優しい魔物 2
玉座の間から出たメフィストフェレスは、辺りを見渡した。 幸い近くに魔物はいない。 彼はつま先でトントンと床を叩く。 すると見たことのない魔法陣が広がった。
「これは……」
『ここじゃゆっくり話もできないだろ。 追っ手がかかる可能性だってある』
メフィストフェレスは蓮がやって来たのを確認すると、魔法陣に魔力を流し込んだ。 光に包まれて、一気に違う場所へと転移が完了した様だった。
先ほどまでの城とは一変して、無機質な空間だった。 上も下も分からなくなるような場所。 祭星はクルリと辺りを見渡すと、ここがエスペランサと出会った時の場所だと理解した。
『とりあえず、一旦ここに避難だ。 ここを経由して人間界に戻ることもできるからね』
メフィストフェレスは祭星の腰のホルダーからエスペランサを取り出すと、パラパラとページをめくった。
『でもここは通常ならば人も魔物も存在してはいけない場所なんだ。 エスペランサは生贄として神に捧げられた者だからここにいることが許されているけど、ここは神のベールの中。 ボクらはさっさと出て行かなきゃね』
「神のベールって確か、魔力密度が最も高いって言う……」
『そ。 ここは隠れるのにぴったりなんだ。 怒られる前にさっさと出ないと行けないんだけど、ボクも流石に、久々に顔が見たくなったんだ』
すると彼は片手を虚空に差し出す。 その手を優しくとるように、エスペランサが姿を現した。 真っ白の髪がふわりと靡いて、彼女が目を開く。
『久しぶりね、ディスペアー……』
『ああ、久しぶり、エスペランサ』
エスペランサとその守護者。 エスペランサはメフィストフェレスの額にキスをすると、彼の隣に降り立つ。
『何年ぶりかしら貴方とこうして顔を合わせるのは……。 相変わらず、素敵よ』
『ボクも会えて嬉しい。 ずっと会いたかったから』
顔を見合わせて微笑む二人。 その姿はまるで恋人のようだ。
「あの……」
『あら、ごめんなさい。 ワタシと彼は夫婦だったの。 普段はワタシはここから出れないから滅多に会えないの』
「ふ、夫婦?!」
思わず大きな声を出した祭星を、メフィストフェレスが睨んだ。 祭星は慌てて口を抑えると、小さく尋ねる。
「えっと……その、本当なんですか?」
『嘘をつく利点がないだろ? キミも知ってるだろ、エスペランサは一人の女性を生贄にして作られた。 それが生前のボクの妻、そしてそれを止めることができなかったボクが魔界に堕ちたのさ』
『ディスペアー、それじゃ伝わらないわ。 貴方もこの子と契約をするのだったらちゃんと話すべきでしょう?』
ね? と微笑むエスペランサ。 メフィストフェレスも彼女には軽口を叩けないようで、唸るように考えた後、仕方ない……とため息を吐いた。 流石に逆らえないのだろう。
『……昔、それこそ今から千年前の話だ。 ある王国には王子が二人いた。 次期国王として教育を受ける兄と、呪われた弟。 二人は腹違いで、弟はメイドと国王の子供だった。 国として、愛人の子を産ませるわけにはいかないと考えた貴族達は、毒入りの紅茶をメイドに飲ませた。 結果、メイドは死んでしまったが、臨月だった腹の中の胎児は取り出された。 だが、その毒を吸収してしまった赤ん坊は触れる者、近くにいる者の体を徐々に蝕み、毒で殺してしまう体になってしまった。 そんな赤ん坊は腫れ物として扱われながら成長し、その国随一の魔法使いとして君臨した。 名をディスペアー・シェーウルフという』
メフィストフェレスはどこか遠くを見るような目を伏せる。
『そんな彼の補佐として選ばれたのが、光の白巫女と呼ばれていたエスペランサだった。 エスペランサは彼の毒が効かない不思議な女性だった。 二人はお互いに惹かれ合い、婚約を交わした。 エスペランサの側にいるのは魔法使いの彼であり、彼のことを一番に気遣うのはエスペランサだった。
年月が経ち、その王国は徐々に廃れていった。 土地は乾き、穀物もとれない。 現状を憂いたその時代の国王は何人もの魔法使いを集め、一つの魔道書を創ることにした。 慈愛の魔道書、全てを創ることのできる魔道書を。 その為に、光の魔力を持つ、健全なる肉体と魂を使った。 それがエスペランサだった。
当然、エスペランサの夫は反対をするだろう。 それを知っていた国王は彼女の夫が任務で国に居ない隙を狙って、エスペランサを生贄に捧げた。 夫の知らぬ間にエスペランサは捧げられ、その魔力で一つの美しい魔法具へ変貌した。 魔法具は国王の願いを聞き入れ、その国を豊かな国へ変えた。 役目を終えた魔法具は殻になった。
やがて、帰還した夫は事の顛末を知る。 彼は憤った。 それもそうだ、自分の腹違いの兄に、愛する妻を殺されたんだから。 ボクは怒りに身を任せ、エスペランサを魔法具へ変貌させた魔法使いを殺した。 一人残らず、平等に。 それでも収まらなかった怒りは、殻になった魔法具へ閉じ込めた。 そう、慈愛のために生まれた魔法具は、怒りを渦巻く魔法具へ姿を変えた。 それこそがエスペランサの裁き、ボク達に起こった悲劇さ』
「……」
祭星は俯いた。 そのあとメフィストフェレスが話した事によれば、エスペランサの裁きは厳重に保管され、それを受け継いだのがデイビッド家だったらしい。 だからこそ祭星がエスペランサの裁きを制御できるのだろう。 一通り話し終えたメフィストフェレスはふうとため息を吐くと、本を祭星へ戻す。
『兄はどうなったのか知らないんだ、その後ボクは重罪人として魔界堕ちになった。 生きてなければいいけど』
「名前を聞いたら私わかるかもしれない、魔法史について最近勉強してたから」
夕方の図書館で読んだ分厚い本を思い出す。 記憶にも新しい本だ。 メフィストフェレスは忌まわしい名を吐き捨てる。
『ランスロットだ。 ランスロット・シェーウルフ。 ヴァチカンを設立した男だよ』
「……ランスロット、聖王?」
聞き馴染みのある名前。 祭星が震える声でそう呟くと、メフィストフェレスは愕然とした表情になった。 そして拳を握る。
『あいつ、まだ生きて……!?』
高位の魔法使いになればなるほど、自らに魔法をかける。 なるべく永く生きていけるよう、老いを遅くする魔法を。 そして永い時間をかけて魔法を極めるのだ。
『……杯祭星、ボクはお前と契約をする』
「え?」
『ボクの残りの時間をお前にくれてやる。 ボクの全部の命数をお前のために使い果たしてやる。 だから、お前はアルトストーリアを、死ぬ気で使いこなせ。 そうでもしなければ、あの聖王を打ち負かせられないだろ』
メフィストフェレスが一歩祭星へ近づく。 祭星は彼の言っている意味がよくわからず、驚いて身を退いた。 彼の言っていることが正しければ、王が何かを企んでいるという事だろう。
「聖王が、何か企んでるってこと?」
『……お前は、なんで産まれたのかわかるか?』
「エスペランサの適格者になる為に……」
ここまで口にして、祭星は目を見開いた。 そしてわなわなと震えだす。 蓮もまさかと、顔色を変えた。
「聖王は、デイビッド家に受け継がれたエスペランサの裁きを取り戻したいわけか」
『そういう事になるね。 知ってるだろう? エスペランサの裁きはこの世でも強力な力を持つ魔道書。 その魔道書が欲しくてたまらないんだ、元々自分のものだったそれを、奪い返したいんだ。 だからアイツは、デイビッド家に取り入った。 それでも今の当主のクラウンは適格者になれなかった。 ボクのお眼鏡に適わなかったってのもあるけど、クラウンは何かを創り出すのに向いてる性格じゃないからね。 だから聖王はアナスタシアを利用した』
生き返りたいのならば、生き永らえたいのならば。
エスペランサの裁きという、万物をも創り出す魔道書を使えば良いと。 そう囁いたのだろう。
それを真に受けたアナスタシアは、エスペランサの裁きの適格者を創り出す。 強大な魔力を持つ少女、エトワールという少女を。
そして、少女にエスペランサを授け、恰も自分は味方だと言うようにアナスタシアの非道な行いを少女に告げる。 結局のところそれは間接的に伝える形にはなったが、少女はまんまと「アナスタシアが悪い」というように思い込んだのだ。 エスペランサを受け継いだ少女はアナスタシアを倒し、更なる高みへと登りつめた。 『それが問題なんだよね』とメフィストフェレスが不愉快そうに言った。
『キミが強くなってしまえば、それだけエスペランサも魔力を溜め込む。 今のままでアイツの手に渡ってしまったら最低だ』
「……そもそも取り戻して何をしたいの」
『さあ、その辺は計り知れないよ。 だからこそ阻止するべきだろう。 ただ観賞用にしたいんだったとしても、エスペランサはボクの妻なんだよ、渡すわけない』
メフィストフェレスはウンザリと大げさにため息をつくと、祭星にうやうやしく跪いた。
『さ、契約だ。 準備はいいかい?』
「できているけど……、私、契約の呪文なんて知らない」
『……ボクが唱えればいい。 エスペランサも、それで良いだろう?』
『そうね』
エスペランサはそう言いながら祭星の額にキスをする。 姿が薄く消えかかっている。 本に戻るのだろう。
『ワタシはエスペランサだけれど、もう永いこと魔道書だったから、エスペランサではなくなったの。 人間のエスペランサはもういない、ワタシは魔道書のエスペランサの裁き。 だから祭星、ディスペアーのことよろしくね、彼は良い人だから……』
エスペランサの姿が消えた。 すると、辺りから聞き覚えのない歌声が小さく聴こえてくる。
『まずいな、さっさと契約して人間界に戻ろう。 これは神々の見張り番の声だ』
メフィストフェレスは立ち上がると、祭星に右手を差し伸べた。 祭星がその手をとると、彼は指を絡める。 そして彼は胸元につけてあったブローチを外すと、左手でそれを握りしめる。 自分の額を祭星の額へコツンと合わせて、彼は呪文を唱え始めた。
『《うたえうたえ銀の歌 むすべむすべ龍の調べ すべては我が願いのために すべては汝の力のために》』
二人を取り囲むように、黒いイバラが足元から伸びる。 それは徐々にメフィストフェレスの首に伸びて絡まり、呪文が終わると共に砕け散った。 その粉がブローチへ吸い込まれてゆく。
メフィストフェレスはゆっくりと手を離すと、指をパチンと鳴らした。 その瞬間、辺りがぐにゃりとねじ曲がり景色が一瞬で変わった。
驚いた祭星が辺りを見回すと、そこは祭星の自室だ。 ヴァチカンの自室で、三人いると少し狭く感じる。
どうやら人間界に戻ったらしく、ほっと胸を撫で下ろした。 魔界などもう二度と行きたくないと、祭星は思った。
『これ、渡しておく。 そのブローチがあればボクの主人って意味だ』
メフィストフェレスがブローチを祭星に投げやる。 祭星がブローチを受け取ると、紫色に光っていた宝石のブローチが灰色に変化してしまった。 首を傾げていると、メフィストフェレスはクスクスと笑う。
『ボクが実体化してる時は灰色になる。 紫色になっている時は魔界にいる時だったり実体化してない時だ。 そのブローチを介して話すこともできる。 ま、それのことは第二のボクと思ってくれて構わない』
メフィストフェレスはそう言って、祭星に手を差し出す。 握手の意だろう。
『よろしく、ボクの主人』
「よろしくね、メフィストフェレス。 ……って、長いから違う呼び名でもいい?」
『……好きにしなよ』
「本当? じゃあメフィストくん。 これからよろしくね!」
呼び名であったとしても、使い魔に名前を付けるということがどういう事なのか、この時の祭星はまだわかっていない。 しかも、契約の呪文をメフィスト側が唱えた意味も未だ知らないのだが、それはもっと先で必要になってくる知識なのであった。




