35_Web小説ではプロローグを書かない方が良いとされており……なぜ?
Web小説界隈でまことしやかにささやかれる一つの噂話。
「Web小説ではプロローグを書かない方が良い」
実際のところどうなんでしょう? わかるような、わからないような。好きに書かせろい!って思いますけど、プロローグを避けるべきという意見も理解はできるんです。
そもそもプロローグとはなんぞという話もあります。
それは1話目と何が違うんだ?っていう。
いや、でも、明確にプロローグっぽい文章ってやっぱりあるんですよね。なんとなくのイメージですけど、昔の海外小説とかはプロローグに1ページ割かれがちっていう印象があります。今のプロローグ文化もなんとなくそういう流れを汲んでいるんじゃないかって思ったりしているのですが。
そういう海外小説の冒頭って、意味深だったり詩的だったり
まあそこがいいんですけど、癖のある文章っていうイメージがあります。私が一番印象に残っているプロローグは、やっぱりディックなんですよ。『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』っていうSF小説がありまして、私はこの本のプロローグが特に好きなんです。
ちょっと引用しちゃうんですが
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つまりこうなんだ結局。人間が塵から作られたことを、諸君はよく考えてみなくちゃいかん。たしかに、元がこれではたかが知れとるし、それを忘れるべきじゃない。しかしだな、そんなみじめな出だしのわりに、人間はまずまずうまくやってきたじゃないか。だから、われわれがいま直面しているこのひどい状況も、きっと切りぬけられるというのが、わたしの個人的信念だ。わかるか?
(フィリップ・K・ディック著,朝倉久志訳『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』早川書房,2013,kindle版,位置11)
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カッコよいったらない。人間への諦観と、諦観の中の人間讃歌。どういう話がはじまるのかはまださっぱりわからないけれど、とにかくこの人間観にたどりつく物語なのだろうなと予感させてくれる本当に良い序文だと思います。
いくら詩的であっても、このレベルの完成度であればWeb小説でも通用すると思うのは、私がフィリップ・K・ディックが好きだからでしょうか?
贔屓目はあるにせよ、それだけじゃないと思うんです。
まず短い。
このプロローグ、175字なんですよ。
175字に人生観をにじませる文章を書くのは並の技術ではないです。
こう書いてみて、一般にプロローグを書かない方が良いとされる理由の一端がわかった気がします。「短い文章で作品の価値観を魅力的に伝える」というタスクがあまりにも難しい。フィリップ・K・ディックにできたからと言って、私にそれができる気がぜんぜんしません。175字ですよ! ちょっとしたSNSの文章みたいなものを書いたら終わりです。だいたい、このエッセイだってここまでで1200字です……。
さすがに175字に切り詰めるのは現実的とは言えませんが、プロローグとして独立した文章を書くなら500字と長くて1000字とか……そのあたりが目安なんじゃなかろうかと個人的には思っています。それ以上になるのであれば、プロローグではなく1話目として構成する気がします、自分の場合。まあここは好みによるかもですが……。
あとは、そうですね。これは多分Web連載だからということなんだと思いますけど。
やっぱり、冒頭にいきなり作品の核心を掴むのは、作者であっても難しいですよ。
核心を短い文章にまとめるってのは、それだけで一仕事ですから。全部書き終わって、何回か推敲して……それくらいまでやって、私なんかはようやっと自分の作品を理解できたりするんですよね。いきなりは書けないと思います。
Web小説でプロローグを書かない方がいいっていうのは、私は多分に技術的な問題であると思っています。「読ませるプロローグを書く」ことは、普通の1話目を書くことよりはるかに技術的に難しい。下準備なしにつっこめば失敗する確率が高い……ようはそういうことではないでしょうか。
まあそれでも、難しそうだとかえってやる気が湧いてきますね。やるなって言われるとやりたくなるからね。




