砂の魔物 5
蓮は隣を歩く祭星を横目で見下ろし、その足取りを確かめる。 震えは止まったようで少し安心をした。
最初、祭星に魔物が群がった時、いてもたってもいられずに一心不乱に駆け出したのを覚えている。 動くことも助けることもしなかったあの男達を、はらわたが煮えくりかえる程恨んだ。
「……正直」
沈んだ声で、蓮が祭星へ言う。
「もう生きてないんじゃないかと、そう思った」
「……」
血塗れになり、目は潰され、腹は何度も噛まれて抉られて。 彼女を抱え起こした時、力が入ってない重い身体に触れた瞬間、最悪の事態を予想してしまった。
そんなことを思いたくもないのに。
だからこそ、彼女が掠れた声を発した瞬間に安心した。
「ごめん、なさい。 私、やっぱりまだ自分がバケモノって呼ばれることに慣れてないみたいで」
「……慣れて良いもんじゃないだろ。 なあ、祭星」
蓮は立ち止まり、服が切り裂かれている祭星に赤いコートを羽織らせる。 そして彼女の瞳をじっと見つめて尋ねる。
「俺だったらお前を守れる。 ああいう奴らから守って、殺すことだってできる」
「だ、だめだよそんなの!」
蓮に詰め寄って、祭星は必死に訴えた。 そんな彼女を蓮は冷酷な表情で眺める。
「私を守るために他の人が犠牲になるなんて……!」
「俺としては、他人のせいでお前が傷つくのは嫌だ。 お前が傷つく位なら、お前の敵を全員殺した方が良い」
蓮はその言葉を本気で思って口にしていた。 祭星もそのことを十分に理解していた。 ただ、理解していたからこそ、思わず手が出てしまった。
蓮の頰を平手打ちした。 乾いた音が周囲に響いて、近くにいた衛生部隊の何人かが二人に振り返っていた。 それを気にすることもなく涙を流して、祭星は蓮に向かって声を荒げる。
「そんなこと……、そんなこと二度と言わないで!」
蓮は崩れた前髪の隙間から祭星を睨み、ため息をつきながら前髪をかき上げた。
「……わかった」
叩かれた頰は痛みも何も感じなかった。 祭星は人を殴ったことがないのだろう。 肩を震わせて、不規則な呼吸を落ち着けるように顔を手で覆う祭星。
そんな彼女を見て蓮はまた考える。
優しい彼女が、他人を助けるために自分を傷つける必要があるのだろうか。
「殺すなんて、そんなこと言わないでよ……。 だって、だって……!」
祭星は顔を上げる。 頰を伝う涙を見て、蓮はハッとした。
「痛いんだよ、怖いんだよ……! 実戦訓練の時も、さっきも、私死ぬんじゃないかなって思うくらい怪我して、ぐちゃぐちゃになって痛くて痛くて、どうにかなりそうで……! そんな思いを、もう誰にもしてほしくない……!!
世界の全員を守ることなんてできないけれど、目の前にいる人間くらい、助けたいって……。 そう思って私……!」
涙を拭いながら言う祭星に、蓮は慰めの言葉もかけれなかった。 その震える肩に触れてやる事も出来なかった。
自分はきっとこんな考えなどできない。 思いつきもしないだろう。 例えば今回、もし魔物達に襲われているのが祭星ではない他の魔法使いだったら、自分は絶対に助けようとしてなかった筈だ。
蓮の全ては祭星のために。 祭星が悲しいと思うことはしない、祭星が危険な目に遭っているときは助けに行く。
それは全て、祭星だから。
あの三人組にクズだと言った割に、自分もよっぽどクズだ。
そもそも祭星に会えない間の心の隙間を埋めるために、数多くの女を取っ替え引っ替えやっている時点で、自分はどうしようもない底辺の人間なのだが。
そんな自分が、これほどまでに純粋なこの少女に触れる資格はあるのだろうか。
ヴァチカンに来てまだ一日ほどしか経っていないのに、彼女をとりまく環境は変わりつつある。 一人の女のために創りだされた存在だと言われ、失っていた記憶を少しずつ思い出して、記憶の整理をつける暇もなくこの戦いに赴いて。
自分のことに精一杯であろう彼女が、どうしてここまでも他人に慈悲を掛けなければいけないのだろうか。
結局、蓮がいくらそれを恨んだり考えたりしていても、何かが変わることはないのだが。
そういえば、と蓮は祭星へ言葉を投げかける。 それはあの三人に関する事だった。
「あいつらの中に魔力を持ったものはいるのか?」
「……? い、いないよ?」
「俺の勘違いかもしれないが……。 微かに魔物の気配をあいつらの中から感じた。 下級の魔物が乗り移っているという可能性もあるな……」
それを聞いた祭星は小さく驚く。 そして今は同じ場所にいるだろう友人を心配する。
「藍沢さん、大丈夫かな……」
「藍沢っていうのか」
「うん。 藍沢 ここみさん。 あの三人に色々言い寄られてたみたいだけれど……、大丈夫、かなぁ」
その時、蓮の遥か後方にのたうちまわっていたイリスの悲鳴が再び聞こえた。 劈く様な悲鳴は二人を一気に現実へ引き戻す。 イリスは巨体を激しく地面へ叩きつけ、飛び交う魔法をはたき落として行く。
不快な音を立てながら、イリスの背中に亀裂が走る。 その中からは奇妙な人の手の形をした羽根が何本も伸びて、花開く。
祭星が顔を顰めた。 不気味な姿になったイリスは、魔物という名に相応しい。
手が四方八方へと伸びて襲いかかる。 そのうちの三本はこちらに凄まじいスピードで飛んで来た。 蓮は祭星に「逃げろ!」と声をかけたが、それと同時に彼女の左隣の地面に手が突き刺さった。
「わっ……!」
よろけた祭星。 蓮は冷や汗を垂らし、舌打ちをして祭星を抱きかかえるとその手を踏み台にして走り出す。
「ごめ、ん……なんか、ダメだったみたい……」
見れば腕の中で、祭星は青ざめた顔で血を吐き出しながら震えていた。 腹部の傷は相当酷かったらしく、そこから魔力が流れているのだろう。
「大丈夫か」
「だい、じょうぶだったら……! いまごろ自分で立って、走ってるでしょ……!?」
「……そうだな!」
蓮は祭星を抱えて走りながら、通信魔法を展開させる。 この手の魔法はすこぶる苦手だが、重体の祭星に任せる気はしない。
「っ……、たのむから、一発で捉えてくれ、よ……!」
この場にある数千の魔力を辿り、やっと目的の魔力を捉える。
「これだ……。
《遠方の彼よ 小さき我の声を捉えよ 目に見えぬ音に 魔を乗せよ》……!」
ピンッ、と魔力の帯が空を突き抜け、捉えた人物に声を届ける。
「ジョシュア、お前今どこにいる!」
『ああ?! 蓮かよ! どこってーと……。 あーもう! レイ! ここどこだよ!』
『西條中央病院、という建物の前ですわ。 蓮、貴方は今どちらに?』
レイがジョシュアの近くにいてくれて助かったと、蓮は心の底から思った。
「そっちに合流したいんだが……! 祭星が、負傷してる、俺もこいつを抱えたまま……っ、このまま走り続けるのは流石に無理がある!」
イリスの伸びる手からなんとか避けつつ、祭星を抱えたまま逃げる。 それは幾ら何でも蓮の体力があったとしてもあと五分が限界だろう。
すると、何者かが魔法に介入してきた。 魔力を探るに、これは恐らくリオンだろう。
『レイ、呪術を使ってイリスを少しの間足止めできるか? その隙に私が二人の足元に転送魔法を施そう』
リオンは少し息が上がっているものの、声に疲労した色は見られなかった。 リオン側の音声から爆発音などが聞こえてくるということは、恐らく彼は一人であのイリスを足止めしているのだ。
『出来なくはないです。 止めれたとしても五秒が限界かと……』
レイの言葉に、リオンは強気な声を届ける。
『十分すぎる。 頼んだぞ』
リオンはそれだけ伝えて、通信を切った。




