3ー3 ①
「はーい! どうもご足労様ですフランツさん!」
翌朝。アンリエッタがぱたぱたと玄関へ走って登場すれば、出迎えた来訪者は、少々面食らった様子で視線を上下に動かした。
「あ。ごめんなさいこんな格好で」
気付いて、広い襟ぐりから覗く鎖骨に手を置く。肌着一枚というわけでもないが、生成りのワンピースの袖を捲り、濡らした髪をタオルで巻いてという服装は、人を招くにふさわしい姿とは言い難い。
昨夜届いていた電報の通りに訪ねてきてくれたフランツは、紳士にもこちらから目線を逸らして、言う。
「いや――こっちこそすまないな。早くに……でもないか。取り込み中なら外で時間を潰すが」
「いえ、良いんです。そちらこそ差し障りなければ、リビングでお待ち下さい。すぐに支度しますから」
「ああ。……って!」
先導してフランツを居間へ通せば、部屋に踏み入れたところで彼の足取りが止まる。
「やあフランツ殿。ご無沙汰だね」
「はだつや」
室内の二人が声をかけるが、その片割れは兄妹の兄ではない。医者もどきにして発明家を自称する青年オッテンバールが、洗って拭いたばかりの髪を二つ束ねにして胸に垂らしたルウィヒと共に、部屋の中央のテーブルに着席している。
「な、んでこいつがっ」
予想外であっただろう予定外の来客にフランツが絶句して、アンリエッタは口を開く。
「ちょうど訪ねてきてしまって。帰りそうもないので仕方なく」
フランツが来る、と予定を正直に伝えてしまったのが迂闊であったと言える。「そいつは僕にも関係がありそうな話だね」と、断り文句を勝手に口実扱いにして居座り始めてしまった。それで、どうせ問答を続けても仕方なかろうと、レームを見張りに置いて身支度を再開したのだった。
からかい気分で滞在を始めたであろう闖入者を指差し、フランツは声を荒げる。
「あんたは! こいつが部屋にいるってのに風呂になんか入るのか!」
「風呂って、そんな。髪を洗っていただけですよ。昨日しそびれてしまったので」
「だからって……」
納得いかなさそうに呻かれるが、確かに、わからなくもない反応ではあった。腹に一物も二物も隠していそうな青年が出入りを続けている現状は、アンリエッタとしても複雑な感触がないとは言えない。しかし彼はルウィヒとレームの数少ない知人でもあるわけで、個人的な一存を振り翳して接触を減らす、というのも気が引けるのだった。
「ふっふ、そういう反応は心外だな」
さて当のオッテンバールは小刻みに笑って、気味良さそうに唇を歪めてみせる。
「僕はこの三人の友人であり、君の上司から彼らへの接触を許された研究者だぜ。この場にいることになんら不思議はない」
主張に、苛立たしげに片頬を持ち上げるフランツである。
「だとして先方が取り込み中なら、普通はひとまず出直すもんじゃないかね、オッテンバール君よ?」
「ハハッ。君だって招かれて上がって来てるじゃないか。この結果に違いはない」
「……日を改めて欲しいとは言いましたけどね」
横からアンリエッタが一言入れると、オッテンバールは何を馬鹿なとでも言いたげに肩を竦めた。
「お互いに忙しい身だ。時間のやりくりは重要だろ?」
またいけしゃあしゃあと、と非難する雰囲気がフランツとアンリエッタから流れたが、実りのないやり取りはそこで打ち切られる。今やすっかり頼もしく台所を取り仕切るようになったレームの声が、離れた場所から飛んできたからだ。
「もういいから、エッタは着替えてきなよ。フランツも、さっさと座って。ココアで良い? ルウィヒのリクエストのついでだけど」
「あ、ああ。悪いな」
フランツが席に着いたところで、アンリエッタは一言断って居間を出る。台所を抜け浴室へ入り、頭に巻いたタオルをほどいた。乱れた髪をタオルで叩き軽く伸ばすと、一つに結んでまとめる。袖まくりを戻して一枚羽織ってとして身支度を整え、来客たちの下へと戻った。
「――つまり、遠出をするから許可が欲しい、と?」
「はい」
一通り説明した事情を簡潔にまとめたフランツの理解を、アンリエッタは肯定する。隣では、話の行く末にぐっと視線を注ぐレームとルウィヒがいて、二人の様相に目を留めたフランツは軽く笑い飛ばしてみせる。
「そんな、判決か何かみたいに聞くほどのことじゃない。良いよ別に、国外やら行くってんなら少し考えなきゃいけないが……ただの田舎だろ」
回答に、顔を見合わせる兄妹。
「……旅行!」
「うたごえっ」
昨日文句を言っていたもののやっぱり気がかりだったらしいレームが、ルウィヒと一緒になって歓声を上げる。アンリエッタもまた二人を見つめて安堵して、それから再びフランツに目をやった。
「何か、一筆などは」
「いらんいらん。あんたらは別に、どこかの所属員でもなんでもないんだから。行き先がわかりゃそれで十分で、何か残る方が面倒だ」
はしゃぐ二人の空気に押されたのか、答えるフランツの声は幾分軽い調子だ。
さて会話には、軽々しいのは同じなのに異質な声が挟まる。




