優しい魔物 1
メフィストフェレスに連れられてやってきたのは人気のない展望台だった。 ここは職員しか入れないエリアで、常日頃からこの塔に住んでいる職員にとって展望台はあまり人気がないのだ。
メフィストフェレスはソファに座ると、ムッとした顔に頬杖をつく。
『お前はさ、それでいいわけ?』
「え?」
『何も知らずに契約して、こんな大役背負って、自分の精神を削って!』
「……最初は嫌だった。 でも今は違うの。 最初は私一人だけだったから、辛かったし、何も分からなかった。 でも今は蓮が側にいてくれる。 それに」
祭星はメフィストフェレスの目をまっすぐ見つめる。
「どんな結果が待っていたとしても私はアルトストーリアを制御しなきゃいけないの。 クラウンさんを助けるために」
『お人好しがすぎる。 いいよ、魔界に連れてってあげる。 でも、ボクは契約を保留する。 自分の命を大事にしないヤツはキライなんだよボク』
メフィストフェレスは立ち上がると、虚空をコンコンとノックした。 すると紫色のゲートが開かれる。
「えっ、もう行くの?!」
『早いほうがいいんでしょ、アルトストーリアを制御する魔物と契約するんだったら、それ相応の時間は必要だよ?』
祭星は蓮と顔を見合わせる。 蓮がうなずくので、祭星は恐る恐るゲートの中へ足を踏み出した。
ゲート、と言えども京都へ向かった時のゲートとは違っていた。 一瞬で魔界へ移動したのだ。 てっきりゲートの中身があると思っていた祭星は拍子抜けしたような顔をしていた。
『良かったね、ひとっ飛びだ。 魔界のゲートはどこに繋がるか分からないんだけど、今回は城の前に繋がった』
それほど王がキミを望んでたんだろうね。 とメフィストフェレスは呟きながら目の前の城を見上げる。 魔界は中世のような建物が多く、空は夜空が美しい。
「夜……?」
『ここじゃずっと夜だ』
黒い城に繋がる橋をメフィストフェレスが渡って行く。 祭星もそれに続き、蓮が周りを警戒しながら橋を渡った。 想像していた場所より栄えている、と蓮は思った。 枯れた木々に痩せた土地。 そういうイメージだったのだ。 魔界の資料は少なく、実際に行ったことがある人間は殆どいないのだ。
巨大な門がゆっくりと開く。 三人を待っていたのは大人数の執事とメイドだった。
『ようこそお越しくださいました』
『驚いた、ボク達が来るってわかってたワケ』
メフィストフェレスは機嫌が悪いように腕を組むと、ふわりとその場に浮いた。 フヨフヨと祭星の横に浮かぶと足を組んで寝転ぶような体制になる。
『お二人は大切なお客様でございます。 さあ奥へどうぞ、王がお待ちです』
「王……?」
『我らが魔界の王、ルシファー様がお待ちです』
案内されるがまま、祭星と蓮は奥へ。 玉座の間まではそう遠くはないようだったが、それでも五分以上は歩いた気がする。
次第に押し潰されそうなほどの魔力を感じ取った祭星は眉間に皺を寄せる。 その様子に気づいた蓮が、後ろからこっそりと声をかける。
「大丈夫か」
「うん、大丈夫……。 毅然とした態度で行かないと……クラウンさんのためにも」
と、いいながらも冷や汗が流れる。 恐らく自分よりも多い魔力量だ。 圧倒されるような魔力を感じるのは初めてだ。
赤い上品な扉の前、その前に祭星が立った瞬間、扉は音を立てながら開いた。 目の前に広がったのは朱色の絨毯と、怪しげに揺れる蝋燭の灯り。 冷たそうな大理石の壁には、大きなタペストリーがいくつも掛かっている。
中央に位置する玉座には、金髪の男が鎮座していた。 祭星がゆっくりと前に進みでる。 それに続こうとした蓮とメフィストフェレスだったが、執事に止められた。
「テメェ等……」
『どうかここでお待ちください、王のご命令です』
メフィストフェレスはフンと鼻を鳴らした。 そして蓮へテレパスを飛ばす。
『やばそうだったらすぐに強行突破したほうがいい』
『わかってるさ』
蓮はキッと前を睨む。 祭星の後ろ姿を見て、何も事が起きないことを祈るのだった。
蓮とメフィストフェレスがこちらへ来ないことを感じ取りつつ、祭星は歩みを止めた。 玉座からは十メートルほど離れている。 このくらい間を開けていたほうが安全だろうと思ったからだ。 だがそんな気持ちを見透かしたように、座っていたルシファーが立ち上がる。 そして靴音を響かせながら祭星の元へ。
漆黒の羽織りが揺れる。 金色の髪は短く切り揃えられていて、尖った耳には輝く耳飾りが揺れている。
『貴様が、あのアナスタシアが創り出した生命か』
ルシファーはそう言って、歩みを止める。
「杯祭星といいます、今日はお願いがあってここに……」
『言わずとも良い、全て知っている』
ルシファーが祭星の言葉を遮った。 そして上から下まで祭星を見て、クスリと微笑む。
『もう少し寄れ』
「……」
警戒する祭星。 ルシファーは笑いを噛み殺して彼女の名前を呼ぶ。
『来なさい、エトワール』
「っ」
ポタリと冷や汗がこぼれた。 警戒している、行ってはいけないと心の中では思っているのに、何故か足が勝手に動くのだ。 一歩、一歩と確実にルシファーの元へ近づいていく。
『貴様は半分が魔物の血だ。 つまり私の命令を受け入れる』
「何を……!」
『なぁに、悪いことはしない。 試しているだけだ』
ルシファーの手が祭星に伸びる。 それを見て祭星が槍を創り出そうとした瞬間だった。
ガンッ! という荒々しい音が耳を劈く。 赤い扉が吹き飛ばされ、目にも留まらぬ速さで何者かが祭星とルシファーの間に割って入った。
金色の大きな杖、翡翠色の飾りが凛と音を立てる。
祭星はそれが蓮だと理解するのにしばらく時間がかかった。
「れ、蓮……?!」
「ルシファーだったか。 今すぐ離れろ」
『……ほう』
ルシファーは目を細める。 手に魔力を込めたのを感じ取った祭星が、目を見開いた。
「蓮! このままじゃ……!」
「謳え、白謐」
シャン、と杖が鳴る。 するとルシファーの魔力を、蓮の手にしている杖が吸収してゆく。 翡翠の飾りが徐々に光を強め、辺りを眩く照らした。
蓮がルシファーを睨みつける。 それを合図に、ルシファーに向かって魔力の渦が襲いかかった。
魔法ではなく魔力そのものの渦だ。 場合によっては相手にとって致命傷になりかねない。 そして、蓮はルシファーが光属性の魔力を持っていることを探知していたのだ。 吸収した魔力は杖そのものの属性に引っ張られる。 つまりこの魔力の渦は闇属性の魔力の塊だ。
『ふむ、流石だな』
ルシファーはというと、その渦をパッと手を払って弾く。 そしてニカッと微笑む。
『合格だ!』
「……は?」
ぽかんと口を開ける二人。 ルシファーはハハハッ! と豪快に笑いながら足早に二人に駆け寄ると、頭をポンポンと撫でる。
『素晴らしい! 毅然とした態度の祭星と、彼女を守るために力を振るう蓮。 嗚呼、なんと甘美なる関係だろうか……! お前達を試していたのだが、なんとも素晴らしい! 文句のつけようもない!』
『あーあ、もうお前はそういうやつだと思ったよルシファー!』
後ろからフヨフヨと浮かんでやってきたのはメフィストフェレスだ。
『おお、メフィスト。 こちらに来るとは珍しい。 お前に持ちかけられた契約だろう、なぜ応じない』
『よく言う……、一番わかっているのはそっちだろう』
ルシファーはふむふむと頷くと、祭星の手をとった。 跪いて彼女の手の甲にキスをし、微笑む。
『であれば私が契約をしよう。 君の事は気になっていたんだ。 魔物の血を宿し、アルトストーリアを少しの間でも発動させた。 君こそこの私、魔界の王の花嫁に相応しい』
「花嫁は遠慮します!」
『なぜだ? 不自由な思いはさせない。 君に頼ってばかりの人間の世界より、魔界での生活の方が君にあっているだろう?』
「わ、私は蓮の、恋人なんです!」
祭星は顔を真っ赤にしながら手を振り払って、蓮の側に。 蓮は祭星をぐっと引き寄せてルシファーを見た。
『ふむ。 では蓮も一緒に娶るとするか?』
「俺は女しか抱いたことが……」
蓮はそこで口を閉ざした。
「……蓮?」
「いや……、極力、女だけにした……」
「な、なにその気まずい言い方は……! まさか」
『なんの話してんだよ全く』
メフィストフェレスが呆れたようにため息をつく。 彼はゆっくりと地面に降り立つと、ルシファーの前に立った。 ルシファーと比べるとやはり身体が細く、スタイルの良さがわかる。
『ルシファー、悪いんだけど娶るとか花嫁とかはナシ。 この二人は一緒になるべきだからお前が介入する隙はないよ』
『……私は魔王だ、欲しいものはどんな手を使ってでも奪うべきだ』
『ハッ、キモチワルイ思想しやがってさァ。 だから魔界の連中は嫌いなんだよ』
メフィストフェレスはそう吐き捨てると、魔王に背を向ける。 そして祭星の瞳を真っ直ぐに見つめると、一言。
『ボクがお前と契約する』
「えっ? でもさっき」
『気が変わった。 こんなキモい魔王にお前を渡したくない。 いいかい? ボクは美しいものが好きなんだ。 顔とか見た目が良くても、考えがキモチ悪すぎるやつにエスペランサの契約者を渡せるかっての!』
『メフィストフェレス、お前はネフィリムだ。 契約には向かない魔物だぞ』
『だからなんだよ……、このままこいつが、いけ好かないキミ達にとられるのを見てろって?』
拳を強く握って、メフィストフェレスはクルリと踵を返すと声を荒げた。
『ふざけるなよ! お前はいつもそうだ、魔物はいつもそうだ! 都合よくボクをそっちに引き入れたのは魔物の方だろう!! いざ育って自分達の脅威となれば、ネフィリムを虐げる。 なんて醜い、穢らわしい争いだ』
「ネフィリム……」
蓮がそう口にすると、祭星がこっそりと蓮だけに聞こえるように説明をする。
「ネフィリムは魔物と人間の間に産まれた子供だったり、無理やり魔物にされた人間のことだよ」
メフィストフェレスは、自分の真の名はディスペアーだと名乗った。 恐らくその名前は自分が人間として生きていた頃の名前だったのだろう。 メフィストフェレスという名自体は、本当は存在しない悪魔。 その名前を使うことで自分は魔物だと、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
『だから嫌だったんだ、ここに戻って来るのは。 行こう、祭星。 こんなヤツに時間取られてる方がもったいない』
メフィストフェレスは祭星の手を引いて玉座の間を出て行った。 蓮は杖を簪の形へ戻すと、それを髪に挿した。 そしてマントを翻して、肩越しにルシファーへ声をかける。
「あんたの言ってることはよくわかる。 俺も欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。 でも、あんたが欲しがっているモノはもう既に俺のモノなんだ」
灰色がかった緑の髪を靡かせ、蓮は声を殺して笑う。
「欲しけりゃ奪って見せろよ、絶対に無理だろうけどな」
そう言って玉座の間から出て行った彼の後ろ姿を見送ったルシファーは、ドサリと玉座に座る。 すぐに執事が「追いかけましょう」と言ったが断った。 追いかけたところでその辺の魔物ならばすぐに討伐されるだけだろう。
ルシファーは先ほどの蓮の覇気を思い出して苦笑いをこぼす。
『魔物、悪魔よりも彼の方がよっぽど悪魔だな』
魔王はそう呟くと、身震いをするのだった。




