034
夏休みに入り、ローランドはレイ領に帰省した。すぐにデシレー領へアデレイドに会いに行くつもりだが。
ローランドは父親に呼ばれて書斎へ行った。
「父上、ローランドです」
「ああ、お入りローランド」
父ロバートの許可に中に入ると執事のグレアムともう一人、初めて見る少年がいた。年の頃はローランドと同じか少し下くらいだろうか。水色の髪と瞳の、少しつり目だが整った容貌の少年だ。
「紹介しよう。この子はジャレッド。ローランドが良ければこの子をおまえの従者にと思っているのだが、どうかな」
「従者、ですか?」
ローランドは瞬いた。屋敷の主である父ならともかく、自分には専属の従者など贅沢な気がする。公爵家や伯爵家などとは違うのだ。そもそもまだ学生の身で、ほとんどの時間を寮で過ごしているので従者を必要としていない。その疑問に答えたのは執事のグレアムだった。
「実はこの子は私の遠縁の子供なのですが、先日身内を亡くしまして。他に行く当てがなく、私が引き取ることになったのですが、このお屋敷に置いて頂く以上は働かせたいと思いまして旦那様にご相談しましたところ、坊ちゃまの従者にと」
ジャレッドが身内を亡くしたばかりと聞いてローランドは胸を痛めた。
ロバートは穏やかに言った。
「まあ、いずれはグレアムの跡を継いで我が家の執事になって貰いたいが、それはローランドの代になるだろうから、今は従者からということだよ。勿論ローランドが学院にいる間はグレアムの元で修行をさせる予定だよ」
ローランドは納得して頷いた。子供の身で働かなくてはならなくなった少年を年の近いローランドの側に付かせるのは淋しくないようになのだろう。
「…ジャレッドが良ければ僕は構いません。よろしく、ジャレッド」
ローランドは少年に向き直り、穏やかに微笑んだ。
少年はつり目の勝気そうな顔立ちに反して、不安そうにおどおどとした様子で瞳を揺らしたが、こくんと小さく頷いた。
「…よろしく、お願いします…」
ローランドは柔らかく微笑んだ。
「ローランド、ジャレッドは一昨日この屋敷に来たばかりだから、案内してあげなさい」
「わかりました、父上。…行こう、ジャレッド」
ローランドがジャレッドの手を取ると、ジャレッドはおどおどしながらも大人しくローランドの後に続いた。
「ジャレッド、歳はいくつ?」
「十二歳です…」
「それならジャレッドは弟だね。この屋敷の者は皆、君の家族であり仲間だよ。君は一人じゃない。…何も心配は要らないよ」
ジャレッドはまるで初めて聞く言葉を言われたかのように目を見開いてローランドを見つめた。
「皆に紹介しよう」
ローランドは屋敷内を案内しながら通りかかった使用人たちにジャレッドを紹介した。
屋敷の使用人たちは主の人柄を反映するのか、穏やかな人が多く、皆ジャレッドを温かく歓迎してくれた。
その夜ジャレッドは屋敷に来て初めて、なんの不安もなく穏やかな気持ちで眠りにつくことが出来た。ずっと緊張していたのだ。
グレアムに連れて来られて屋敷の主の令息の従者にならないかと言われたときから感じていた胸の圧迫感も消えて、ジャレッドは漸く息が吐ける心地だった。
屋敷に来るまでジャレッドは貴族に対していい感情を持っていなかった。
横暴で利己的。それがジャレッドの貴族に対する印象だった。だから従者など、主にこき使われて嫌なことをさせられる奴隷のようなものだと思っていたのだ。
だがローランドに会ってみてそれは杞憂だったとわかった。ローランドは穏やかで優しく、主として申し分のない少年だった。
(よかった、ローランドさまがいい方で…)
ジャレッドは安堵して意識を手放した。
翌日から三日間、早速ローランドの従者として仕事をすることになった。何故三日間かというと、四日後にはローランドがデシレー家へ泊まりがけで遊びに行ってしまうためである。
ローランドはデシレー邸に三日間滞在する予定になっている。ジャレッドはまだ従者の仕事に慣れていないため、いきなり他家に滞在するのはハードルが高すぎるので今回は同行せず、その間グレアムの元でしっかりと仕事を覚えることになっている。
従者の仕事の第一は主の身の回りの品を整えることだ。
シャツはアイロンをかけてぱりっとさせ、靴はぴかぴかに磨いておく。
…ジャレッドはびっくりするくらい不器用な少年だった。
シャツは焦げ付かせてしまったし、靴は何故か傷だらけにしてしまった。
(ど、どうしよう…)
蒼白になって謝ると、ローランドは笑って赦してくれた。
「それは元々練習用だから気にしなくていいよ。少しずつ覚えていけばいいから」
ジャレッドは胸がじんとした。グレアムにそのことを言うと、無言で頭を撫でられた。ジャレッドはローランドのこともグレアムのことも大好きになった。屋敷の使用人たちも、通りすがりにジャレッドに飴玉をくれたり、頑張れよと声をかけてくれる。ジャレッドはローランドが屋敷の者は皆家族だよと言った言葉を思い出した。
(頑張ろう…)
どうしようもなく不器用で迷惑ばかりかけているというのに、誰もジャレッドをバカにしたり怒鳴ったりしない。そのことに有難さと申し訳なさを感じる。それと同時に嬉しさも。
その日からジャレッドは毎日メイドやグレアムから不要の布きれを貰ってアイロンの練習をした。
デシレー家へ行く前日、ローランドはジャレッドとともに温室にいた。
「アディに花を贈りたいんだ」
そう言いながら花を選んでいるローランドの表情は優しくて嬉しそうだった。花を摘むのは当日の朝で、今日はどの花にするか選ぶだけだ。
ジャレッドはローランドが幼馴染の婚約者の家に三日間泊まりに行くことを聞いていた。ローランドが婚約者の少女をとても大切に想っていることが伝わって微笑ましかったのだが、…どくりとジャレッドの胸の奥が騒めいた。
(……あれ?)
ジャレッドは以前にも似たような話を聞いたことがあるような気がした。
(そんなはずないのに…変だな)
似たような感覚は温室に来た時にも感じた。貴族の屋敷の温室など初めて見るはずなのに、以前にも来たことがあるような既視感。
違和感を覚えながらも気のせいだと自分に言い聞かせるようにして軽く頭を振る。
「ジャレッド?」
ローランドが心配そうに自分を見ていることに気付いてジャレッドは慌てて笑みを浮かべた。
「なんでもありません。…それで、花はどれになさいますか?」
「うん。夏だし明るい色合いがいいと思う。オレンジと黄色の組み合わせで」
ローランドは庭師に花を指定し、翌日の朝に摘んで欲しいと頼んだ。ジャレッドはそれを受け取りに来ることになっている。
(どんな女の子なんだろう、ローランドさまの婚約者は)
少し興味があった。けれどそれを気軽に聞いていいのかわからない。そんなジャレッドにローランドは穏やかに笑いかけた。
「ジャレッドにもアディを紹介したいな。四日後、迎えに来てくれる?その時に紹介するよ」
「!」
ジャレッドは嬉しかったが、口元を引き結んだままこくりと頷くのが精一杯だった。けれどその瞳は好奇心に輝いて頬がほんのりと色付いていたため、ローランドにはジャレッドが喜んでいることがわかった。
(ジャレッドって、なんていうか不器用な子だな)
手先も不器用だが、感情表現も不器用なのだ。けれど努力家だった。彼は一生懸命アイロンや靴磨きの練習をしている。ローランドは結構ジャレッドが気に入った。
父親の書斎で初めてジャレッドに会った時、ローランドはジャレッドが怯えているように見えた。グレアムは親戚とはいえ今までほとんど交流がなかったため初対面に近いという。知らない人たちばかりの中でさぞ気疲れしていることだろう。それに今は家族を亡くしたばかりで辛い時期だろう。
(この子が心穏やかに過ごせるようになるといいな)
そう思いながらジャレッドの頭を撫でると、ジャレッドはびっくりしたように目を見開いて固まった。
(あ、弟みたいに思ってつい)
びっくり顔のジャレッドを見てローランドは馴れ馴れしかったかなと思ったが、ジャレッドの頬がじんわりと紅くなって、ほんのり嬉しそうに見えたのでいいかと撫で続けた。




