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やがてペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ2〜  作者: ke
第2話「大人たちの込み入った関係」
10/19

2ー2 ①

 トットットットッ――


 アンリエッタは、壁一面にガラスの張られた通路を、ルウィヒと二人小走りに駆けている。


 小規模な宮殿じみて広大な敷地を有するボン・リシェスは、その内部を五つのビルで構成する。今いるのは、正面玄関から見て南東の建屋へと連絡する通路兼サンルームだ。熱気を凌ぐため屋外に茶色のスクリーンブラインドが掛けられた道は、それでもむわりと息苦しく、人通りもあまり無い。


 そんな中をスカートの裾を細かく揺らして走るアンリエッタは、後ろ手に引っ張る少女の方を見る。


「大丈夫っ? ルウィヒ!」


 息を切りつつ声を掛けると、ばたばたと手足を動かす少女がこちらと目を合わせる。


 へいきっ。


 二回り程度の背丈差とはいえ、大人と子どもの駆け足では疲労に違いがあろうと向けた気遣いには、そのような応答がある。


 色々あってデュボワ氏としばらく話し込んでいる内に、時間が経っていた。二人のめかし込みの事情を知った店員がそろそろ式典の始まる時間である旨を知らせてくれて、それで慌てて走り込んでいるというわけである。


 サンルームを抜け、南東の区画へ入る。エントランス同様に吹き抜けになった広間の奥側、壁に面して据えられた階段へ足を掛けた。さすがに少女がへとへとになってしまうかもと思って、歩いて上がる。変わらず手を引っ張りつつ後ろを窺って、ぽっかりと口を開けて息を吐くルウィヒを見た。


「ほらっ、もうすぐ」


 声を掛ける。


 実際に、段の終わりがもう見えている。アンリエッタは一歩先に登り切って振り返り、少女が追い付くのを待ち受ける。緩慢な動きで上げられた小さな靴が、最後の段を踏んだ。


「よし、ゴール!」


 急いでいるのに、つい両手を掴んではしゃいでしまう。そんなアンリエッタと裏腹に、ルウィヒは疲れを感じたのかすぐに反応を返さない。声を伝えないまま呆然と見つめ返して、やがて、握ったこちらの手ごと引き寄せ額に押し付ける。ぎゅっと、隠した目元の下の口に声はなく、息遣いを繰り返した。上気した肌の熱が伝わって、アンリエッタはなんだか、愛おしいものの気配を感じてしまう。


 ちょっとの間、息を整える少女を見つめて、それから周囲に目をやった。


「間に合った――のかな」


 四階、劇場ホール前。辺りの通路とスペースにはぽつぽつと幾つか、談笑を交わすドレスとタキシードの集団が目にされた。もしも開演していればこんな所で話してはいないだろうから、どうやら遅れずに済んだらしいとわかる。


 ロランたちはもう中だろうかと、もう少し注意深く目を凝らす。


「あっ」


 と声を上げてしまったのは、こちらを注視する顔があったからだ。見知った姿よりも整った服装をした彼は、おそらく招待客として来場している。狐に摘まれたような表情と視線が、アンリエッタたちへと向いていた。


「フランツさん!」


 名前を呼んだが、フランツの反応は芳しくない。ふいと目を背けたかと思うと落ち着かなくあちこちを見て、それからゆっくりと視線を戻してくる。


「?」


 怪訝に思いつつ、アンリエッタはつかつかとあちらへ近付く。だんだんと、疲れたような困惑したような表情を彼が浮かべているのがわかってくる。


「どうも。奇遇ですね」


「――ああ、っと。そうだな、嬢ちゃん」


 同意はいかにも歯切れが悪い。しばらく顔を合わせていなかったとはいえそれで気まずくなるような性質(たち)ではなかったはずなのにと、アンリエッタは首を傾げる。


 彼と最後に対面したのは、もうひと月以上前のことだった。兄妹たちが彼の部下に連れ出された事情について、後日改めて教えてもらった時だ。その後のレームとルウィヒの帰還については別の人間から知らされたので、話をしたのもそれきりということになる。アンリエッタが引き取った後も兄妹たちへの監視は幾ばくか残るという話だったので、もっと小まめに報告を求められるかと思っていたのだが、今の所、そういった傾向はないのだった。


 もしかすると。


「ごめんなさい、邪魔になったでしょうか」


「へ?」


 自分たちに拘う暇がない程、忙殺されているのかも知れなかった。彼の身分を正式に聞いたことはないが、どうも軍隊かそれに近しい組織に属しているらしいし、隣国で戦争が勃発し情勢が不安定になる中を色々と立ち回っているようだから、今ここにいるのだって、交友というよりは何らか潜入めいた任に就いているからという可能性が高いはずだ。


「お仕事中なのでは、と」


 問えばフランツは、整髪料由来の果実の香りを散らせながら、ぺったりとさせた短い髪を撫でる。


「いや、まあ、そうだが。邪魔って程じゃ」


「そうなんですか?」


「あ、ああ――ん?」


 フランツが声を出して下を見る。腰に置かれていた彼の手に、少女が触れている。


「なんだよルウィヒ? え? ……ああ、久しぶり」


 それから下を向いたまま、目を眇めるフランツ。


「……まあ、似合ってるんじゃないか? ……おう」


 何やら話した末に、満足げに笑むルウィヒ。放した手をアンリエッタへ伸ばす。


 なんか、気まずいみたい。


「気まずい――?」


「はあ!?」


「何がです?」


 フランツに目を向けて問うと、あからさまに言葉に詰まった様子だった。じっと見つめて、アンリエッタは答えを待つ。


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