42.エピローグ
ここでこうしているのも、なんだかまだ夢を見ているようで。
「月穂姫様、恐れ入りますがもう少し左腕をあげてくださいませ。はい、そのままでお願いいたします」
私の周りでは針子が3人、採寸用の巻き尺を手に忙しく動き回っています。
あれからお父様にも話が通り、婚約式が行われることも公に発表されました。
お兄様曰く、世間ではちょっとした騒ぎになっているそうです。
諸外国までもが加わって、その座を狙っていたでしょう、東の大国の正妃という地位。
明らかに候補に入らない身分の私が選ばれたのですから、政治的にもかなりショッキングな出来事だったことは間違いありません。
「物騒なことが起こると困るから、ちょうど良かった」
そう言って蒼嵐様は屈強な大男の兵士を2人、護衛として置いていかれました。
驚いたことにこの兵士、赤花鉱石を核に作られた魔道具なのだそうです。
飲むことも食べることもなく、24時間ずっと私の部屋の前に番人のように立っているので、慣れるまですごく時間がかかりましたが……ものすごく心強かったのは言うまでもありません。
そして蒼嵐様が「婚約式と結婚式の衣装は僕が用意するから」と言ってくださったことで、採寸ついでに遊びに来た私は今、紗里真にいます。
針子が持っているデザイン画には、細かい指示とともに美しい花嫁衣装が描かれていました。
「素敵……とても繊細で可憐なデザインね。私にはもったいないわ」
のぞき込んでそう言うと、針子達は「あら」とか「まあ」とか言いながらクスクス笑い出します。そして意外な一言が。
「これは月穂姫様のために、陛下がデザインされたものですよ」
「……ええっ?!」
「ですから、月穂姫様にこそ、よくお似合いになると思います」
「陛下のデザインは服飾から馬車まで多岐にわたりますが、どれも素晴らしいものですから」
私はここへ来るときに乗った空飛ぶ馬車のことを思い出していました。
新型だという黄色と黒の特殊形状をした大型馬車で、確かにデザインから何から普通でないと思っていましたが……
「デザインまでされるなんて、本当に多才な方なのですね……蒼嵐様は」
「ええ、大変に多才でらっしゃいます。ですが、デザインに関してはご自身が好きなもの以外は手掛けられませんよ」
「愛されておられますね、月穂姫様」
またクスクスと針子達に笑われ、私は赤くなりました。
そうなのです……求婚していただいた日から、蒼嵐様はお手紙だけではなく、直接会った時にもごく普通のことのように「大好き」や「愛してる」を口にするようになりました。
私の心臓はそれに振り回されっぱなしです。もちろんうれしいですし、幸せなのですが……
実は私からはまだ一度も、蒼嵐様に「好き」を伝えられていません。
お顔を見ると恥ずかしくて、とてもではありませんが口に出来ないのです。
お手紙ではなく直接言おうと心に決めているので、会う度に伝えたいと思っているのですが……
(私も心からお慕いしていると、ちゃんと伝えなくては)
今はそれだけが気がかりというか、勇気が出なくて自己嫌悪なのです。
たわいもない雑談を交わしながら採寸が終わり、庭園に野点を用意しているということで、お茶に向かいます。
紗里真は清明国よりも夏が早く、大分日差しの強くなった庭園の緑の上に、大きな日除けとガーデンテーブルが用意されていました。
近くでは噴水が虹を作っています。涼を誘う、素敵なお茶の席です。
「月穂姫」
既に席に着いて読書をされていた蒼嵐様が、笑顔で迎えてくれます。
立ち上がってきてエスコートして下さると、テーブルについたところで甘味とともに冷たい飲み物が運ばれてきました。
琥珀色のグラスに口をつけたら、甘い風味のお茶にさわやかな柑橘がふわりと香りました。
「美味しい……! こんなお茶があるのですね。初めて口にしました」
「気に入ってくれた? 南の大陸にある茶園から先日届いたばかりなんだ。香りが強くて冷たい飲み物に合うのだけれど、女性が好む味なのかな。柑橘とも相性がいいみたいで飛那姫も気に入ってる」
「飛那姫様のお加減は、もうすっかりよろしいのですか?」
「おかげさまですこぶる元気だよ。月穂姫に会いたいと言っていたから、後で遊んであげてね」
「まあ、うれしいです」
お茶を飲みながら、私はあらためて紗里真の庭園を見回しました。
隅から隅まで手入れの行き届いた、素晴らしいお庭です。大庭園にありがちな左右対称や、幾何学的なデザインではなく、整っているのに自然な印象を受けます。
個々の草花を愛でるために、その特性を生かしながら庭全体が整備されている感じとでもいうのでしょうか。
どこを切り取っても自然で美しい絵画のように見える景色に、うっとりとしてしまいます。
そんな私を見た蒼嵐様が「月穂姫も庭園が好きだよね」と目を細めて言いました。
「はい、お庭にいるのは好きです。紗里真の庭園は本当に素敵ですね」
「ありがとう。ここは飛那姫が好む様式に全体を整えてあるんだ。僕が設計から携わって、草花も飛那姫が好きな種類を多く取り入れてる。月穂姫にも楽しんでもらえるとうれしいな」
「ええ、もちろんです」
「でもこことは別に、月穂姫のために騎士団演習場の隣にあった草地を、新しく庭園として整備することにしたからね。ひとまず桜の苗木を百本ほど植樹することにしたけれど、他に要望はある? 好きな花とか、池とか、東屋のデザインとか」
唐突に出て来た提案に、私は数秒の間口を開けたまま停止してしまいました。
「ひゃ、百本?? あ、新しく整備って……あの、蒼嵐様?? 私ごときのためにそんな、大きなお金を使っては……」
「別に何も問題ないよ?」
色んな意味で、問題ないわけないですよね??
「で、でも国のお金はそういうことに使うものでは……」
おそるおそる言うと、蒼嵐様は私の顔をまじまじと見つめてから、ぷっと吹き出しました。
「ははは……確かに国民の税金からそんなことをしたら、飛那姫がどれだけ怒るか分からないね。大丈夫、こういうことは全部僕のポケットマネーでやっているから。新しく開発した魔道具類が他国に飛ぶように売れているし、今までに書いた研究書も好評みたいだし、僕は国王業とは別に稼いでいるから心配しなくていいよ」
ポケットマネー……? 別に稼いでいる……?
見えないところで一体何をやっているのでしょうか、この方は。
「でも良かった、月穂姫がそういう人で」
「え?」
「王女って贅沢に慣れていて、何かしてもらうのが当たり前と思う人種が多いけれど、僕そういう人苦手なんだよね。月穂姫みたいなタイプは稀だと思うから、君を見つけられた僕は運が良かったよ」
「そ、それを言うのでしたら私の方こそ……」
今です、今なら言えそうな気がします。
ずっとお慕いしていたと。はじめてお会いした時から大好きでしたと。
「せ、蒼嵐様! 私……」
音を立ててお茶のカップを置くと、意を決して口を開きました。
「はじめてお会いした時からずっと……ずっとお慕いしておりました! ちゃ、ちゃんとお伝えしたかったのに、言えずにここまできてしまって……」
真っ赤になった私を、蒼嵐様は驚いたように見ていました。
護衛も侍女達も遠巻きで会話も聞こえづらいでしょうから、は、恥ずかしいけれど今日は言います!
「その……ですから、大好きです……」
最後が聞こえたかどうか分からない程小声になりましたが、なんとか言えました。
精一杯なのです。これ以上はもう無理……!
口元を両手で覆いながら、そうっと様子を窺って見ると、目があった蒼嵐様はニコッと笑いました。
「うん、知ってる」
「……え?」
「直接聞けてうれしいけれど、もう知ってるよ。ほら、ナイトフライトの時に」
「な、ナイトフライトの、時……?」
「ああ、やっぱり自覚ないよね。じゃあ今後のためにも教えておいてあげた方がいいか」
意味が分からず目をぱちくりする私に、蒼嵐様は最初から説明してくれました。
私は声に魔力を乗せている状態で、自分の感情までそこに入れ込んでしまうと、ダイレクトにそれが相手に伝わってしまうのだと。
例えば相手のことが好きで叫んだ思いは全部筒抜けで「大好き」と叫んでいるのと同じことなのだと。
それを聞いて、頭が沸騰しそうなほど恥ずかしい気持ちになりました。
全力で穴を掘って埋まりたいです!!
「じゃ、じゃあ蒼嵐様は、その時から私の気持ちをし、知って……?」
「知ってたよ」
いやあぁーっ! と心の中で叫びます。
恥ずか死にます!! やっぱりこんな能力要りません!!
「((も、もっと前に言ってくだされば……恥ずかしくて死にそうです……!))」
「月穂姫、声に魔力もれてる。それ、僕まですごく恥ずかしくなるから勘弁して欲しいかな……」
「((あっ! え?! どうして……))」
「制御の仕方は練習した方が良さそうだねぇ……」
困ったように笑いながら、蒼嵐様はテーブルの上の私の手にそっと自分の手を重ねました。
ドキドキしていた心臓が、また大きく跳ねます。
「僕の方はそういう風に伝えられないから、言葉や行動で示していくからね」
見つめられながらそう言われても、この沸騰した頭でどう答えて良いか分かりませんが……もしかして、会う度に「好き」を伝えてくださるのはそのせいなのでしょうか。
「大国の正妃となると、立場上大変なこともたくさんあると思うけれど、月穂姫が僕を選んで幸せだと思えるようにするから」
伝えられた言葉に、胸の奥が熱くなります。
辛くて泣くのじゃなくて、うれしくて泣きたくなることがこんなにあるなんて。
「私、もう十分幸せなのですけれど……」
くしゃりと微笑んでそう返すと、蒼嵐様は「ええ?」と意外そうです。
「まだまだ全然足りないよ? 僕の気持ちはこんなものじゃないから、覚悟しておいてね」
覚悟……それ、冗談とかじゃなくて、本気の発言ですね。
「でも私、何もお返し出来ないです……」
「そんなこと考えなくてもいいよ。即物的なもので僕が何か返してもらいたいと思う?」
確かに、蒼嵐様に手に入らない物なんてなさそうです。
「思わないです。でも……」
「どうしてもって言うなら、そうだね。後で僕のためだけに一曲歌ってくれるかな?」
本当にそれだけでいいのだと言ってくれているようで、すくい上げられたような気持ちになります。
私達は同じように笑いました。
「はい、喜んで!」
振り返ればいつの間にか、耐えて怯えるだけの自分が過去になっていました。
勇気がなくて小さくなって我慢していただけの私。自分を信じることも出来なかった私じゃ、この幸せにはたどり着けなかった。
歌うことで愛しい存在を慰めたり、助けになれたりするのだとしたら……
きっと私は、これからも幸せな気持ちを持ち続けていられる。
「ありがとうございます、蒼嵐様」
私の姿を映した優しい瞳が、柔らかく応えました。
この人が教えてくれた温かい気持ちと、勇気と、感謝の言葉を、いつまでも覚えていたい。
空を見上げて、飛んで行く鳥を追いました。
今なら、あの鳥たちみたいにどこへでも行けるし、何でも出来そうな気がします。
それはきっと、錯覚なんかじゃない――。
お母様、どこからか見ていてくださいますか?
私、今――とても幸せです。
(-完-)
全42話、完結となります!
お付き合い下さった読者の方、大変ありがとうございました。
☆追記☆
完結後、たくさんの方が見に来てくださっているようです。大変ありがとうございます!
……本作、面白かったですかね? 「面白かったよ!」という方は、少しでも足跡を残してくださるとうれしいです。次回作への励みになりますので!
感想などお待ちしてます!!(あ、数字の足跡でもうれしいですよ。笑)




