24 孤独だった王
「お前だけは絶対に許さない!」
背をロイに任せ、ジェイドがフェイルに向かって走り出した時。
突然、操られていた兵士達の動きが止まった。
「あの姫、何をした……!?」
その言葉を聞いて振り返ると、ローズが天使像にもたれかかっているのが見えた。
魔力を限界まで使ったのかもしれない。
ローズのことが心配だったが、チャンスは今だ。
ジェイドは再び前を向いて剣を構え、元凶の男に向かって進む。
動きを止めた兵士達は、ジェイドの邪魔をする様子はない。
「姫の〈守護者〉よ。ジェイド、と言ったか。お主、この顔に見覚えはないか?」
もう、剣を一振りすれば確実にフェイルを捕えられる距離。
闇に染まった男は、ジェイドの見えるようにゆっくりとフードを脱いだ。そこにあった顔を見て、ジェイドは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
――――知っていた。その顔には見覚えがあった。
「ライト……?」
茜色の長髪、青紫色の瞳。間違いない。
コラート侯爵家の長男、ライト・コラート。
病気で死んだと聞かされていた。生きていれば十七歳のはずだ。
コラート侯爵はなかなか子供に恵まれず、やっとできたライトを溺愛していた。ジェイドも、ライトとは何度か会ったことがある。身体は弱かったが、無邪気で明るく、優しい子だった。
「どういうことだ?」
「私はずっと邪石の中に眠っていたんだ。それを起こしてくれたのがこの子だよ。同じコラート家の血筋だけあってすんなりと私の器になってくれたという訳だ」
こいつは、一体何を言っているんだ。
とっておきの秘密をばらした時のように、ライトの顔で男は楽しそうに笑っていた。
「ライトの身体を使って、コラート侯爵も操っていたのか?」
「そうだ。初めは息子がおかしくなったのかと嘆いていたな。よっぽど息子を愛していたのか、その傷心ぶりはすごかったよ。おかげで簡単に操ることができたがな」
大事な息子を盾に取られて、平気でいられる親などいないだろう。そして、その心の動揺につけ込まれた。
しかし、その当時はまだ王族が存在していたはずで、完全にコラート侯爵を操ることはできなかっただろう。
だから、コラート侯爵を脅してあの火事を起こしたのか。賊を雇って。おそらくその時死んだ者の命を使って、大量の邪石が作られたのだ。邪石という訳の分からないものを作る為だけに、あの日多くの命が犠牲となった。
そして、それに利用されたライト。
八年前といえば、ライトはまだ九歳だ。その時から、ずっとフェイルに身体を奪われている。
許せない。
この男は絶対に許してはいけない。ライトの身体をこの男から取り戻さなければ。
「お前みたいな奴の為にライトは生きてきたんじゃない。死人が蘇ってくるんじゃねぇよ。もう一度、死んでくれ」
怒りや憎悪を通り越し、ジェイドの声は酷く淡々と響いた。
「私を殺す? この身体を傷つけることができるのか?」
ぐっと剣を握る手に力が入る。ジェイドは、どうしても刃を男に向けることができない。
「……う、ぐあぁぁぁぁ!!」
突然、目の前の男が叫んだかと思うと、視界が真っ白になる。
ジェイドは、優しい光に包まれていた。何とも言えない安心感。先程まで激しく怒り狂っていた心が穏やかになるのを感じ、冷静に物事を考えることができるようになっていた。
そして、頭の隅で確信していた。
ローズがやったのだと。
「ジェイド!」
徐々に視界が戻ってくる。隣には、疲弊しきったローズがいた。足元がふらついている。
ジェイドは、傾くその身体を剣を持っていない左手で支えた。
「ありがとう。ジェイドのおかげで成功したわ」
そう言って笑ったローズは、ジェイドが今まで見据えていた男を見て目を見開く。
「……もしかして、ライト?」
ライトの身体は地面に崩れていた。気絶しているようだ。
ローズは倒れているライトに近づこうとする。ジェイドはそれを制止した。
「待て。ライトの身体をフェイルがのっとっていたんだ。まだ、あの男かもしれない」
「そんな……でも、守護結界は張ったのよ。邪石が存在できるはずがないわ」
「……そうだとしても危険だ」
ジェイドが止めても、ローズは言うことを聞いてくれそうになかった。
「もしフェイルだとしても、まだ邪石の力が残っているなら私が浄化しないと」
ジェイドの腕の中から出て、ローズはふらつく足で横たわるライトの身体に近づいた。
「ローズ、もう限界だろう」
「そんなの関係ないわ。フェイルの邪石を浄化しないと、いつまた同じようなことが起きるか分からないじゃない」
確かに、その通りだった。
「フェイルは、ずっと邪石の中で眠っていたと言っていた。もしそうなら、百年前から存在する邪石があるはずだ」
ジェイドもしゃがみ込み、ライトの服をまさぐる。フェイルの魂が宿っていたであろう邪石を探す為だ。
「ジェイド。また邪石に操られたりしないでよ」
「あぁ。気をつける」
と言っても、今はローズの魔力のおかげで邪石の力は発揮できないだろう。周囲は暖かい魔力で溢れている。
ライトの首元には、紐が提げられていた。ジェイドはその紐を引っ張る。
「……これか」
紐の先には、深く暗い闇を映したような石があった。
邪石の力が発揮されないとはいえ、見ている者をなんだか暗い気分にさせる。
「そうみたい」
ローズはそう言うなり、ジェイドが止める暇もなくそれに触れた。
「うっ……」
小さく呻き声を上げたローズは、そのまま気を失った。
すぐに、その細い身体を支える。その手には、フェイルの邪石が握りしめられたままだ。
この邪石のせいで気を失ったのだろう。取り上げようとしたが、すごい力で握られていて、ローズから離すことができなかった。
* * *
なんて暗く深い闇だろうか。どこまでも続くその暗闇の中をローズは歩いていた。
「何故、誰も私を見ようとしないのだ!」
その声と姿は、アレクサンド王の記憶で見た姿そのままだった。整えられた赤い髪、紫色の瞳。しかし、どこか印象が違うのは、威厳ある王ではなく、ただのフェイル・コラートという人間としてそこに彼がいたからだろうか。暗い闇の中で彼の姿だけが浮き上がっていた。酷く脅えた様子で、フェイルは独り叫んでいた。
ここは、あの邪石の中だろう。
ローズは邪石に触れた時、意識だけがここに入り込んでしまったのだ。
邪石の中で眠っていたというフェイルの思いが、ここには溢れている。
フェイル・コラートは、偶然王になった。
王位継承者であった兄が病に伏せ、弟である彼が王位を継ぐことになったのだ。
しかし、それまで王になるなど思っていなかった彼は何の準備もしてこなかった。周囲も彼をそういう目で見ていなかった。国を背負うという責任を果たせと急に言われても、彼には理解できなかった。
それまで王位継承者として扱われなかったフェイルは、いつも独りだった。
それなのに、王になった途端皆が突然寄ってきたのだ。見せかけだけの愛情に、フェイルは嫌気がさした。 他人は王という肩書だけを見て近づいてくる。欲を剥き出しにした、そんな人間達が大嫌いだった。
それなら、いっそ人の心を操ってしまえばいい。そうすれば、自分は孤独ではなくなる……。
そう考えたフェイルは魔石の存在を思い出した。
しかし簡単に魔石が扱えるはずもなく、周囲は石を集めることに夢中になっている我儘な王にうんざりし始めた。
そんな時、フェイルは思いついたのだ。
憎しみで染まった血で魔石を穢すことができれば、魔石の力を手に入れられるのではないか……と。
フェイルは自分以外のもの全てを嫌い、憎んでいた。憎むという感情は彼にとって扱いやすく、心地のいいものとなっていたのだ。
そして、邪石を作ることに成功し、フェイルはどんどん歪んでいった。魔石の強い力を邪石へと変えた彼の心は、自分で思う以上に闇に染まってしまったのだ。自分でも歯止めがきかないほどに。
「本当は、一人になりたくなかっただけだったのよね」
そっと、ローズはフェイルの肩に触れた。
膝を抱えて蹲っているその姿は、まるで小さな子どもの様だった。
「みんなに、自分を見て欲しかったのよね」
フェイルからの返事はないが、続けて言葉をかける。
「でもね、あなたが気付いていなかっただけで、あなたのことをちゃんと見ていた人はいたわ」
「……それは誰だ?」
初めてフェイルがこちらに顔を向けた。ローズは、にっこり笑って答える。
「アレクサンド王よ。彼はあなたと真正面から向き合っていた。あなたが間違っていると。本当は止めて欲しかったんでしょう? 邪石を作ることで、あなたの心は救われなかった。そうでしょう?」
その紫色の双眸には恐怖が映っていた。フェイルは逃げていたのだ、自分の感情から。
「それどころか、あなたの孤独はどんどん増していった……」
フェイルの心の中にいると、彼の心の葛藤がよく分かった。
本当は、ただ誰かと一緒にいたくて、自分を見て欲しいだけだったのに。
邪石を作って、人の心を操って、自分に目を向けた。それこそが邪石によって作り出された心であるのに、それにすがって生きていた。
そのうち、死ぬことに脅え、邪石に魂を移そうと考えるようになった。より強い 魔石であれば、魂を移すことができると信じて。
しかしそうする為には、フェイル自身の全ての血を魂として捧げる必要があった。
だから、アレクサンド王に追い詰められた時、フェイルは暗い闇に包まれた地下室で自殺したのだ。魔石を胸に抱えたまま。
そしてその地下室に、百年後偶然にもライトが足を踏み入れてしまった。
百年間邪石の中で眠っていたフェイルの魂に残っていたのは、国を追われた屈辱とアレクサンドに対する憎しみだけだった。邪石には、負の感情しか移せないから。自分を見て欲しくて、独りが嫌で、誰かに愛されたかったその気持ちは、全て憎しみや怒りに変わってしまったのだ。
その独りよがりな欲望は、ただ誰かが側にいてくれれば叶えられたものだったのに。彼は邪石という邪悪なものを生み出してしまった。
「あなたは、きっと愛されていた。あなたが気付いていなかっただけで。だって、そうじゃないとコラート家が残っているのはおかしいと思わない?」
ローズは、ずっと不思議だった。
何故アレクサンド王はコラート家をその罪で滅ぼすこともできたのにそのまま残しておいたのか。
きっとアレクサンド王は気付いていたのだ、フェイルの孤独に。
それなのに、止められなかった。ローズにはアレクサンド王の気持ちが分かる気がする。
ずっと孤独だと感じていた、この人の帰る場所を、存在した証を、残してあげたかったのではないだろうか。
彼がしたことは許せることではない。
それでも、アレクサンド王はフェイルを恨んではいなかった。だから、後世に事実とは違う歴史を残したのだ。
「あなたに必要だったのは、邪石を作ることではなくて、人の愛情を素直に信じることだったの」
そう言うと、横から嗚咽が漏れてきた。フェイルが泣いているのだ。
「そうか。皆、私のことを愛してくれていたのか……」
エンジェライトの癒しの力で、邪石の闇は浄化されつつあった。こんな風に素直に泣いたり、言葉を発したりするのは、彼にとって初めてのことだろう。
ローズは、守護石エンジェライトの魔力でフェイルを優しく包み込む。
「どうか、あなたが素直になれますように」
ふんわりと、周囲が光に包まれ、徐々に現実に引き戻されるのを感じていた。
(きっと、これでもう大丈夫)
目を閉じたまま、ローズはジェイドのたくましい腕を感じていた。
そして、疲弊しきった身体を休める為に意識を手放し、夢の世界へ落ちていった。




