ノンフレームの眼鏡
部署移動の当日こそ、帰りが遅くなった祐一だったが、翌日からは定時に帰ることが出来るという奇跡のような事が起こっていて、毎日麗奈と歩きで仲良く帰るという至福を満喫している。
最初は、定時上がりとか何かの冗談だろう? と思った祐一だったが、同僚の篠崎も上司の西条も定時にアッサリ帰っていくので、それまで経理課で何をやっていたのかと首を傾げるアラサー男である。
もっとも仕事中は3人とも必要最低限しか口を利かないし、常にインカムが片耳に装着され、スマホでスケジュール管理をしながら合間にメールチェックして、郵便物も受付で受け取りロビーから歩きながら読んでエレベーターの中で仕分けをして、秘書室に着いた途端に処分してPC処理をするいうハードスケジュールだが・・・
そして祐一だけは会長が来ると、
『お前の仕事はバリスタか?』
と聞きたくなるくらい珈琲を入れまくるというおまけ付きだ。
会長のお客様は、仕事の取引だけでは無く、ボランティア活動や異業種交流もあるため、会話のきっかけとして飲み物等はいいネタになるらしく、祐一を秘書に欲しがっていたのも今となったら頷ける話である。
祐一的に問題があるとすれば、イシカワ・コーポレーションの受付や秘書は美形揃いという噂があるらしく、祐一はいつもの黒縁眼鏡を西条に禁止されてしまったのが大誤算だった。
代わりにとノンフレームの眼鏡を西条に渡されたのだが、ノンフレームでは顔が丸わかりだと反論した。
「大丈夫! このフロア以外は前のを掛けりゃ良いから!」
と、圧のある笑顔で押し切られてしまった。
まあ、それならと受け入れてしまった祐一もいけなかったのかもしれないが、今目の前で大問題が発生し背中に冷や汗をかいている所だ。
目の前のお客様はボランティア団体の代表だったのだが、その代表の連れが祐一的に不味かった。
「ユウ! ドウシテココニイル?!」
片言の日本語で身振り手振りがオーバーアクションなプラチナブロンドの女性が1人で大騒ぎをしているのを見て、その場の全員が祐一に一斉に視線を注いだ後、祐一とその女性を皆が交互に見比べる。
「石川さん、この男性は 彼女と知り合いなんですか?」
ボランティア団体の代表の男性は、プラチナブロンドの美女が大騒ぎをしているのを横目に、会長に問いかけている。
この目の前の美女の正体はハリウッドの女優で、映画撮影で会ったことが1、2本程度ある相手だ。
スタントマンとしての出演しかしていないため殆ど会話もしていないはずなのだが、何故かクランクアップの時から祐一が付き纏われたという経緯のある相手であった。
残念な事に祐一の方も覚えている位にはしつこかったため、流石に表情が凍り付いた。
「そこは知らないねえ。ただ彼は、僕の孫の婿になる予定の男だよ、今は専属秘書をしてもらってるけどね」
何時もの、軽やかな笑顔でお愛想笑いをする辰夫。
「おお、そうですか入婿さんですか〜」
爺共は和やかに会話を進めているが、ボランティア団体のプレゼンテーター兼キャンペーンガールとして抜擢された彼女は通訳と何やらペラペラ話している。
「エマ嬢が、秘書の神谷さんに観光案内をお願いしたいと言ってます」
と、通訳がとんでもないことを言い出した。
いや、まあ。何を言ってるのかはコッチも聴いてるから分かってるけど、ヤメテ!
祐一はゲンナリした。
「いや、彼は僕と社長の2人共通の秘書だから、社外に連れ出されるのは困るんだよね〜 社外に出ていかれちゃったら隼雄の仕事が止まっちゃうからね〜 ハッハッハ」
コレは不味いぞ、と辰夫も思ったのか、助け舟? を出してきた。
「ほー、中々に優秀な方なんですね。エマさんにそう伝えてくれるかな?」
代表がそう言うと通訳の女性が頷き説明をエマと呼ばれた女優にするが、頭を横にずっと振っている美女。
そして祐一はずっと氷の彫像になり、まるで会長のSPのように後ろに立っている。
インカムから西条の声が
「おーい、神谷君、社長の書類整理の方に回ってくれる? そっちには、今から篠崎が行くから〜」
と指示が入った。地獄に仏とはこの事か! と痛感する祐一。
辰夫の耳元で、『社長の方に呼ばれました』と耳打ちをする。
「うん、分かった行ってくれる?」
穏やかな表情のまま、会長室から直接社長室へ続く控室のドアを辰夫が指差した。
通訳が喋る前に早く逃げろという指示と受け取り、ボランティア団体の代表に一礼するとその場を優雅に、しかし最速で、一目散に逃げ出した・・・
会長室に入れ替わりで入ってきた篠崎が女神に見え、西条のインカムから聞こえる声が天の啓示かと思った祐一である。
×××
そんなわけで一時的に敵前逃亡とでもいうのか、戦略的撤退をした祐一である。
一応、義理の父予定でもある隼雄社長に会長室での出来事を報告した。
「うーわ、お前やっぱモテるんだな〜」
ワハハと笑う隼雄。
「笑い事じゃないですよ、予定では団体の代表だけって事になってたんですから、コッチは大慌てですよ?」
社長室に常備してある秘書用のデスクに座って、大急ぎで書類の整理をして予定をパソコンに打ち込み始める祐一。
「まあ、もうすぐ昼休みだから、逃げるといいさ。第一ボランティア団体のマスコットとしてポスター用の写真を撮るくらいしかその女優には用事は無いんだろ? ウチの会社には全然影響は無いから安心しろ。寧ろウチは寄付をする側だからな。そうそう無茶も言ってこないだろうよ」
がははははと豪快に笑う隼雄社長である。
「やっぱり眼鏡がアレじゃないと顔が誤魔化せませんよ〜」
「アレなあ~、アクの強いお笑い芸人みたいで俺は好きなんだがなあ。西條の主義に反するんだろ? 美形で揃えたいっつうヤツな」
「そうらしいです。いい迷惑ですよ〜」
ノンフレームのPC眼鏡のブリッジを中指でクイッと持ち上げながら打ち込みを続ける祐一。
「この部屋から外に出るのが今日はちょっとだけ怖いです・・・」
そう言って、ため息をついた。




