72_あらららげる。
タイトルは「ら」が1個多い。
みなさまは「声を荒げる」の「荒げる」が本来形においては「荒らげる」と書くことをご存知でしたでしょうか。
わたくしは今日(7月24日)知りました。はえーって思いました。
なんでも
荒げる は形容動詞「あららか」の語幹「あらら」から派生した言葉であるらしいです。
なので「あららげる」が本来的な綴りである、とのこと。
ですが実際のところ、江戸時代くらいから「あらげる」という「らが一つ脱落した」使われ方が見られたようです。「あらげる」にもすでに200年以上の歴史があるため、現代においてはその両方の使い方が許容されているわけです。
で、なんでこんなことになるのかといえば、それはもちろん「あららげる」よりも「あらげる」の方が発音しやすいからに他ならないでしょう。
言葉の本質は『音声』です。文字が生まれるよりも前から『言葉』は口語として存在しました。それこそ、日本列島では漢字を輸入する以前には文字がありませんでしたが、大和言葉はその時代から間違いなく存在していました。人間の脳においても、言語は基本的に音声で処理されており、それを文字と対応させる識字能力は進化において後から発生していることがあきらかになっていたはずです(うろおぼえです)。
言語において、音が主であり表記は従です。
発音のしやすさが優先されるからこそ、「あらたしい」は「あたらしい」になったし、「あきは」ではなく「アキバ」だし、「あららららげる」はやがて「あらげる」になる運命だったのです。ら抜き言葉だって、いつかは文法として教育で習うようになるでしょう……。
とはいえ、今正しいとされている文法を尊重することもまた必要なことではあります。
相手の言葉を大切にするのは、相手や場を大切にすると言う意思表明だと言えます。たとえば公共の場で、公人がら抜き言葉を多用したなら、まゆをひそめられても仕方がないような気もします。
変わり続けるものだからこそ、残したいと思う気持ちになるのかもしれません。それもわからないでもないです。
とはいえ私としては、私の生きている間にもっと大胆な変化を見せてくれ! 私の理解が及ばない『時代の変化』を見たいんだ! という気持ちもあります。
未来の日本語、気になる……!




