティルが気遣うように撫でる。痛めた足首は時間とともに腫れ上がり、運ばれる揺れにすら体力を消耗して、シユエはかなりくたびれた様子だった。それでも人ならぬ友を人目に晒すわけにはいかないと、自らの足で地を踏みしめる。


「またね、ティル! ありがとう!」

「ああ、また。」


 ティルが姿を消すのを見届け、怪我した足を引きずらないよう片足跳びのように移動するシユエ。月明り射す竹林に見えた人影に手を振って呼びかければ、振り返ったのはシユエの母を含めた村の女衆であった。


「お母さん!!」

「シユエ、アンタどうしたのその足!?」

「ちょっと山で転んじゃって。」


 駆け寄ってきた母に苦笑いして返すが、勢い余って抱きしめられ戸惑う。親子を見守っていた二軒隣のおばちゃんが、おそるおそる口を開いた。


「あんた、ほんとにシユエちゃんかい……?」

「えっどういうこと? もちろんわたしはシユエだよ?」

「お父さんがね、アンタが虎に食べられちまったっていうから……」

「え…………」


 母のお叱り声が耳を素通りする。

 虎。

 虎って言った?

 食べられた?

 わたしが?

 なんでそんな話に?


「……おとうさんは、どこ。」


 混迷する思考と怪我ではない要因で血の気が引いた顔を引っ提げ、母の肩を借りて向かった先、変わり果てた姿の友だちを見ることになったシユエはひどく泣き叫んだ後気を失った。


 目が覚めてからの少女の荒ぶりようはすさまじかった。怒り狂い、泣き喚き、早まった行動に出た父含む男衆を罵倒し、ついでに今までひた隠していた人ならざる友たちのことも洗いざらいぶちまけた。山の恵みをたくさん収穫するために手伝って貰っていたこと、小さな子が迷子になったら教えてくれていたこと、普段山を出入りする村人皆が、彼らに見守られ助けられていたことなど、全てを。

 ティルのことを話題に出した時、村で一番長生きの老婆はひどく驚いて「竹林の主・月此君」について思い出したといった。月夜の竹林に佇み、こちらを睨むひょろ長くて不気味な人影を恐れてあの竹林は自然に立ち入る人がいなくなったのだと。なるほど、間違いなくティルのことだろう。

 しかしそんなことは今どうでもいい。

 無実の友を殺してしまったことを、ティルに謝りにいかなければならない。そんな資格はないとしても。もはや何の償いも、しようがないとしても。


 両親の助けを借り、怪我をおして日を置かず再び訪れた竹林。見知らぬ人がいては姿を現してくれないかも、という心配は杞憂に終わったが、彼の必死の形相と問いの内容が胸を刺した。


「シユエ! ホゥユエを知らないか? あの日から帰ってこないのだ、山を探し回っても見つからなくて!」

「…………うん、今日は、その話をしに来たの。」


 結論から言って、ティルは怒らなかった。死の定めを持たぬ彼は、死というものを理解することができなかったゆえに。


「それで、結局のところホゥユエはどこにいるのだ?」

「今は村に運んで、いろいろ綺麗にしてもらってる。あんなズタズタの姿じゃ、とてもティルに見せられなくて……せめてものお詫びに、村総出で弔うから次の満月の夜に村へ来てほしいの。」

「とむらう、とは。」

「死んでしまった人に、お別れを言うんだよ。」

「……ホゥユエは、某とともに行くと約束したのに?」

「…………ホゥユエは悪くない。わたしたちのせいで、約束を守れなくしてしまってごめんなさい。」


 やり取りの合間に何度も下げられる頭を見て、ティルはずっと困り顔をしていた。


「ともかく、次の満月の夜に村へ行けばいいのだな? わかった。」

「……本当に大丈夫なのか、シユエ。」


 ティルが去ってから父がこぼした、あいまいな問い。その中身は少女にもわかる。

 ティルを村に連れて行って大丈夫なのか。

 遺体を前にすれば心持ちも変わるのではないか。

 彼が災いになるのではないか。


「今さらどうしようもないじゃん……」


 奪ったものを返せないのだから、報いがあるなら受けるべきだ。






 村に戻り、葬儀の準備に取り掛かる。シユエは足が使えないので花束や小物の製作が主な仕事だった。感謝と、謝罪と、友情のために出来るだけいい式にしてあげたいという少女の主張は、竹林の主の怒りを買いたくない事と、山の恵みを受けた恩から村人の大半に了承してもらえたのだが。


「たかが虎一匹殺しただけで面倒な。やりたい奴だけ勝手にやればいいのに。」

「まあまあ、虎や化け物に祟られるよりましさ。」


 時折聞こえるようにぶつぶつ言う者もいて、シユエはそいつらの顔を忘れないよう目に焼き付ける。次からは絶対に、収穫物をおすそ分けしてやらないと決意しながら。


 そして数日後、月の満ちる夜。

 森の中から静かに歩み出てきた、寒村のあばら家を超える上背の人外に村人が慄き道を開ける。人々に見つめられながら、シユエに手を引かれある建物へと導かれるティル。入ってすぐの部屋中央に安置された棺に、ホゥユエが横たわっていた。

 欠けた肉を詰め物で、破れた皮膚を布で補い整えられた虎耳少女の遺体。なぜか死した後も変化が解けなかった彼女は、やはりシユエと瓜二つだ。傷がわからないように化粧も施されているので、一目見ただけでは眠っているように見え、そのせいかティルは棺の横にしゃがみこんで普通に話しかけ始めた。


「ホゥユエ! ついに人の姿に化けられたのか! シユエを真似たのだなぁ、うまいぞ!」


 無邪気なその様子に、家族の死を理解できず死体に甘えつこうとする幼子を重ねてしまい、漏れ出そうになった嗚咽を堪えながらシユエは彼の隣に寄り添う。


「ティル、お別れしなきゃダメだよ。ホゥユエはこの後火葬してしまうからね……」

「かそう?」

「燃やして、魂を天へ帰すんだよ。」

「!? なぜ燃やす、火は恐ろしい……ホゥユエがいなくなってしまうだろう!?」

「ちがうよ、もういないんだよ。今は暑くない季節だったから数日持ったけど、遺体は朽ちていくものだから、綺麗なうちに送ってあげないとホゥユエがかわいそうでしょ? ……眠っているように見えるかもしれないけど、もう起きたり、お話したりは出来ないの……わかって…………」


 そんなのとんでもない、と拒否しようとしたティルが、今にも泣きだしそうな少女の顔を見て口を閉ざした。沈黙し、ホゥユエを見やり、シユエを再び見て、視線を落とし。


 窓から差し込む月光が、ホゥユエの白い髪を照らしている。


「…………ね、ティル、そろそろ………」

「今夜は満月だ……」

「え?」


 突然の呟きを聞き取れなかった少女が耳を寄せる前に、大男が勢いよく振り返った。長い長い髪が揺れ、黄金の目がらんらんと光っていて、どこか恐れを感じ後退るシユエ。


「今夜は満月だ、もしかしたらホゥユエを目覚めさせることができるやも!」


 そういうなりティルはホゥユエを抱え上げて外へと飛び出した。


「ちょっと、ティル!?」


 まだうまく歩けない少女を置き去りに、大きな背中はあっという間に遠ざかる。足を引きずって追いかけるシユエ、彼女を見かねて手を貸す両親、その他野次馬がぞろぞろと列を成してティルの後に続く。人の群れは人外の速さにかなわず、しかし目的地はあの場所以外になかったため迷いなく足を進め……竹林に踏み込んだその瞬間、突如輝きを増した月から、竹林中央へと光の柱が突き刺さった。


「な、なんだ!?」

「ティル……!」


 真白に眩む光の中を、それでもそろそろと進むと探していた巨躯が見えてきて、そのころには光も収まっていた。ティルの前には少女一人が丸まってすっぽり入るくらい大きな盃があり、白光放つ液体で満たされている。不意にティルが手のひらでそれをすくい取り、シユエの方に差し出した。


「これは某の命の水、シユエも飲め、傷が治る。」

「え、うん、ありがと……?」


 両手をお椀の形にして光の滴を受け取る。不安そうな両親の顔をちらちら見つつもティルを信じて口に含んだ。味は無くさらりとのどを通り、しかし胃の腑には落ちず体に沁み込む感覚と同時に足首が温かくなった気がする。試しに動かしてみれば痛みもないし、本当に治ってしまったようだ。人の力ではない、奇跡のような現象に人々が気を取られているうちに、ホゥユエが大きな手によって光る液体の中へ沈められる。


「ホゥユエ!!」


 ティルの嬉しそうな声、パシャリと水音、ハッと視線を向ければぼんやりと光を纏った虎耳少女が盃の中から身を起こしていた。


「うそ……本当に生き返って…………?」

「なんてこった、あやかしの類だと思っていたが、こんなことできるなんて! あやかしじゃない、月の神様だ!!」

「かみ、さま……!」


 その光景を目撃した野次馬が口々に神様と口にしてひれ伏していく。

 白く輝く月、奇跡を見せた人ならざる者、動き出した死者。不気味な化け物は今、月の光の下、生死を操る月の神と成った。

 しかし起き上がったホゥユエは茫洋とした表情で瞬き一つしない。それをわかっていないティルが必死に話しかけ続けている様子は痛々しいのに、この場の真実を認識できているのはシユエただ一人だけなのだった。


 そしてこの出来事が、ティルの、ホゥユエの、シユエの、何の変哲もない寒村の運命を徹底的に歪めることになり――。






「前置きが長い!!!」







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ