4話
パプリナが我が家に来てから三日が経った。
しかし特に以前と変わらないというか、仕事部屋でパソコンの前に座り、ひたすら画面とにらめっこ。いつも通りの俺である。
悲しいかな、地面に這いつくばっている以上、仕事と言う重力からは逃れられない。
「帝ぉ〜。何がお手伝い致す〜? お手伝い致す〜?」
「いや、大丈夫」
「……しかりぃ」
違うことがあるとすれば、さっきから暇そうにチョロチョロ動き回っている和服の女の子がいると言うことだけだ。
昨日、一昨日と同じく、三時間くらいは大人しく背後に座っていたのだが、昼を過ぎたあたりから飽きてくるようだ。
「……帝のお仕事は何をすることにあり?」
「んー? 金を増やすことだよ」
「それだけ?」
「うん」
それだけでも結構大変なのだよ。
「お金はそんなに大切にあり?」
「そりゃそうだ。月じゃどうか知らないけど、日本では金がないと何もできないからな。飯も食えないし」
「不死の身であれば食べなくてもよきにあらず?」
「はい? あ、ああ、いや」
そうか、俺が帝なら薬は飲んでることになるのか。
そうでなければかぐや姫の時代から今まで生き長らえている理由が無いからな。
「お前が食えなくなるだろ? お前はまだ薬を飲んでないんじゃないのか?」
「然り〜。他が身を思うてのこととは、まこと優しき帝にあり〜」
「いやまぁ、俺も食いたいし」
実際、食わなくても平気というのはかなり便利そうだな。
でもまぁ、不死身なんて死んでもごめんだ。
「だからもうちょっと待っててくれ。終わったら飯にしよう」
「楽しみにあり〜」
「うん。そうだな」
パプリナは納得したのかなんなのか、再び背後に座り込んだ。
これで仕事に集中できる。
「…………」
「…………」
「…………いやまてよ?」
「はて? いかがなされた〜?」
よく考えろ俺。
この子の言う通りじゃないか。
なんで金を稼ぐ必要がある?
かぐや姫が来るまであと一ヶ月足らず、そこで仮に地球を破壊されても、それを阻止できたとしても、結局のところ俺の結末は変わらないんじゃないか?
現状、普通に老後まで暮らせそうな金はあるだろう。
仕事が完全に癖になってますよ。
「よし、もう終わりだ。待たせて悪かったな」
「まことなり〜!?」
「ああ、なんかしたいことはあるか? 何でもいいぞ」
「やりし〜!」
飛び跳ねて喜ぶ姿は子供っぽく、出で立ちに反して雅さに欠けるが、なんだか犬みたいで可愛らしい。
「ならばならば〜」
「うん」
パプリナは少しの間、体を左右に揺らしながら考えていたが、ハッとした様子で瞳を輝かせた。
「お出かけいたしたく〜!」
「ほう」
そういや、家から出してなかったな。
俺が普段外出しないせいで完全に抜けていた。
家の中にいるよりは健康的でいいだろう。
「じゃあどっかいくか。飯も外で食べよう」
「やりし〜! 早く〜早く〜」
「いや、待ちたまえ若人よ」
「はて?」
行くとしたら大型ショッピングモールか、それとも駅前のアーケード街かのどちらかだろう。
外は寒いしショッピングモールの方が賢いか。
どちらにしても、問題点が一つ。
「取り敢えず、普通の服を着ような」
こんなに重そうな衣装じゃ動きにくいだろうし、何より目立ちすぎる。
「はて? これぞ地上の正装と聞きたりし」
「いや、それもう何百年も前の服装だから。今じゃそんな格好で街中歩く奴なんていないよ。俺だって着てないだろ?」
「あなや!」
「あと、その喋り方なんだけど、もうちょっと今風にできないか? なんだったら言葉教えるけど」
驚くたびに「あなや」と叫ばれてしまったら変な目で見られそうだし。
「心配無用にあり。プラリルあらばいとたやすきことなり〜」
「あ、今風にもできるんだ」
「然り〜よろずのことにつかいけり〜」
ではなぜ最初からそうしなかったという疑問も残るが、まぁいい。
彼女は首飾りを少しの間弄り、満足げに「うん」と呟いた。
「出来たのか? ならなんか適当に着れそうな服出すから……」
って、そういえばこの子、うちに来てから風呂入ってたっけ?
いや、多分入ってないよな?
てか、俺も入ってなくない?
なんかちょっと臭うなと思ったらそれが原因か。人として終わってる。
人と会わない生活が続きすぎて色々とおざなりにし過ぎだろう。
「……服の前にまずシャワーだな。パプリナ、お前も一回シャワー浴びて来いよ。人の多いところに行くから最低限綺麗にしてからじゃないとな」
「うける〜」
「え?」
うける〜って何? 俺おかしなこと言いましたっけ?
「シャワーとかイミフ〜。てか〜プラリルがあればマジキレーだからー」
「……あ、そうなんだ」
「プラリルマジ卍〜」
「…………」
これが今風……なのか?
……なんか、思ってた感じと違いけり。
「で、でも取り敢えず浴びてきたらどうだ? 地球と月じゃ環境も違うだろうし。その間に服も用意しておくからさ」
「ありよりのあり〜。ちょっぱやでよろ〜」
「ちょっぱや……? まぁいいや。じゃあ使い方教えるから、こっちおいで」
「おけまる〜」
「…………」
動揺を隠せません。
声色はさっきまでと全然変わらずふんわりしているのに、言葉遣いだけでここまでイメージが変わるのか。
「えっと、ここのつまみを捻るとお湯が出るから。バスタオルはそこな。あとなんかわかんなくなったら聞いてくれ」
「りょ、あざまる水産〜」
「あざまる水産!?」
「帝マジ好きピ〜。ヤバみ」
「ヤバみ……」
自分で言い出しておきながらなんだが、余計に意味がわからなくなった。
今時どころかどこの異国語だよ。
「なぁ、やっぱり元に戻して貰っても……」
「わっ! シャワーゲロエモ〜。卍からの卍〜」
「……パプリナ」
「どした〜?」
いくら身勝手と言われても、わがままと思われても仕方がない。
だが、これだけはハッキリさせなければと、俺は声を大にした。
「言葉遣いを今すぐ直せ」
* * * * * *
「ただいま〜」
「……ただいま」
疲れた。
クッソ疲れた。
そしてメッチャ金使った。
「帝〜。感謝致す〜。いと楽しけり〜」
「……どういたしまして」
服屋の店員というのはなぜああもコミュ力が高いというか、悪く言えば図々しいのだろう?
あれやこれや言われるがまま、試着に試着を重ね、結局かなりの量の冬服を購入してしまった。
自分のものを一切購入していないのに6桁くらい飛んで行ったから驚きだ。それも値下げされている状態でだ。
まぁ、下着に関しては店員がいたからなんとかなった感があるからあまり強くは言えないどころか、むしろ感謝するべきなのだろうが。
「このべべ、いとうつくし~」
「そっか。気に入ったんなら良かったよ」
「ありがたや〜」
行くときはダボダボのメンズに身を包んでいたこの子も、すっかり女の子らしい格好になった。
こうしてみると、あまり神々しさとか、異物感は感じない。
まぁ、俺が大金を溜め込んでいても宝の持ち腐れだ。
税金を納めるだけじゃなく、経済を回すのも重要な事だろう。
「こっちも着てみてよきにそうろう?」
「もちろん。お前のだからな、好きにしていいぞ」
「やりし~!」
それに、こんだけ可愛い子に喜んでもらえるなら服も本望だろう。
俺も悪い気分じゃない。
うん、良く着こなしてるし、いとグッジョブ店員さん。
「はて? これはどう着ればよき?」
「あーいや、パプリナさん。流石に目の前で脱がれるのはちょっと……」
「あなや~。これはご無礼つかまつった~」
パプリナは服をギュッと抱きかかえると、部屋の外へと出ていった。
危ない危ない。
危うく犯罪チックな場面を我が家で繰り広げるところだった。
これはあくまでお腹をすかせた可愛そうな宇宙人を養ってあげる的なハートフルストーリーでなければならないのだ。
そう、パプリナはあくまで可愛そうな宇宙人でなければならない。
「……まぁ、可愛そうなのは誰なのかってな」
のほほんとしてしまっているが、本来はこんなことをしている場合ではないのだろう。
彼女が月から来た宇宙人であることを疑いはしないし、余地もない。それだけの物を俺は目にしている。
そんな彼女の姫が、かぐや姫が、この地上を破壊するつもりでいるというのに、俺はどうしてこうも落ち着いていられるのか。薄情でいられるのか。
心のどこかで思っているからだ。
破壊されてしまえばいい、消えてしまえばいいと。
そんなこと、可哀想な奴しか思わない。
だからパプリナは、可愛そうな宇宙人でなければいけない。
少なくともそれを保護している間だけ、俺は――。
「ピロップ! パペピロル~!」
「え?」
聞き慣れない言葉が不意に耳に届いた。
しかし、その声は最近よく耳にするものであり、その独特な鳴き声は、聞き慣れていなくとも聞き覚えはあるものだ。
「どうしたパプリナ!?」
慌てて駆けつけた風呂場の脱衣所。
「ピラリロ……ポリピン……」
「――って、お前それ」
大粒の涙を浮かべるパプリナ。
中途半端に服を身に纏った彼女の足もとに、小さな黒い球体がいくつも転がっていた。
「プラリル……ラパリナル……」
パプリナがなにを言っているのか分からないが、だがしかし、この子の場合は表情が全てを物語っている。
プラリル……だったか。
服を無理やり着ようとしてひっかけてしまったのだろうか。案外、脆い作りをしていたようだ。
「……メルゥ……メルゥ……」
立ち尽くし、泣きじゃくり始めた彼女に何と声を掛ければいいのかわからない。
変な泣き方だね。とか、言えるような場面でもない。
「どっ――」
泣いている子を慰めるのは、俺が最も苦手とする分野だ。
だからと言って、言い訳するつもりは無いのだが。
「ドンマイ」
ドントマインド。
略してドンマイ。
気にするなという意味の和製英語。
余りにも他人事であるとなじられてもおかしくない言葉しか出てこなかった。
全く俺は何度繰り返せば気が済むのだろう。死んだらこの馬鹿は治るのかな?
「本当に、可哀想な奴だよ」
どちらにしても今の彼女には何も伝わらない。
そう思うと、なぜだか少し気が楽になったのだった。