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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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35/99

033

 アデレイドの本が出版された。

 それは瞬く間に乙女たちの話題を攫った。


 物語は銀髪に藍色の瞳の侯爵令嬢クローディアと、金髪で黒に近い群青色に銀が散った瞳の青年貴族ギルバートとの恋物語だ。二人は親同士が決めた許婚だったが、二人の間を引き裂こうとする令嬢が現れ、引っ掻き回す。さらには、その令嬢に好意を寄せた三人の貴公子たちまでもがクローディアとギルバートの仲を裂こうとあれこれ画策するが、すれ違いや誤解を乗り越え、最後には結ばれるという王道物語だ。




「オズワルドお兄様!これをお読みになって」

 従姉妹のエリザベスが王宮のオズワルドの部屋を訪れるやいなや、一冊の本を突きつけてきた。

エリザベスはマクミラン侯爵家の令嬢だ。

マクミラン侯爵家は王妹である叔母が嫁いだ家で、次男のハワードはオズワルドの一つ上、長女のエリザベスはオズワルドの一つ下だ。年が近いため、オズワルドは実の兄たちよりも彼らのほうが「兄弟」という気がしている。それを言うと兄たちが泣くので、言わないが。

「またかい、リズ。君のお勧めの恋愛小説は甘すぎて、私には胸やけがするのだが」

 オズワルドが気乗りのしない様子でおざなりに返事をすると、エリザベスはぷくっと脹れた。

「まあ、失礼ですわね!折角お教えして差し上げたのに。この物語の主人公は、お兄様のお好みの銀髪の令嬢ですのよ」

「ど、どうしてそれを」

 銀髪好きだなんて、エリザベスに語った覚えはないので動揺するオズワルドに、エリザベスは呆れた視線をやった。エリザベスは薄桃色の髪と翠色の瞳の可愛らしい少女だ。

「あれだけかの肖像画の令嬢を崇拝していらっしゃるご様子を見せつけられれば、誰でもわかりますわ。ちょっと不気味なくらいですわよ」

「……」

 可愛い妹分に不気味と言われて、オズワルドの胸が抉られた。

「しかも!この令嬢のお相手が、オズ兄様にそっくりですの!」

 エリザベスは自分の発言がいたくオズワルドの心を引き裂いたことになど全く頓着せぬ様子で話を続ける。

「幼馴染の婚約者がいるのに、突然現れた他の令嬢に心を乱される辺りなんて、本当、下種ですけれど」

 エリザベスは憤慨するように眉を吊り上げながら話していたが、オズワルドは「婚約者がいるのに他の令嬢に心を乱された」という内容に内心狼狽していたため、エリザベスの辛口批評は聞いていなかった。

「…そ、それで、どうなるのだ、結末は」

 オズワルドの声は動揺のために掠れていたが、エリザベスはオズワルドが物語に興味を示したことが嬉しかったのか、にこにこと答えた。

「誤解を解いて、大団円ですわ。そこに至るまでにイロイロな横やりが入って大変なのですけれど」

 エリザベスは本の冒頭部分を開いてオズワルドに見せた。

「ほら、ギルバートの容姿がお兄様そっくり」

 オズワルドはそのまま数頁読み、息を飲んだ。クローディアはレオノーラそのものだった。そしてギルバートはエルバートだ。

「これを書いたのは…」

「新進気鋭の若手作家ですわ。でもその正体は謎に包まれていますの」

 エリザベスは秘密を語るように少し声を低めて話した。

「乙女たちの間ではきっととても素敵な貴公子が書いているのに違いないと盛り上がっていますわ。でもわたくしはこれを書いたのは女性だと思っていますの。それもわたくしと同年代の。でなければこれ程わたくしたちの心を揺さぶることなど出来ませんわ」

 物語はクローディアの視点で書かれている。オズワルドはレオノーラが現代に甦ってこの物語を書いているとしか思えなかった。

「…本を、貸してもらえるか?読んでみたい」

「まあ、お兄様。勿論ですわ。読み終わったら感想を聞かせてくださいね」

 エリザベスは嬉しそうにオズワルドに本を渡すと、部屋を出て行った。



 オズワルドは貪るように本を読んだ。読みながら何度も胸を抉られた。ギルバートが犯す過ちは、エルバートが犯した取り返しのつかない過ちそのものだった。ギルバートは最後の最後で過ちに気付き、それを取り戻すことが出来る。けれどエルバートにはそれが出来なかった。

 物語を読み終えて、オズワルドはよかったと呟いた。ギルバートが過ちに気付いてクローディアを取り戻せたことが嬉しかった。そうでなければ、あまりにも救いがない。クローディアが可愛そうだ。

 そして自らの態度を思い出す。レオノーラを苦しめてしまったことを。レオノーラを救えなかった事実を。

 オズワルドは作者に会ってみたいと思った。痛切に。

(これを書いたのはレオノーラだ。少なくともレオノーラの魂を持つ者…。会いたい)



 そしてオズワルドの作者探しが始まった。


***



 オズワルドの作者探しはしかし、初端から暗礁に乗り上げた。

「作者のことを知らない?」

 出版社ですら、代理人を通してのやり取りなので作者の名前すら知らないというのだ。しかも守秘義務があるため代理人の名前も教えることは出来ないと言われた。王子という身分を明かしてもダメだった。オズワルドは歯噛みした。しかし出版社は頑なだった。

「作者の意向ですので、ご容赦くださいますよう」

 これにはサイラスが一枚噛んでいた。第三王子からリオ・グラントに関する問い合わせがあっても絶対に情報を漏らすなと念押しをしてあったのだ。そのために出版社が不利益を被るなら、グランヴィル公爵家が補填すると言って。出版社としても売れ行きの良いリオ・グラントの機嫌を損ねて他の出版社に移られることは避けたかった。それに元々この出版社のオーナーはサイラスに恩義があった。一時期経営の傾きかけた出版社に出資をしてくれたのがサイラスだったのだ。サイラスはオーナーの息子と学院で同窓だった。特に親しかったわけではないが、ある日突然サイラスはオーナーの息子に出資をして貰えないかと打診され、いいよと即答したのだ。息子は自分で頼んでおきながらひどく驚いていたが、サイラスは彼の人となりや出版社の情報を前もってある程度掴んでいたのだった。それ以来彼ら親子はサイラスに頭が上がらない。アマンダとの打ち合わせも息子自らが行ったくらいだ。そのためアマンダのことを知っている者も限られていた。

 サイラスは代理人であるアマンダの情報を伏せるためにも、家庭教師斡旋所から登録を削除させていた。これで現在彼女がデシレー家に雇われていることを知るのはサイラスとアマンダの家族、デシレー家のみである。

 オズワルドが取れる手段は出版社を見張ることだった。出版社を出入りする者を片端から尾行させて対象を絞ってゆく。地道な方法だが、他に手の打ちようがない。オズワルドが作者を探すのは彼が作者の崇拝者であるためなので、王族の権利を行使して罪人のように警吏や近衛を使ってまで大々的に探すことは出来ない。作者自身が素性を隠したがっているのならばよけいに。

 オズワルドは歯痒かった。そんなオズワルドに、エリザベスは素晴らしい提案をしてくれた。

「オズ兄さま、リオさまにお手紙をお書きになればよろしいのでは?大好きです、会いたいですと伝えてみては如何でしょう」

 オズワルドはその提案に飛びついた。少しでも胸にある熱い想いを作者に伝えたかった。



***



 オズワルドからの手紙を、サイラスは握り潰した。

(やはりアディの本に執着したか。…クローディアはレオノーラそのものだし、ギルバートもエルバートそのものだからな)

 オズワルドが本を読めば作者を探さずにはいられないだろうと予測はしていた。けれどアデレイドの本は乙女向けの娯楽本の類だ。まさかこれ程すぐにオズワルドの手元に上がるとは思わなかった。

(エリザベス嬢辺りから勧められたか。…余計なことを)

 サイラスは眉根を寄せたが、打てる手はすべて打ってある。アデレイドの情報が漏れることはないだろう。

 どれだけオズワルドが乞おうが、サイラスは手紙をアデレイドに届ける気も、アデレイドと会わせるつもりもなかった。

(精々会えない苦しみを味わうことです、殿下)

 己がレオノーラにそうしたように。


 サイラスには他に気がかりがあった。

 アデレイドの乗った馬車を尾行していた男の雇い主のことだ。

 アデレイドに付けた二人の御者のうち、一人が尾行してきた男を連れて王都に戻って来た。正確には御者はこの戻って来た男だけで、ハロルドはアデレイドの護衛として付けていたのだが。

ハロルドが尾行男を脅して男が雇い主と接触する日時と場所を聞き出していたため、後日二人が接触しているところを見張り、密かに相手の男を尾行させた。その後、男は他にも何人かの若者と接触したあと、驚いたことに国境を越えた。

(国外からの間者…?なんのためにグランヴィル公爵家を見張っていた…?)

 アデレイドの乗った馬車を尾行したことは単なる偶然で、グランヴィル公爵家を見張っていたということは間違いないようだ。そのことにサイラスは一先ずほっとした。だが男が手足として使ったのが本職ではなく適当に見繕った普通の若者ということが腑に落ちない。ハロルドが捕まえた男だけでなく、その後接触した若者たちもすべて、少々やさぐれてはいたが普通のごろつきだった。

 本当に、ただ単にどこぞの令嬢がサイラスの女性関係を調べているだけのように、無害に見える。男が国境を越えなければの話だが。

(私を調べる者が国外にいる?心当たりがない…)

 得体の知れない影に、サイラスは顔を顰めた。自分のことは別にどうとでもなるが、いざこざにアデレイドを巻き込みたくはない。面倒を片付けておかなければアデレイドを屋敷に迎えられない。

サイラスはアデレイドにグランヴィル家を譲ることを諦めたわけではなかった。今はまだ本人の言う通り、アデレイドは幼い。親元を離れる時期ではない。それに自分たちはまだ出会ったばかりだ。これからゆっくりお互いのことを知っていけばいい。彼女が成人するまでまだ時間はある。それまでに彼女が頷いてくれればいいのだ。焦るつもりはなかった。

だが、得体の知れない異国の影などに関わっていたらアデレイドに会いに行く時間が減ってしまう。サイラスは不快気に眉間に皺を寄せた。冗談ではないと思った。

そもそも屋敷を見張られて気分がいいわけがない。見えない相手に対して殺意が湧いてくる。その時側に居た執事は背筋を這う悪寒にぞくりとした。

サイラスの顔に浮かぶ艶やかな笑みに、執事は惹きつけられると同時に冷や汗をかいた。綺麗だけれど恐ろしい。サイラスを敵に回す愚か者に溜息を吐きたくなる。

(さて。どう料理してくれようか)

 サイラスは一人掛けのソファに座り両肘を立てて軽く指を絡めると目を閉じた。面倒な仕事はさっさと片付てしまおうと思いながら。





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