46_文フリに出ます。
二言目には文フリ文フリって
あんた他に文フリいないの?
はい。文学フリマ東京42に出店します。(5/4(月) 12:00〜17:00 東京ビッグサイト南1-4ホール 神原ハヤオは『う-71』スペースで出店します)
さて、このエッセイをはじめるときに決めていたこととして、このエッセイシリーズは『普段から定期的に配信するコンテンツ』として制作しています。
この定期的コンテンツを続ける上での心構え──心構えというと大袈裟ですね、まあ私の脳内イメージのようなもの──それは
YouTubeです。
YouTubeのコンテンツのような『日常の中で楽しめる』読み物。同人誌が映画のようなものだとして、なろうでの連載がテレビドラマのようなものであるとするならば、エッセイはYouTube動画です。ひとつひとつの投稿を作り込むというよりは、短い気軽なコンテンツがコンスタントに出続けることに意味があると思っています(もちろんそうではない戦い方をしているYouTubeチャンネルもありますが、ここでは私がコンスタントに投稿している方を参考にしているということです)。
このエッセイシリーズがYouTube動画を目指しているものであるのならば
宣伝はあって良いのではないかと思いました。
ある方が良いまであるのではないかと思いました。
「俗」だからです。その方が。
思うに、クリエイターは自らが俗になることを嫌います。私もそうです。そうでした。自分の作品を自分で宣伝するのは、なんとなく「はしたない」ような気がしているし、リポストや感想をくれと公言することは「そう言わないと感想をもらえないと言っている感じ」がして、避けてきていました。
よく言えばプライド。悪く言ってもプライド。自分が俗に落ちないことにこだわっている感じ。
でもそれって何も作家自身のためだけにやっているわけでもなくて、例えば自分を顧みてみても、好きな作家が「俗っぽくない」ことに喜んでしまう面はあるわけですよね。好きな映画監督は、一人の観客のわがままで言わせてもらうのであれば、映画の向こうだけにいて欲しい。小説家には小説だけ書いておいて欲しい。
「俗」に落ちてほしくない。
YouTuberはどうでしょうか? 私は、YouTuberについては「そうではない」という思いがあります。皆様の中ではどうでしょうか。YouTuberはどことなく、俗が見えた方が「親しみが持てる」気がしませんか?
「チャンネル登録、高評価お願いします」
評価を求める言葉を口にしても、それが浮いていない感じがします。映画のラストで「感想をハッシュタグでつぶやいてね!」って出てきたらどうでしょう。私は嫌です。でも「チャンネル登録、高評価お願いします」は嫌ではないんですよ。
たぶん、YouTube動画は「ハレ」のものではないからでしょうね。
日常の中──ケの中に、それを少しだけ彩るものとして存在している。
YouTube動画は作品として見られる場面は少なくて、例えば生活の環境音の一つとして存在できる。YouTuberはその動画を提供してくれる隣人であり、良い意味で「俗」にいる。
私はこのエッセイシリーズが、「俗」なものであることを望んでいます。
読者の日常の外にあるものではなくて、その日常の一瞬の中で訪問する場所の一つになってくれることを期待しています。私の日常の場でもあります。
そしてその、私にとっての俗であり読者にとっての日常であるこの場所が、私にとってのハレ・読者にとっての非日常である長編小説作品への導線になってくれたら──とてもありがたいのです。
というわけで宣伝はしていきます。今回もそうですし、多分今後だってそうします。
ここは俗でいい。カッコ悪く見えていいし、むしろそう見えた方がいい。
それにほら
本が読まれなかったら嫌だから……
5/4(月)は文学フリマ東京42に出店します。よろしくお願いします。
新刊「宇宙探偵 合冊版」
文学フリマ東京42|う-71/INEN
5/4(月) 12:00〜開催!
コメディ多めのスペースオペラです。私の普段の作風通りでございます。




