第29章 – 地獄か、楽園か?
プールへの道のりは、まるで校長室へ続く廊下のようだった。アケミは一歩一歩、ビキニの伏兵がいないかと影を警戒しながら進む。その表情はいつも通りだ。冷たく、計算高く。母親に「彼女はまだ?」と聞かれた時と同じ顔。
ため息をついた。彼はプールの縁から一番遠いリクライニングチェアを選び、タオルを地雷原のように慎重に広げた。そして罠付きの椅子を疑うような目で腰を下ろす。仰向けになり、腕を広げ、空を見上げた。
「……で、俺は今から何をすればいいんだ?」歯を食いしばりながら、心の中で呟く。
脳内は生放送の討論番組だった。片隅では、理性的なアケミが叫んでいる。「最大警戒!これは心理戦だ!」。もう片隅では、人間的で、弱くて、裏切り者のアケミが囁く。「でも……みんな水着だぞ? 笑ってるし。太陽で肌がキラキラしてるし」
「落ちない。落ちてはいけない」そう呟く彼の顔は、拷問に耐える仏像のようだった。
その時、アリサが現れた。
プールサイドをランウェイのように歩いてくる。髪はアップにまとめられ、鎖骨がくっきりと浮かぶ。黒のビキニは、悪意ある建築家が設計したかのような代物だ。脇にはビーチボールを抱え、口元には「トラブル起きます」と書いてあるような笑み。
「アケミ、大丈夫?」彼女はわずかに身を屈めた。アケミの世界が一瞬でぼやける角度だ。
彼は答えない。雲を見ていた。雲は安全だ。雲に曲線はない。
「私のせいで固まってるの?」アリサは大胆に言い放ち、ビキニの紐で遊ぶ。「……困る?」
「……そういうわけじゃない」彼はNPCのように微動だにしない。
彼女は笑った。アリサの一点。
「どうせいるんだし、手伝ってよ」日焼け止めのボトルを差し出す。「焼けたくないの」
アケミは、マッチ箱を持った猫を見るような不信の目で彼女を見た。
「自分で塗れないのか?」
「あなたの才能を無駄にするの? お願い〜」ラスボス級の上目遣いをすると、くるりと背を向けて座った。聖人でもフリーズする背中だ。
アケミは爆弾処理班のようにボトルを受け取った。
「……わかった」
手に取り、擦り合わせ、外科医の精度で塗り始める。背中、肩、首。顔はポーカーフェイス。心臓はドラムソロ。
「ねえ、ロボットモード起動中?」アリサが振り向いてからかう。
「塗れとは言った。笑えとは言ってない」素っ気なく返す。
「ひどーい! でも楽しい」彼女は笑い、彼は腰のあたりで手を止めた。
手を洗おうと立ち上がった瞬間、召喚されたかのようにミウが現れた。白いビキニ、子犬みたいなエネルギー、日焼け止めをワールドカップみたいに掲げている。
「次は私! 私も塗って!」
アケミは天を仰いだ。「神様、いますか?」
「行こうよ、アケミくん〜。すっごく上手なんだから!」ミウはくるっと背を向けて、少しだけ腰を振った。
同じ氷の表情で、アケミは作業を繰り返す。技術は完璧。魂は絶叫。
終わったと思った矢先、今度はサヤカが眼鏡を押し上げながら近づいてきた。控えめなビキニ、透けるパレオ、手にはタブレット。
「論理的に、全員に均一に塗布すべきでしょう。ですので……お願いできるかしら」
アケミは生唾を飲む。
「君もか?」
「私は全員に同じ統計的基準を適用します」そう言うやいなや、返事も待たずに背を向けた。
彼女がタブレットを読んでいる間、アケミは作業する。「……ここは地獄だ」と結論付けた。
そしてミウが戻ってきた。無邪気という名の混沌の修士持ち。
「アケミくん、ここ塗り忘れてるよ!」そう言って、当然のように前を指さした。
「……は?」
脳が再起動する前に、ミウは彼の手を取った。そして水着の上から、肩と胸の上の方に日焼け止めを塗るよう優しく誘導する。
「恥ずかしがらないで! 私は平気だよ〜」笑顔だ。
アケミのOSがクラッシュした。耳まで真っ赤、顔は凍結。「大丈夫。大丈夫」呪文のように繰り返す。
遠くで、リカとサヤカが目配せする。
「あの子、思ったより耐えるわね」リカが囁く。
「誰にでも限界はあります」サヤカは眼鏡をくいっと上げて微笑んだ。
「この子、氷の塊ね」リカは腕を組む。「でも、かなり面白い氷」
「アケミ! 一緒に遊ぼう!」ミウが叫ぶ。
「嫌だ」即答。
「却下!」四人に囲まれ、米俵のように担ぎ上げられ、プールサイドまで運ばれる。
「な、何するんだ!? おい! おいって!」濡れた猫のようにジタバタするアケミ。
「入水、兵士!」アリサが笑い、ドボン。
水を吐きながら浮上する。髪は額に張り付き、尊厳はプールの底だ。女の子たちは拍手喝采。
「よくやった、アケミ!」ミウが称える。
ふん、と鼻を鳴らし、隅まで泳いだアケミは濡れたTシャツを脱ぎ捨てた。太陽がその線を浮かび上がらせる。鍛えられた胸、割れた腹筋、その事務的な性格とは裏腹な腕。
静寂。
「え……?」サヤカは現実を調整するように眼鏡を押し上げた。
「真面目くん、やるじゃない!」リカが口笛を吹く。
「アケミ……オリンピック目指して秘密特訓でもしてるの?」ミウは真っ赤だ。
アリサは唇を噛み、胸の下で腕を組んでゆっくりと彼に近づく。
「何か隠してると思ってたけど……これは予想外ね」彼女の視線が隅々まで在庫確認していく。「別に大したことない」彼は逃げるようにプールの中央へ泳ぐ。
「私たちにとっては大有りだよ!」ミウが後を追って飛び込む。
「水中バレーやろう!」リカがボールを引っ張り出す。
「賛成! でもアケミはうちのチームね」サヤカが、急に非科学的なことを要求した。
試合は純粋なカオスだった。叫び声、水しぶき、「偶然」抱きつく形になる押し合い。アケミは真面目にやろうとする……ボールが顔面に直撃するまでは。
「て、てん、私たちの勝ち……」ミウが笑いを堪えて囁く。
「不公平だ」顎から水を滴らせながら、彼は呟いた。
それでも、初めてだった。楽しいと思ってしまった。絶対に認めないが、裏切り者の笑みがほんの少しだけ顔を覗かせていた。
アリサと目が合う。彼女はボールを力強く投げながら、共犯者のような笑みを向けてきた。
地獄も、日焼け止めとバレーがあれば、そう悪くないのかもしれない。
へへへ、みんなこんにちは。また投稿が遅れてしまってごめんね。最近は毎日が本当に忙しくて大変なんだ。でも、楽しんでもらえたら嬉しいし、これからも応援してくれるとありがたいです!




