6話
なんにもない。
本当に、どうしようもない。
情けない。仕方ない。堪らない。
「いただきます」
夜も更け、日付も変わってしまった。
こんなに長い1日はいつ以来だろう。
いつもいつも、どうして壊れてしまうんだ。なにもかにも、壊してしまうんだ。
悪いのは俺か?
いや俺だろ。言い訳なんか聞き飽きた。
馬鹿みたいに這いつくばる姿は本当に醜くて嫌になる。
「ご馳走さま」
二つ作ったオムライス。
夜になれば帰ってくるとたかを括っていた。
お腹が減れば戻ってくる。
外は寒いから帰ってくる。
そうしたら謝って、オムライスと、それからケーキを食べようと、そう思っていた。
「…………」
人間は愚かだなんて、そんな巻き込み事故みたいな発言をするつもりはない。
愚かなのは多分俺だけだ。
同じ過ちを繰り返すのは俺だけだ。
「いや、なにやってんだよ」
気がついた時には、パプリナは姿を消していた。
それはまるで、物語の中のかぐや姫が影となって消えたように。唐突に、忽然と。
そういえば、買ったコートは着ていったのだろうか?
もしかして、部屋着のまま出ていった訳じゃないよな?
腹を空かせてごね始める時間はとっくに過ぎてるだろ?
『思い悩んで悔やんで病んで、姫は壊れてしまわれた』
二人で始めてテーブルを囲んだ焼肉屋での、彼女の言葉を思い出す。
かぐや姫は心を病んで、不死の薬を過剰摂取した。
薬を飲んだのが先か、壊れたのが先か、そういえば聞いていなかった。
不死の薬についても結局聞いていない。
本来月の民のサイズはどの程度なのか、縮小化や巨大化する術はあるのか、パプリナは何歳なのか、どうしてお前が地球に派遣されてきたのか。
俺、なんにも聞いてないな。
全部一人で考えて、勝手に分かった気になって、聞きもしないで間違って。
『貴方は何も、何一つわかってくれなかったね。最後の最後まで』
くそ……なんで思い出すんだよ。
今更懺悔しろって言うのかよ。
『ずっと一緒にいたけど、心はどこかに飛んでっちゃった』
アイツもきっと同じなのだろう。
そうさせたのが俺であるなら、いや、そんな曖昧な表現は相応しくない。
俺がアイツを壊した。
だから――。
「案外、似てるのかもな。帝」
経緯こそ違えど結果は同じ。
最悪だ。
きっとかぐや姫も、アイツと同じことを思っているだろう。
『貴方と出会ったのが間違いだった』
所詮俺はあの頃から何も変わっちゃいない。
数年で変われるわけがなかったんだ。
千年の時があるなら変われたかもしれないけどさ。
無理な話だよな。
わかってる。そんなことは。
「オムライス、どうしよう」
あの子が食べたがっていたそれに目を落とし、呟いた。
俺はどうして彼女を家に招き入れたんだろう?
彼女は無理強いしたわけじゃない。断れば恐らく大人しく家を出ただろう。
それなのに当たり前のように彼女を養って、遊んで、面倒を見て。
他人どころか星人相手に、おかしな話だ。
無論、分かってる。
誰でもない、俺のことだ。
目をそらしても、知らん振りを決め込んでも、分かってしまう。
ただ、生きる理由が欲しかっただけ。
それも、ただ生きるだけでは駄目で、美しく生きるためだ。
――ピンポーン。
「あっ……」
チャイム……鳴ったよな?
聞き間違えだろうか? こんな夜更けに。
――ピンポーン。
いや、はっきり鳴ってるじゃないか。
こんな時間に、ウチを訪ねるやつなんていない。
ということは。
「パプリナッ!」
心臓がうるさい。
年甲斐もなく廊下を走り、玄関の扉を勢いよく開いた。
「心配したんだぞ! どこ行って……」
だがしかし、そこに立っていたのは、パプリナではなかった。
「こんばんわ」
知り合いというわけでもない。
誰だよ?
ていうか、うちのマンションの玄関ってオートロックだったよな?
じゃあ住人か?
いや、俺が住んでいる階にこんな女はいない。
神々しいまでに美しい顔立ちをし、煌びやかな和装を着込んだ神秘的な女性。
パプリナと似ているようなそうでないような彼女は、混乱する俺にニコリと笑顔を浮かべた。溝川のように濁った瞳で。
「お久しぶりです。帝様」
「みか……え、ちょっと。あんた、なんなんだ」
「お忘れですか? 私のこと」
いやいや、まって、ちょっとだけでいいから。
「私は一瞬たりとも忘れたことなどありませんのに」
違うだろ? まだ早すぎる。
「帝様はすっかりお忘れなのですね。酷い人」
聞いていた話と全く違うし、登場の仕方がイメージと違いすぎる。月の軍勢はどうしたんだよ。なんで単身乗り込んで来てるんだ。
「そうですか。そうでしたのね。わかりました、ええ、わかりましたとも」
知らない 、お前のことなんて。でも――。
「意地悪をしているのでしたらお辞めになって? 続けるというのなら、私にも考えがあります」
彼女の身につけた首飾りには見覚えがある。
「別れ話を致しましょうか」
あれの名前はプラリル。萬のことにつかいけりな便利アイテム。
「違わないでくださいね? 私と貴方のものではありません」
どうする? どうすればいい?
「貴方とこの世の別れ話」
暗闇が包む新月の夜。
「月の無い、この夜の中に座すれば、閉じた眼に移すはお敵」
唐突にそれは現れた。
「千年余の愛情を、全て貴方に捧げましょう」
どこまでも美しく、そこはかとなく醜い、薬物中毒のお姫様。
「幾数年の愛憎を、努めて貴方に届けましょう」
――かぐや姫。
「まぁ! 思い出していただけた? それともやはり意地悪を? どちらにしても嬉しいですわ」
「いや、違う」
相見えて、愛塗れればそれでいい。
でも、それじゃあ腹の虫が治まらない。
「思い出すはずがないだろ? 俺はあんたと初対面だ」
自己嫌悪……いや、同族嫌悪か。
帝、良かったな。あんたは俺なんかとこれっぽっちも似ていない。
「忘れているのはあんたの方だ。帝は……とっくの昔に死んでるよ」
覚えているはずがないんだ。
千年もの間会えなかった人間の顔を覚えているなんてあり得ない。
たった数年で、思い出せないやつだっているのに。
「少し話をしよう。ああ、勘違いしないでくれよ」
この女は多分、帝に対する愛情なんて忘れてる。
それ以前に、初めから愛情があったのかどうかも怪しいところだ。
「別れ話じゃない。昔話だ」
恋に恋するなんて可愛いものでもない。
かぐや姫は俺と同じで、故意に恋をしているのだ。