3.荒唐無稽で理解不能で意味不明〜過去2〜
学園に入学して二ヶ月。
リリアは未だに理解できずにいた。
何故、自分はここまで嫌われているのか。
「おはようございます!」
朝。
リリアは教室へ入ると明るく挨拶をした。
だが返事は無い。
どころか数人の女子生徒が露骨に顔をしかめた。
「……また来た。」
「空気悪くなるんだけど。」
「ほんと図太い。」
ヒソヒソと陰口が聞こえる。
リリアは傷付いた顔をしないよう、無理に笑った。
「き、今日もいい天気ですね!」
しーん。
誰も反応しない。
リリアはぎこちなく自分の席へ向かった。
すると。
ベチャリ。
「・・・え?」
椅子に座った瞬間、冷たい感触がスカートに広がった。
慌てて立ち上がる。
椅子には大量のインク。
「あっはははは!!」
教室中が笑いに包まれた。
「ちょっと、やめなさいよ可哀想でしょ!」
「そんな事言って顔笑ってるじゃない!」
「だって面白いんだもん!」
クスクスと笑われる。
リリアはスカートを押さえながら俯いた。
「・・・っ。」
泣きそうになる。
でも。
泣いたら負けだと思った。
「だ、大丈夫です!」
リリアは笑った。
「お洗濯すれば落ちますし!」
その瞬間。
周囲の空気が少しだけ変わった。
「……なにあれ。」
「普通怒るでしょ。」
「逆に怖いんだけど。」
まるで化け物を見るような目。
リリアは訳が分からなかった。
「(どうして・・・?)」
仲良くしたいだけなのに。
皆んなと笑い合いたいだけなのに。
どうしてこんなに嫌われるのだろう。
昼休み。
リリアは中庭の隅で一人昼食を食べていた。
本当は誰かと食べたかった。
けれど、誰も一緒に食べてくれない。
だから最近は人の少ない場所で食べるようになっていた。
「はぁ・・・。」
小さくため息を吐く。
その時。
「見つけた。」
背後から声がした。
振り返ると、そこにいたのはルイスだった。
カテリーナの弟。
黒髪紅眼の美少年。
だがその瞳には強い嫌悪が宿っている。
ルイスの後ろには男子生徒が数人いた。
「え、えっと・・・ルイス様?」
「気安く名前を呼ぶな。」
冷たい声。
リリアはびくりと肩を震わせた。
「姉上に何をした?」
「え・・・?」
「とぼけるな。」
ルイスはリリアの胸ぐらを掴む。
「姉上が最近ずっと怯えている。」
「わ、私は何も・・・!」
「ヒロインの分際で。」
意味が分からない。
本当に分からない。
リリアは必死に言葉を探した。
「わ、私はカテリーナ様に何もしてません!」
「存在している時点で害悪なんだよ。」
「っ・・・。」
ルイスはリリアを突き飛ばした。
地面に倒れる。
弁当箱が転がり、中身が土まみれになった。
「あ・・・。」
リリアは呆然とそれを見る。
周囲の男子生徒達は笑っていた。
「ヒロイン様惨めー。」
「攻略対象に嫌われてやんの。」
「ゲーム通りにいかないな?」
また知らない言葉。
ゲーム。攻略対象。
意味不明だった。
「お前さ。」
ルイスが見下ろす。
「どうせ今は『なんで嫌われてるの?』とか思ってるんだろ。」
「・・・。」
「その白々しい顔が腹立つんだよ。」
ルイスは吐き捨てるように言った。
「姉上はずっと苦しんでたんだ。」
「・・・苦しんで?」
「悪役令嬢として破滅する未来にな。」
リリアは目を瞬かせた。
「(悪役・・・令嬢?)」
カテリーナが?
あんなに綺麗で優しくて完璧な人が?
意味が分からない。
ルイスはさらに続ける。
「姉上はな、本来ならお前のせいで婚約破棄されて、国外追放されて、最後には破滅する運命だった。」
「・・・・・え?」
「でも姉上は抗ったんだ。」
ルイスの瞳はカテリーナへの崇拝で満ちていた。
「自分の未来を変える為に。」
リリアは完全に思考が止まった。
未来?破滅?婚約破棄?
何の話をしているのか一つも理解できない。
「・・・あの、ルイス様?」
「なんだ。」
「未来って・・・見えるんですか?」
一瞬。
ルイス達の表情が凍った。
しまった。
そう思った時には遅かった。
「ふざけるなッ!!」
ルイスの怒号。
次の瞬間、頬に衝撃が走った。
パァンッ!!
リリアの身体が横へ倒れる。
頬が熱い。
叩かれたのだと理解するのに数秒かかった。
「え・・・?」
「その顔をするな!!」
ルイスは激昂していた。
「全部分かってて姉上を追い詰める気か!?」
「わ、分かりません!本当に何を言ってるのか——」
「黙れ!!」
再び怒鳴られる。
リリアの瞳から涙が溢れた。
「なんで・・・。」
本当に分からない。
どうしてここまで憎まれるのか。
どうして誰も話を聞いてくれないのか。
ルイスはそんなリリアを見下ろし、吐き捨てた。
「お前みたいなヒロインがいる限り、姉上は安心できない。」
「だから俺達が守る。」
その目は本気だった。
リリアを“敵”として認識している目。
ルイス達は去っていく。
残されたリリアは、一人地面に座り込んだまま震えていた。
「・・・意味、分かんないよ。」
ぽつりと零れた声。
空は青く晴れているのに。
リリアの世界だけが、どんどん暗く濁っていくようだった。
夕暮れ。
茜色に染まる王都の街並みを、リリアは俯きながら歩いていた。
頬が痛い。
ルイスに叩かれた場所が熱を持ってジンジンする。
手で触れると少し腫れていた。
「・・・。」
けれどリリアは手を離した。
母には隠さなければ。
これ以上心配をかけたくなかった。
男爵家の屋敷へ戻る。
使用人達はリリアを見ると露骨に目を逸らした。
最近では使用人達ですら冷たかった。
「ただいま戻りました。」
返事は無い。
静かな廊下を歩く。
以前は優しく話しかけてくれた使用人もいたのに、今では誰も近寄ろうとしない。
まるで疫病神みたいに。
リリアはぎゅっとカバンを抱き締めた。
「(大丈夫・・・。)」
自分に言い聞かせる。
「(きっとそのうち誤解が解けるわ。)」
そう思わないと、心が折れそうだった。
部屋の扉を開ける。
「リリア!」
すぐに母エミリアが駆け寄ってきた。
優しいピンクの髪。
柔らかな笑顔。
だが今は、その顔が不安で曇っていた。
「お帰りなさい。今日は遅かったのね。」
「え、えへへ・・・図書館で勉強してたの!」
リリアは笑顔を作った。
いつものように。
何事もないように。
でも、エミリアの視線がリリアの頬で止まる。
「・・・リリア。」
「え?」
「その頬、どうしたの?」
ドクン、と心臓が跳ねた。
リリアは慌てて顔を逸らす。
「な、なんでもないよ!」
「なんでもなくないでしょう。」
エミリアの声が震えていた。
そっと頬に触れられる。
「痛っ・・・。」
思わず声が漏れた。
エミリアの顔が青ざめる。
「誰にやられたの?」
「ち、違うの!転んだだけ!」
「リリア。」
静かな声だった。
怒っている訳じゃない。
悲しそうな声だった。
「お母さんに嘘つかないで。」
「・・・っ。」
リリアの喉が詰まる。
エミリアはリリアの肩を優しく抱いた。
「最近ずっと変よ。服も汚れて帰ってくるし、筆箱も壊されてたでしょう?」
「そ、それは・・・。」
「ご飯も一人で食べてるんでしょう?」
リリアは目を見開いた。
「・・・どうして。」
「使用人達が噂してるのを聞いたの。」
エミリアは辛そうに笑う。
「学園で孤立してるって・・・・。」
「・・・。」
「何があったの?」
優しく問われる。
その瞬間。
今まで我慢していたものが一気に込み上げた。
「っ・・・。」
涙が溢れそうになる。
でもリリアは慌てて笑った。
「だ、大丈夫だよ!」
笑う。
笑わなければ。
「ちょっと皆んな誤解してるだけだから!」
「誤解?」
「う、うん!私が平民上がりだから最初警戒されてるだけで・・・!」
「・・・本当にそれだけ?」
「そ、それにカテリーナ様達もそのうち分かってくれると思うの!」
リリアは必死だった。
母を安心させたかった。
だから明るく振る舞う。
「今日はね!ルイス様ともちゃんと話したの!」
「その結果がこの頬なの?」
「う・・・。」
「もう無理しなくていいのよ。」
「・・・っ。」
「辛いなら辛いって言っていいの。」
その優しさが。
逆に苦しかった。
「なんで・・・。」
ぽろりと涙が落ちる。
「なんで皆んな私を嫌うの・・・?」
エミリアの肩が小さく震えた。
「私、本当に何もしてないのに・・・。」
リリアは母の胸に縋りつく。
「乙女ゲームとか、ヒロインとか、攻略とか・・・意味分かんない言葉ばっかり言われて・・・!」
エミリアの表情が曇る。
「ゲーム・・・?」
「カテリーナ様がね、私のせいで婚約破棄されて破滅するって・・・。」
「・・・。」
「でも私、そんな事する訳ないのに・・・!」
リリアは泣きながら訴えた。
「そもそもライアス様達と全然仲良くないし、むしろ嫌われているのに・・・!」
エミリアは何も言えなかった。
娘が壊れそうなのが分かったから。
だからただ背中を撫でる。
「大丈夫よ。」
優しく。
何度も。
「リリアは悪くない。」
「・・・うっ、ぅぅ・・・。」
「お母さんだけは、ちゃんと分かってるから。」
その言葉に。
リリアは子どものように泣いた。
学園では泣けなかった分まで。
ずっと我慢していた分まで。
エミリアはそんな娘を抱き締めながら、胸の奥で強い不安を感じていた。
「もし辛いなら、学園を辞めてもいいのよ?」
リリアは小さく首を振る。
「ううん。もう少し頑張る・・・誤解がいつか解けるはずだから。」
「そう・・・無理しないでね。(神様どうかこの子をお守りください。)」
娘への悪意が。
日に日に大きくなっている。
まるで何か得体の知れないものが、リリアを引きずり落とそうとしているようだった。




