Ep 8.『色々知っているはずだった。』
第8話です!
今回からテスト週間編に入ります。
いつも通り勉強に苦戦する灯乃ですが、今回はそんな彼女の意外な一面が明らかに……?
瑆が少しずつ知っていく、甘城灯乃の知らない姿。
ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです!
朝の教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。
理由は単純だ。黒板の端に、来週から始まる定期テストの日程が書かれていたからである。
普段なら授業が始まるまで好き勝手に過ごしている生徒たちも、今日ばかりはその予定表を気にしているようだった。
「うわ、もうテスト週間かよ……」
「今回、数学の範囲広くない?」
「英語も結構やばいって!」
あちこちから聞こえてくる声に、俺は小さく息を吐いた。
テストなんて、決められた日にやってくるものだ。今さら騒いだところで日程が変わるわけでもない。
それに、俺にとってはいつも通りのことだ。
問題は、俺ではない。
「……あー、どうしよう」
少し離れた席から、聞き覚えのある声が聞こえた。
視線を向けると、甘城灯乃が机に頬を寄せていた。いつもなら周囲の友人たちと楽しそうに話している時間帯だが、今日は手元のテスト日程表をじっと見つめている。
どうやら、現実を受け入れられないらしい。
……まあ、気持ちは分からなくもない。
何しろ、こいつの数学の成績は以前からなかなかのものだった。もちろん悪い意味で。
俺は自分の机に視線を戻した。
関わらない。余計なことはしない。平穏な安全ボッチライフを守る。
それが俺の基本方針である。
もっとも、今の俺にはその方針を簡単に貫けない理由が一つあるのだが。
「瑆くん」
ほら、来た。
「……何だよ」
「今日も、よろしくね」
「はいはい。分かってるよ」
俺は小さくため息をついた。
こうして、今日もいつもの勉強会が始まることになった。
夕方。
窓の外から差し込む光が、部屋の床に長い影を落としていた。
机の上には数学の教科書とノート。向かい側には、いつものように甘城が座っている。
テスト週間が近づいていることもあって、今日はいつもより少しだけ真剣な雰囲気だった。
「ここは、さっき説明した公式を使えば解ける。まずは式を立ててみろ」
「えっと……こう?」
「違う。そこは符号が逆」
「あっ、ほんとだ!」
甘城は消しゴムで間違えた部分を消し、もう一度ノートに書き始めた。
以前に比べれば、少しは進歩している。少なくとも、問題を見ただけで諦めることは減った。
……まあ、まだまだ先は長そうだが。
「できた!」
「お、今度は合ってるな」
「やった!」
甘城は嬉しそうに顔を上げた。
その表情を見ると、教える側としても悪い気はしない。
ただし、調子に乗られると面倒なので、そこは口にしないでおく。
「じゃあ、次の問題」
「えっ、もう?」
「今の一問だけで満足するな」
「瑆くん、意外と厳しいよね……」
「うるせぇ、意外とは余計だ」
そんなやり取りをしながら、勉強は続いていった。
しばらくして、俺はシャープペンシルを置いた。
「少し休憩するか」
「賛成!」
甘城は待ってましたと言わんばかりに、背もたれへ体を預けた。
……こいつ、本当に勉強のときと休憩のときで表情が違うな。
「テスト週間かぁ……。家でも勉強しないとだよね」
「当たり前だろ。学校だけで全部終わるわけないだろ」
「分かってるよ。でも、家に帰ったらやることもあるし」
「やること?」
何気なく聞き返すと、甘城は少し首を傾けた。
「うん。家のこととか」
「家のことって、家事か?」
「そうそう。洗濯物を片づけたり、ご飯を作ったりね」
……ご飯を作る?
「ちょっと待て。お前って、料理するのか?」
「うん。するよ?」
あまりにも普通の返事だったので、逆に反応に困った。
「……できるんだな」
「できるよ。そんなに意外?」
「いや、まぁ……」
正直に言えば、かなり意外だった。
俺の知っている甘城灯乃といえば、明るくて、誰とでも自然に話せて、そして数学が壊滅的に苦手な女子だ。
料理をしている姿なんて、今まで想像したこともなかった。
「料理って、どんなものを作るんだ?」
「普通のものだよ。卵焼きとか、炒め物とか。あとは、その日の材料を見て考えたり」
「材料を見て考える?」
「うん。冷蔵庫にあるものを使って、何を作るか決めるの。余らせちゃうともったいないしね」
さらっと答える甘城。
どうやら、思っていたより本格的らしい。
「洗濯もするのか?」
「するよ。干す順番とか、たたみ方とか、ちょっと工夫すると楽になるんだよね」
「……ずいぶん詳しいな」
「そうかな?」
甘城は特に自慢する様子もなく、指先で髪を整えた。
「あと、裁縫もできるよ。ボタンが取れたときとか、自分で直せるし」
「裁縫まで?」
俺は思わず聞き返していた。
料理に洗濯、さらには裁縫。
いつの間にか、甘城の知らなかった一面が次々と出てきている。
「なんか、色々できるんだな」
「家のことは結構好きなんだよね。どうしたら早く終わるかな、とか考えるのも楽しいし」
「効率化が好きなのか?」
「うん。無駄な時間はできるだけ減らしたいから」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ考えた。
効率化。
確かに、家事をするうえでは大切なことなのだろう。限られた時間の中で、何を先に済ませればいいのか考える。そういうことが好きなのかもしれない。
……それなら、勉強にも活かせそうなものだが。
「それだけできるなら、勉強も効率よく進められそうなもんだけどな」
「うっ……!」
甘城の表情が固まった。
「いやいやいや!どうしてそこで数学の話になるのー!今めっちゃグサって来たよ!」
「いや、今の話を聞いたら自然とそう思うだろ」
「家事と勉強は別なの!」
「そうなのか?」
「そうなのー!」
勢いよく言い切られてしまった。
どうやら、そこには触れてほしくなかったらしい。
「……まあ、得意不得意はあるか」
「そう! そういうことだよ!」
甘城は何度も頷いた。
さっきまでの余裕はどこへやら。勉強の話になると、途端に分かりやすい反応をする。
俺は少しだけ笑いそうになり、慌てて口元を引き締めた。
「何か今、笑った?」
「気のせいだ」
「絶対笑ったでしょ」
「気のせいだって」
甘城は納得していない様子だったが、それ以上追及してくることはなかった。
やがて、休憩時間も終わり、俺たちは再び教科書に向き合った。
さっきまでの会話が嘘のように、部屋にはシャープペンシルの音が響き始める。
「じゃあ、次はここの問題な」
「うん。今度こそ間違えないからね」
「ああ、その意気だ」
そう言って、俺は問題を指さした。
甘城は真剣な表情でノートに向かっている。
こうして見ると、学校で見かける姿とは少し違う。
もちろん、学校での甘城が嘘だとは思わない。誰にでも明るく接して、周りを笑顔にする。あれもきっと、甘城灯乃の一面なのだろう。
ただ、俺が知っていると思っていた彼女は、まだほんの一部分だったのかもしれない。
料理ができることも、洗濯に工夫をすることも、裁縫が得意なことも。
今日まで、俺は何一つ知らなかった。
「……瑆くん」
「なんだ?」
「ここ、次はどうすればいいの?」
甘城がノートをこちらに向ける。
「ああ、そこはな……」
俺は説明を始めた。
今までと何も変わらない、いつもの勉強会。
けれど、向かいに座る彼女を見る目は、ほんの少しだけ変わった気がした。
甘城灯乃。こいつは料理ができる
俺は、こいつのことを色々知っている。
…そのはずだった。
……いや。
まだ、知らないことの方が多いのかもしれない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は灯乃の家事スキルについてのお話でした。
勉強は苦手でも、得意なことはちゃんとある。
人にはそれぞれ、知られていない一面があるものですね。
これからも、瑆と灯乃の日常をゆっくり描いていきます。
次回もよろしくお願いします!




