第65話 神の祝福と解呪
メグの様子が落ち着いたのを見て、わたしは彼女を抱きしめていた身体を離して解呪の準備を始める。
身体が離れた時はメグから名残惜しそうな目を向けられたけど、彼女は解呪の重要性もまた理解しているので、今は真剣な眼差しをわたしに向けていた。
[神の天秤]ですら読み取り切れない程の呪いなので、本来は結構な準備が必要になるはずだけど、この屋敷は既に魔女の陣になっているから、その点はほぼクリアしていると見て問題ない。
それでも、依然として危険度は高く、解呪に対するカウンターは仕込まれていると考えるべきだし、更に厄介な呪いと化してメグを蝕む可能性も否定出来ないから、わたしは【魔女の知識】を良く確認して見落としの無い様に準備を進めていく。
その準備が整ったのを確認した後、わたしはメグへと問い掛けた。
「解呪の準備が終わりましたので、メグ、あなたに最終確認です」
「はい、お姉さま」
「質の悪い呪いの様ですので、解呪の成功率は100%とは言えませんし、悪化する可能性すら否定できるものではありません。勿論、わたしの方でも最善を尽くしますが、それを知ってなお、あなたは解呪を望みますか?」
「はい! わたしはお姉さまを信じていますし、お姉さまに責任を押し付ける様な事も致しません。それに、恐らくはお姉さまが解呪出来ないのなら、誰にも出来ない類のものなのでしょう?」
メグは思い切り良く答えを出すと、わたしに対して輝くような笑顔を見せる。
この短時間で随分と信頼されたものだと思いつつ、彼女の信頼を裏切らない様、わたしは慎重に解呪を進める事にした。
そこで、まずは解呪の始めに[自由帳]を用いて、解呪の力を増幅させる魔方陣を敷く。
続いて、[神の天秤]を再度唱えて、メグの身体の何処に呪いが施されているのかを確認する事にした。
「メグ、呪いの位置を特定するため、今からあなたの身体に触れますね」
「はい、お姉さま。遠慮なさらず、どうぞお触り下さい!」
メグはそう答えると、わたしが差し出した右手を掴んで、自身の心臓のある辺り――胸元へと導くと、そのまま両手でかき抱く。
彼女の突然の行動と、手のひらに感じる暖かな柔らかさとを受けて、わたしは思わず混乱して硬直する。
「メ、メグ……?」
「呪いと言うからには、心の臓に近いところに施されている様に感じましたので。お姉さまも遠慮なさらず、是非お確かめ下さい」
メグはそう言うけど、自分以外のに触れるのは初めてな気がするし、その感触も自分のものと違う感じだしで、わたしの心臓の方が早鐘を打ち始める。
やがて、[神の天秤]を維持する集中力を欠き始めた辺りで、これは不味いかもとの焦りが頭をよぎった頃、わたしは解呪とは全然無関係な事に思い当たった。
メグって、ひょっとしてわたしより大きい……?
少なくとも小さいという事は無さそうで、メグの方が二歳年下という事を考えると、彼女の方が将来有望と言えそうな気がする。
我ながらしょうもない事に気を取られてしまったけど、そんな他愛もない事に思い至ったせいか、気が付けば当初の混乱は収まっており、[神の天秤]の状態も安定してきていた。
怪我の功名ではあったけど、それはどうなんだろうと複雑な気持ちになった頃、遂に呪いの位置が判明する。
メグの言った通り、呪いは心臓に施されている様な感じで、普通の[解呪]だと解呪するのは難しいかもしれない。
「メグ、呪いの位置は、あなたの言った通り心臓の辺りです。これから全力で解呪を行いますので、気を強く持って下さい」
「はい、お姉さま。お願いします!」
わたしの言葉にメグが力強く頷くのを見て、わたしは全力で魔法力を高めていく。
更にその魔力を右手と左手とに分けてから、続いて二重詠唱を始めた。
[解呪]単体では解呪が難しくても、これならいけるはずと、わたしは二重詠唱で上級の光魔法を重ねる。
「それでは行きます。――[神の祝福]!」
まずは最初に左手で[神の祝福]を発動し、右手に重ねる。
そして、右手の魔力が一気に高まったのを見て、わたしは続く魔法を発動した。
「[解呪]!」
[神の祝福]により強化された[解呪]は、【鏡写しの呪詛】をものともせずに解呪していく。
途中でわたしに対するカウンターや、呪詛の再構築等も起こったけど、強化された[解呪]はそれらを全て飲み込んで消滅させていった。
やがて、[解呪]が【鏡写しの呪詛】を全て食らい尽くしたのを確認して、わたしは大きく息を吐く。
解呪を始めてからさほど経っていないはずだけど、予想通りかなり危険な呪詛だった事もあり、長い時間[解呪]を掛け続けた様に感じられ、かなり消耗している自分に気付いた。
それでも解呪は成功したので、わたしはメグを安心させるべく口を開く。
「……終わりましたよ、メグ。成功です」
「本当ですか!? ありがとうございます、お姉さま!」
メグは輝くような笑顔でそう答えると、再度わたしの胸へと飛び込んで来る。
わたしは抱き着いてくるメグを受け止めつつ、懸念の一つを解決出来た事にほっとしていた。
◆ ◆ ◆
一方その頃、ベルクゲスト後宮にて公妃カタリナは鏡の悪魔を召喚し、義娘メグの置かれている状況を確認していた。
「……とまあ、こんな感じで公女殿下は無事な様だぜ。恐らくだが、今はアルフルスの街で保護されている可能性が高いな」
「そう……、それは朗報ね。騎士共から逃げおおせた先が魔物の巣だったらどうしようと思っていたのだけど、そうならなくて何よりだわ」
鏡の悪魔は自らの呪いを辿り、メグの状況をカタリナへと報告する。
カタリナはそれを聞いて安堵しつつ、思わず侮蔑の言葉を漏らした。
「それにしても、あの子の母親は一体何を考えていたのかしら? 行き先を碌に定めない[転移]なんて、自殺行為も良いところでしょうに」
実際には、[転移]先には従来〈聖域〉だった箇所が指定されていたものの、カイトの起こした事件により地脈が乱れた結果、〈聖域〉が失われてしまったのが実情で、そこはメグの母親としても想定外だったと言えるだろう。
しかし、その様な事情は知られる事はなく、カタリナはかつての聖女であり、自分の前の公妃であった女性を悪し様に言う事で溜飲を下げる。
鏡の悪魔はカタリナが醜く他者を罵る様子を無感情に眺めていたものの、不意に自身の呪詛が返された事を感じ取ると、驚きの呟きを漏らした。
「この感触は、まさか解呪……されたのか? 公妃様、いきなりで悪いが凶報だ。公女殿下に掛けた呪いが解呪された」
「何!? お前が自ら掛けた呪いは解呪出来ないと、妾はそう聞いていたはずなのだけど?」
カタリナは鏡の悪魔の言葉を聞くと、唖然とした表情になった後に彼を罵る。
それに対して、鏡の悪魔は面倒くさそうにカタリナの相手をしつつも、カタリナの詰問に答えを返した。
「普通ならそうさ。という事はだ、普通じゃない術者がいて、そいつが公女殿下を救ったという事になるな」
「全く、面倒を掛けさせる子ね……!」
カタリナは鏡の悪魔の言葉を聞いて、親指の爪を噛みしめる。
しかし、それも束の間で、彼女は自分のすべき事を判断し、鏡の悪魔へ告げた。
「鏡! なら勇者に指示なさい! 義娘はアルフルスにいて、強力な術者に囚われている可能性があると!」
「おうおう、怖いねえ。だが了解だ、公妃様」
そう言うと、鏡の悪魔は魔鏡を通して勇者ハンツへと指示を出す。
鏡故に音声こそ送れないものの、遠地への指示を出す上で非常に有用な魔道具であり、カタリナが公国の権力を掌握する一因となった悪魔の能力だった。
隣国の謀略は、遂にアルフルスをその標的と定めて動き出した。




