騎士は誰に為に 6
自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
蓮はゆっくりと瞼を開いた。 白い髪の少女。 その美しい髪が部屋の明かりに照らされ、少し眩しい。
みれば、祭星が身を乗り出して自分の名前を何度も読んでいたらしく、頰に涙をポロポロこぼしていた。
「蓮、蓮……!」
「……祭星、なんで泣いてるんだ」
起き上がると、すぐに祭星が蓮に泣きながら抱きついて来た。 頭を撫でてやろうと右手を動かすが、鈍い痛みがそれを制した。
ああ、そういえは怪我をしていたんだった。 と蓮は思って慣れない手つきで左で祭星の頭を撫でた。
「リオンさんから抱えられて帰って来たときは正直ヒヤッとしましたわ」
「だなー。 疲れて眠っちまったみてーで良かったぜ」
起きるのを待っていてくれたのだろう。 レイに祭星の熱のことを尋ねると、すっかり良くなった。 と答えてくれた。
「うぅ……、あれ、蓮? 髪が少し短くなってる様な……」
祭星がそう言いながら髪に触れる。 不揃いになった毛先を見てハッとする。
「……切られた?」
「俺の不注意だから仕方ない」
すると祭星はますます泣き出す。 蓮から離れて涙を拭いながら言う。 それは、蓮がきっと忘れているだろうと思っていたこと。
「蓮の髪が綺麗だからって言ったのは私なのに、私のせいで……!」
嗚呼、覚えていてくれたのだ。
髪が切られたから、殴られたからと言って、たったそれだけで祭星を恨んだりはしない。
自分はどうしようもなく、この少女のことが好きなのだ。
蓮はフッと笑うと、ジョシュアとレイに目配せして口を開く。
「すまない、席を外してもらえるだろうか」
二人は、蓮の表情を見て察した。 そして嫌な顔一つせずに頷いた。 レイは祭星の肩に手を置き「また後でね」と言って部屋を後にした。 ジョシュアも蓮を見て、ニッと笑ってレイを追いかけた。
「話があるんだ」
「次の任務のこと……?」
ぽかんとして祭星が首をかしげる。 蓮は違うと笑って、祭星の手を握りしめる。 自分よりも小さく、細い指をスルリと撫でて。
「付き合ってほしい」
ただ一言、そう伝えた。
「……えっ」
その言葉に顔を真っ赤にさせて、祭星が驚いていた。
「わ、わたしも、蓮のこと好きだよ、大好きだよ。 でも……!」
蓮の手を握り返して、祭星はおずおずと口を開く。 その様子を、蓮は黙って見ていた。
「ヴァチカンに来て、沢山の人に心配されて側にいてもらって。 これだけでも幸せなのに、私……これ以上幸せになってもいいのかな……!」
「……じゃあ、やめておくか?」
そう意地悪に言ったのは蓮だ。 祭星は蓮の予想通り、困った様な顔をしてぶんぶんと頭を振る。
消え入りそうな声で恥ずかしそうに下を向きながら答える。
「お、おつきあいさせて……いただきます」
蓮は嬉しそうに微笑んで、祭星を抱きしめた。 優しく、大切なものを離さない様に。
祭星は蓮の鼓動を聴きながら、顔を真っ赤にして動けずにいた。
「また熱が出そう……」
「ははは。 大丈夫か?」
「蓮が離してくれたら……」
「他の方法では無理か?」
仕方ない、と言った様子で祭星を離した。 祭星が真っ赤になった顔をパタパタ手で扇いでホッとため息をついていた。
「私、誰かとお付き合いしたことないんだけれど、どんな事をするの? 何か用意しなきゃいけないものとかあるの……?」
そう尋ねられた蓮は、一度固まってしまう。
だがこれは、祭星の純粋な疑問なのだろう。 ボヤかして言っているのではなく、本当に綺麗な心からの疑問だ。 この子はジョシュアの様にやましい心を持っていない。
「特に何もない。 強いて言うなら……ずっと俺の事を好きでいてほしい」
「それは大丈夫だよ、今までずっと蓮のことが好きだったの。 今更別の人に惹かれる事なんてないよ?」
にっこり微笑んで祭星が言って、うーんと考え出す。
「私も頑張っておしゃれとかやってみようかなあ。 レイみたいにお化粧もしてみたいな」
もう十八歳だもん。 と祭星が胸を張る。 レイのように化粧をし、髪を巻いたり香水をつけたり。 そういったものに憧れるそうだ。
正直蓮としてはこれ以上可愛くなって他の男に魅力が伝わってしまうのは嫌なのだが、祭星が決めた事ならばと、その事を隠しておくと心に誓った。
目が合うと、祭星は恥じらいながらも微笑んだ。 その優しい笑みを、自分はこれからも守り続けようと思った。
「もう動いて大丈夫なの?」
「問題ない。 少し右手が痛むだけだ」
隊服に身を包んだ蓮は、器用に片手でネクタイを締めた。 準備ができたと言わんばかりに部屋から出ようとした蓮を呼び止めて、祭星が彼に赤いピンバッジを差し出す。
「忘れちゃダメだよ?」
「……わかった」
自分には相応しくないもの。 そう言ったが、周りの人間はそんな風には思っていないらしい。 いつか自分自身が、このピンバッジの価値を認めることができるだろうか。
祭星が蓮を見て「あ」と小さく声をあげた。 そして椅子に座る様に促す。 不思議に思いながらも腰掛けた蓮の髪を、胸ポケットから櫛をとりだして丁寧に梳かし始めた。 片手では結びづらく、結んでないままだったのだ。
「ね、遊んでもいい?」
「好きにしていい」
やったぁ! と言って、祭星は手早く髪を束ねる。 慣れた手つきで髪をセットしていく祭星は楽しそうだった。
いつもは髪を結んでいない祭星だが、やはり出掛ける時には髪をアレンジしたりするのだろうか? それが気になって仕方がない。
長い間一緒にいなかったせいか、まだ祭星のことについて知らないことが多い。
でもそれを逐一聞いていると完全に引かれるだろう。 その点は自覚している。 だからこそ口に出さないでおこう……。
「はい、できたよ」
トン、と肩を叩かれて我に返った蓮は、少しぎこちなく微笑んだ。 そっと後ろを触ってみれば、編み込みされているようで、なんだかよくわからない。
「どうなってるんだこれは」
「可愛いよ?」
「可愛いのか……」
蓮は立ち上がり、髪を結ってくれた祭星の頭をポンポンと撫でた。 「えへへ」と笑った祭星は、蓮の後を追う様に部屋を出ようとする。
が、そこで蓮がくるりと振り返った。 後ろにいた祭星は蓮を見上げてキョトンとした表情で首を傾げた。
「どうしたの? 忘れ物?」
「いや、もう良いかと思って」
蓮はそう言って、祭星の頰に手を伸ばす。 ゆっくりと顔を近づけて、彼女の唇の上で囁く。
「目を閉じて」
なにをされるのかわかっていない祭星は言われるがままに目を閉じた。 素直な彼女に、蓮はフッと微笑んだ。
そして、唇を重ねた。
驚いたようで、反射的に離れようとする祭星を抱きとめる。 祭星は恐る恐るといった様子で、蓮の背中に手を回した。
その後、すぐに唇を離した蓮は、顔を真っ赤にしてわなわなと震える祭星をみてククッと声を殺して笑った。
「あ、あの、これは……えっと……」
「初めてだから手加減してやった。 でもお前も、俺がなんて言われてたか知ってるだろ?」
「し、知ってるけど、けど……」
顔をさらにさくらんぼのように赤く染めながら、祭星は蓮に抱きつく。
『可愛いなぁ』
にやけそうになる顔をなんとか抑えながら、蓮は祭星の頭を撫でた。
「大丈夫だ。 お前にちゃんと合わせるから。 さ、行こう。 二人が待ってる」
「うん……」
今度こそ蓮が扉を開ける。 祭星はあつくなった顔をおさえて、未だ落ち着かない心臓の音を気にしながら部屋を出た。
ロビーには何やら言い合いをしているレイとジョシュアがいた。 喧嘩だろうかと思い急いで祭星が駆け寄ったが、聞き耳をたてるにどうやら今日の晩飯はどれを食べに行くかの言い合いだったらしい。
「心配して損した! そんなことで言い争わないでよ」
「あら、祭星。 お話はもう終わったの?」
こちらへ寄ってきた祭星を妹を可愛がるように抱きしめて頰にキスをするレイ。 されるがままにされる祭星を見ていつも通りふふっと笑う蓮。 ジョシュアがその隣に立ち、同じように祭星とレイを眺める。
「どうだったんだ?」
「お前達のおかげだよ、ありがとな」
それは良かった。 とジョシュアは笑った。 そしていつもとは違う髪の結い方をみて、なんだかこちらまで幸せになるな、とおもった。
「あ、そういえばリオンさんとの話はいつに移動したの?」
「今日の夜ですって。 今は十四時ですから……、まだ時間はあるわね」
すると、蓮は「あ!」と声をあげた。 何事かと三人が蓮を見ると、彼は何となく申し訳なさそうな顔をしている。
「なあ、俺がこっちに戻ってきたときに、祭星と同い年くらいの女の子がいなかったか?」
「んんと……、ああ。 そうねいたわ。 あの可愛い女の子ね、茶色いブレザーを着てた……、って、祭星?」
わなわなと肩を震わせている祭星。 もしかして嫉妬しているのだろうか? とレイが思ったがどうやら違うらしい。 蓮に駆け寄って、キラキラとした目で問いかける。
「もしかして、藍沢さん?! ヴァチカンに来てるの? なんで? なんで?!」
「落ち着け落ち着け。 まあ色々あってだな。 それで、その子はどこに?」
レイは下を指差す。 怪我やら何やらの検査を受けていたことを告げると、蓮はホッとしたようだった。
蓮の手を引いて、祭星はエレベーターにかけていく。 レイとジョシュアはそれを見送って、二人顔を合わせる。
「上手く行ったみたいでよかったわね。 自分のことにようにそわそわしてしまったわ」
「んだな。 そーいやお前、イギリスにおいてきたのか? フィアンセ」
「一緒に行くと言って聞きませんでしたから、柱にくくりつけて来ましたわ」
それを聞いてジョシュアは一瞬ぽかんとして、それから声を上げて豪快に笑った。 レイはその笑った顔を見て、下品な笑い方はしないでくださいと注意をする。
いつもこうやって笑うのだ。 もう少し優雅に上品に笑えないのだろうか。 仮にも貴族というのに。
マッカーソン家の次男、ジョシュア・マッカーソン。 そしてその貴族に代々嫁ぐと決まっているアルバート家。 その長女がレイ・アルバート。
「それに、笑い事ではないでしょうジョシュア。 貴方の兄上が柱にくくりつけられているのですよ?」
「別にィ? オレそんなに兄貴と仲良くねーし。 嫁ぎ先とか家の事とかどーでもいいよ。 ただ楽しく生きていけりゃどこで住んだってかまわねぇさ」
自分の兄の、ジュリアスが柱に縛られているのを想像して、ジョシュアはまた堪らず笑い出した。
本当に似ているのは髪の色だけね。 とレイは呆れた。 くすんだ金髪、くせ毛の髪。 いつも愉快そうにヘラヘラしているジョシュアは、微塵も貴族という雰囲気はなかった。
いつかくるその時のため、令嬢としての振る舞いを教え込まれたレイにとって、このジョシュアという男は大変面白く、不愉快だった。
でもだからこそ。
──ああ、彼が私のフィアンセだったら良かったのに。
そんなことを思ってしまうのだろう。
「夜まで時間がありますわ。 ケーキでも焼くつもりなのですけれど、食べます?」
「お! 食う食う〜! お前のケーキ好きなんだ」
軽快な足取りで、ジョシュアが歩き出す。 その様子を見て、腕によりをかけて作ろうと、レイは今日もそう思った。




