1ー5 ②
そう言って店の外から回り込んで現れたのは、年かさの男性である。背中こそ曲がった感じではないが、白い髭面と骨ばって皺の深い肌をして、はっきりと老人と見なせる外見だ。紺のキャスケット帽に緑のチュニック、カーキのズボンという風貌はくたびれた感じでもなかったが、少なくとも、ここいらの店員らしいと言える格好ではなかった。
「デュボワさん。ええ、そうなんです」
と、女店員が彼の方を向いて言う。男性は呼びかけられたもののあくまで視線をブローチに注いで、屈むと、ぎょろりと飛び出し気味の目玉を少女へ向けた。
「どれ。お嬢さん、少し見せてくれるかね」
ややざらついた声と共に、手を差し出される。皺という皴に黒色がしみ込んで分厚そうな手皿、その上に、ルウィヒはおっかなびっくりとブローチを載せ、すぐにアンリエッタへ身を寄せた。
ちょっと、こわい。
頭に伝わって来たのに、アンリエッタはちらりと少女を見る。
言わないようにね。
できないから、大丈夫。
それはそうだと、見当違いに遅れて気が付くアンリエッタである。どうもルウィヒとの言葉のやり取りにすっかり慣れているからか、窘めとか注意とかも、普通に会話するのと同じような調子でしてしまう時がある。
二人のやり取りを知るはずもなく、老人はルーペ片手にしげしげとブローチに目を眇めていた。店員の話すところに寄れば、彼はブローチの製作者である職人とのことだった。
「傷もひびも、なし」
言うと、肌理の細かそうな布切れをデュボワ氏は鞄から取り出し、表面をしばらく擦る。靄のような水色が中に一瞬見えて、溶けるように消えた。
ふうむ、と唸る。
「抜けとるな。完全に。霊的色素にも経年の減少はあるがこういう症状は初めて見る。封止が良くなかったか」
霊的色素。初めて聞く言葉だったが、説明書きで読んだ伝統技術のことだろうというのは察しがついた。「あの」とアンリエッタは横から声を掛け、口を挟む。
「この子、ルウィヒは変わった体質で。もしかするとそのせいかも」
「変わった体質?」
「はい。ええと、何と言いますか、霊素が過敏に反応する……ような」
「ふう、む……」
デュボワ氏は考える様子で顎を撫でながら、ルウィヒのことを見る。しゃがんで、再び鞄に手を突っ込むと、砂時計めいた形状の器具を取り出した。真鍮製のフレーム、くびれたガラス容器の中には、赤紫色の流体が溜められている。彼はそれを自身の目線の高さに置くと、少女へ声を掛ける。
「触ってみてくれるかね?」
言われて、ルウィヒは戸惑ったふうに器具と老人とアンリエッタとを順に見た。少女の心配を読み取って、アンリエッタは老人に言う。
「あの、たぶんこれも触れたら……」
「構わん」
一瞥もせずそう返される。老人がじっと視線を器具の方へと注いでいるのを見て、アンリエッタはルウィヒに頷いてやる。後押しする態度を表されても不安は消えないらしく、ルウィヒはやっぱりおずおずと、真鍮が縁取るガラスに指を伸ばす。やがて触れて、ぴくっと彼女の手が動いたのと同時、吹き消されたみたいに赤紫の光が途絶えた。
「接触点から消えたな。辿るみたいに」
注意深く観察していたらしいデュボワ氏が、そのように言った。また考える様子で顎をさする。
「ルウィヒさん、で良かったかな」
「……ん」
呻いて、少女が頷きを返す。
「このブローチを、気に入ってくれたのかね?」
再び、頷き。
「ありがとう。すまないがね、あなたに合うようにこれを弄るには、色々と試してみる必要がある」
床の鞄へ目を向ける老夫。
「しかしそれは、今手持ちの道具と材料ではできない。そこで提案だが、郊外の村に私の工房がある。そこまで来てくれたのなら、色々試して君が身に付けられるものを製作したいと思う。これは私自身も試してみたいことだから代金は取らない。……もちろん、ご家族の同意や同行があってのことにはなるが」
言いながら、デュボワ氏はアンリエッタへ視線を移した。向けられたのは思わぬ提案で、考えねばならないことがいくつかあったが――
アンリエッタはまず、ルウィヒへ目を向けた。
「ルウィヒは……どうしたい? ブローチ、欲しい?」
問い掛ければ、考える様子で俯くルウィヒ。アンリエッタはしゃがんで、少女の手を取った。
「ね。遠慮も嘘もいらないよ。したいことを教えて」
もう一度目を合わせ、訊ねる。
かつて押し付けられた体質。
もしも、望んだわけでもないそれのせいで、少女が何かを諦めなければならないのなら。
もしも少女が、そのことを少しでも無念に思っているのであれば。
アンリエッタは、出来うる限りの力を尽くして少女にそれを与えてやりたい。仮に与えてやれないのだとしても、欲しいと願うことまではやめないで良いのだと示したい。
見つめる先のルウィヒが、ぎゅっと手を握り返してくる。肌を介して滲んだ感情を聞き入れて、アンリエッタはデュボワ氏に向き直った。
「御返事は、後ほどさせて頂いてもよろしいでしょうか」
幾つか、伺いを立てるべき先があるのだと告げる。
老夫は快く承諾して、連絡先を交換する。
そこで、すっかり忘れてしそびれていた挨拶を述べた。
「申し遅れました。私はアンリエッタ・ベルジェ。この子の母親で、公書士をしています。どうぞ、よろしくお願い致します」




