第2話:ギルド長と、不良在庫の「神殺し」
「待たせたな! その、一瞬で倉庫を片付けたという規格外の新人はどこだ!?」 地下倉庫の重い鉄の扉が、再び勢いよく跳ね上がった。 現れたのは、熊のように大柄で、顔中に歴戦の傷跡が刻まれた強面の老人だった。身につけている重厚な鎧の隙間からは、一目で並外れた戦闘力を持つとわかる強烈な威圧感が放たれている。 彼こそが、このロンドベル冒険者ギルドを束ねるトップであり、元・Sランク冒険者のガルガ・ドレイクギルド長だった。その後ろから、息を切らせたミラが必死についてきている。 ガルガは一歩倉庫へと足を踏み入れた瞬間、その場に釘付けになった。 かつては、どこに何があるかも分からず、饐えた臭いと埃が充満していた暗黒のゴミ溜め。それが今や、塵一つ落ちていない石畳の床に、等間隔に配置された頑丈な木製の棚。そこへ種類ごと、品質ごとに美しく整列された魔石や薬草が、まるで芸術品のように収まっている。「……なんだ、これは」 ガルガの低い声が、静かな倉庫に響く。 健は前世で培った「クレーム対応モード」の営業スマイルを浮かべ、一歩前に出て丁寧に頭を下げた。「はじめまして、ギルド長。本日より倉庫番として採用いただきました、ケン・サトウと申します。ミラさんのご指示のもと、ひとまず現存する『未処理在庫』の整理整頓、およびゾーニングを完了いたしました」「ぞーにんぐ……? いや、そんな専門用語はどうでもいい。お前、これをたった十分足らずでやったというのは本当か!?」「はい。私の固有スキル『物流管理』を使用いたしました」 ガルガは、まだ信じられないといった様子で、一番近くの棚に歩み寄った。そこには、ゴブリンの魔石が「濁りのない順」に十個ずつ綺麗に並べられている。「おい、ミラ。ここの在庫は、最後に帳簿をつけた時、一体どれだけの量があった?」「え、ええと……」 ミラは抱えていた分厚い台帳を慌てて開き、ページをめくる。「最後に確認されたのは三ヶ月前ですが、当時はゴブリンの魔石が約一千個、オークの毛皮が三百枚、その他の未鑑定素材が山ほど、としか書かれていません。あまりのズサリ加減に、前任者も正確な数を把握していなかったようで……」「その件でしたら、すでにこちらの『リスト』にまとめてあります」 健は、森で拾った「紙の原料になる植物」をインベントリ内で簡易加工して作った、手製の書類(フォーマットは前世の在庫管理表そのもの)をガルガに手渡した。「な……ッ!?」 ガルガの太い眉が跳ね上がった。 そこに書かれていたのは、恐ろしいほどに精密な数字だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【ロンドベルギルド・地下第1倉庫 在庫報告書】・ゴブリンの魔石:1,250個(内、高品質:45個、通常品:1,102個、劣化品:103個)・オークの毛皮:320枚(内、乾燥済み:200枚、未処理・要なめし:120枚)・薬草(低品質):840束(内、乾燥:600束、生薬:240束 ※生薬は消費期限が近いため早期売却を推奨)・鉄の鉱石:410個(平均純度:42%)……ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「バカな……。品質の選別まで完全に終わっているだと? 魔石の査定なんて、専門の鑑定士が三個の魔石を比べるだけでも数分はかかるんだぞ! それを千個以上、どうやって……!」「私のスキルは、私の管理下にある空間の物品を、瞬時に『把握・計測』することができます。品質のブレについても、魔力の含有量をシステムが数値化して並び替えてくれるため、手間はかかりません。あと、未処理のオークの毛皮と、生の薬草については、このままだとカビや腐敗のリスク(ロス)があります。ギルドの資産価値を下げる原因になりますので、早急に処理するか、外部の商人に一括売却することをお勧めします」 淀みなく、理路整然と「在庫リスク」を説明する健。 その姿は、異世界の住人であるガルガとミラには、まるで未来からやってきた超高度な賢者のように見えていた。「おい、ケンと言ったな」 ガルガがじっと健を見つめる。その目は、獰猛な肉食獣が極上の獲物を見つけた時のそれだった。「お前、冒険者としてのランクは?」「あ、いえ、登録したばかりなので最下級のGランクです。そもそも戦闘能力は皆無ですので……」「よし、決まりだ。お前を今日から我がギルドの『最高物流顧問』に任命する。給与は……そうだな、通常の倉庫番の五倍、いや、金貨十枚(現代の価値で約五十万円)を月給として支払おう!」「えっ!?」 驚いたのはミラだった。「ギ、ギルド長! 金貨十枚って、熟練のCランク冒険者が命がけで魔獣を倒して稼ぐ一ヶ月分の金額ですよ!? それを新人の倉庫番に……!」「バカ野郎、ミラ! この価値が分からんのか!」 ガルガは健の書いた書類をバンバンと叩いた。「今まで、うちのギルドが『素材の紛失』や『腐敗による廃棄』で、年間どれだけの赤字を出していたと思っている! さらに、素材がどこにあるか分からないせいで、商人たちとの取引も常に後手に回っていた。こいつの能力があれば、その損失がゼロになるどころか、市場の価格変動に合わせて『一番高い時に在庫を売る』ことすら可能になるんだぞ! 金貨十枚など、安すぎるくらいだ!」(……さすがはギルド長。脳筋に見えて、経営者としての数字のセンスは確かだな) 健は内心で感心した。前世のブラック企業の社長に見せてやりたいほどの、確かな評価の目である。「ありがたいお話です、ギルド長。その条件で、ぜひお仕事をお受けさせていただきます。ただ、一つだけ条件がありまして」「なんだ? 言ってみろ。無理のない範囲なら何でも聞くぞ」「私は、あくまで平穏な生活を望んでいます。私のスキルの詳細については、ギルド長とミラさんだけの秘密にしていただけないでしょうか。外部には『特別な魔法の道具を使っている』とでも説明していただければ」 チート能力が公になれば、国や大貴族に目をつけられ、またしても「休みなしの強制労働」に巻き込まれるリスクがある。それだけは、何としても避けなければならなかった。「ふははは! なるほど、お前は賢いな。分かった、その条件を飲もう。お前の存在は、我がギルドのトップシークレット(最高機密)として扱う。ミラ、お前も口を慎めよ?」「は、はい! 絶対に他言いたしません!」 ミラは居住まいを正し、健に向かって深く一礼した。「ケンさん……いえ、ケン顧問。これから、よろしくお願いいたします!」「こちらこそ、よろしくお願いします、ミラさん」 こうして、健の異世界での「初就職」は、前世とは比べ物にならないほどの超破格の待遇で決定したのだった。 * ギルド長とミラが、大興奮のまま今後のギルドの運営計画を立てるために地上へと戻っていった。 一人残された健は、改めて倉庫の最奥へと歩みを進めた。「さて……。さっき一瞬で全収納した時に、システムからちょっと気になる『エラー通知』が出てたんだよな」 健は壁際に立ち、[インベントリ]のウィンドウを開いた。 スクロールしていくと、一番下の、これまで誰も手を触れていなかったであろう「開かずの木箱」のエリアに、一つだけ、文字が真っ赤に変色している不気味なアイテムが表示されていた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【???(鑑定不可)×1】・ステータス:解析不能な超高密度エネルギーを確認。・警告:本アイテムは現世界の物質法則を乱す恐れがあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「……なんだこれ」 前世の物流でも、たまに「中身不明の危険物」が紛れ込むことがあったが、それの異世界バージョンだろうか。 健は周囲に誰もいないことを確認し、そのアイテムをインベントリから目の前の空間へ「出庫」してみた。 ゴトッ。 現れたのは、一振りの、古びた短剣だった。 全体が不気味な漆黒の金属でできており、刃の表面には、見る者の正気を削るような、禍々しい紫色の紋様が脈打つように明滅している。 その短剣が出現した瞬間、地下倉庫の空気が一気に数度下がったような錯覚に囚われた。呼吸が苦しくなり、背筋に冷たい汗が流れる。「うわ、これ、絶対にヤバいやつだ……」 健がその柄に触れようとした瞬間、脳内に神様から授かった『物流管理』のシステム音声ではなく、より冷徹で、機械的な「世界の声」のようなものが直接響き渡った。『――個体名:ケン・サトウによる接触を確認。対象の強制識別を開始します――』『――識別完了。対象:古代遺物『神殺しの黒刃』――』『――ステータス:神話級(神殺し)。効果:あらゆる神聖結界の無効化。神性特攻(即死)。所有者の魂を侵食する呪い――』「……は?」 健の動きが完全に止まった。 しがない中堅ギルドの、うらぶれた地下倉庫の隅に、なぜか「世界を滅ぼしかねない神話級の武器」が、ただの不良在庫として転がっていたのだ。「おいおいおい、どんな管理体制をしてたら、こんなものが倉庫に紛れ込むんだよ……!」 健は頭を抱えた。前世で言えば、普通の宅配便の荷物の中に、なぜか「本物の核兵器の起爆スイッチ」が混ざっていたようなものである。テロなんてレベルではない。 おそらく、何十年も前の高ランク冒険者が、それとは知らずに戦利品として持ち帰り、鑑定もできずに「なんか不気味だから」という理由で、倉庫の奥底に封印(放置)して忘れてしまったのだろう。(どうする? ギルド長に報告するか?) 一瞬、その選択肢が頭をよぎったが、健はすぐに首を振った。 元Sランクのガルガなら、この武器の価値や危険性が分かるかもしれない。しかし、分かった上で「国に提出する」となれば、このロンドベルギルドは間違いなく大騒動に巻き込まれる。教会の聖職者や、王国の近衛騎士団、さらにはこの力を狙う悪の組織(定番の展開だ)が、こぞってこの町に押し寄せてくるだろう。(そんなことになったら、俺の『平穏なスローライフ』が一日で崩壊する!) 健にとって最も重要なのは、世界を救うことでも、最強の戦士になることでもない。「定時で帰れて、美味しいご飯を食べて、のんびり寝る」という、前世で得られなかったささやかな幸せを守ることだ。「よし――これは『永久欠番』にしよう」 健は決断した。 自分の固有スキル『物流管理』のインベントリは、容量無限、かつ外部からの干渉を一切付け付けない、世界で最も安全な「絶対隔離倉庫」だ。 ここに入れておけば、どれだけ恐ろしい呪いの武器であろうと、世界に悪影響を及ぼすことはないし、誰かに盗まれる心配も絶対にない。「スキル『物流管理』――[特殊隔離タブ]を作成。アイテム名『神殺しの黒刃』、ロジスティクス・ロックを有効化。アクセス権限は俺以外、一切を拒否する」 健が念じると、漆黒の短剣は再びズォンと音を立てて空間に吸い込まれ、インベントリの最も奥深く、厳重に三重の鍵がかけられた特殊な「非表示フォルダ」へと格納された。 短剣が消えた瞬間、地下倉庫を満たしていた禍々しいプレッシャーも綺麗さっぱり霧散し、元の静寂が戻ってきた。「ふぅ……。初日からとんでもない『危険物』の処理をさせられたな」 健はふう、と大きな溜息をついたが、その表情はどこか充実感に満ちていた。 前世では、トラブルが起きれば自分の責任にされ、上司に怒鳴られるだけだった。しかし今、自分は己の技術と判断で、世界の危機を未然に、誰にも知られずに「出荷停止」したのだ。「よし、危険物の処理も終わったし、あとは帳簿の整理の続きだな」 健は、再び楽しそうに棚のチェックを始めた。 * その日の夕方。 ギルドの受付終了の鐘が鳴り響く頃、健は地上へと戻ってきた。 受付カウンターでは、ミラがまだいくつかの書類仕事を行っていたが、健の姿を見ると、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。「ケン顧問! お疲れ様です! あの後、ギルド長が本当に嬉しそうに『これで来期の予算は大黒字だ!』って、酒場へ飛んでいきましたよ」「ははは、それは良かったです。ミラさん、これが今日の最終的な在庫報告書と、今後、素材が搬入された際の一時保管ルール(動線計画)をまとめた資料です。明日から現場の冒険者や査定官の方にも、このルールを徹底していただけるよう、周知をお願いできますか?」「は、はい! 喜んで!」 ミラは健から受け取った数枚の書類を、まるで国宝でも扱うかのように大切に抱きしめた。そこには、誰が見ても一目で理解できる、洗練された「荷受けフォーマット」が描かれていた。「あの、ケン顧問。もしよろしければ……これから、ギルドの併設酒場で、歓迎会も兼ねて一杯いかがですか? もちろん、私の奢りで!」「えっ、ミラさんの奢りですか? それは魅力的ですね」 健は少し驚いたが、すぐに嬉しくなった。 前世での飲み会と言えば、上司の自慢話を聞かされるか、愚痴を言い合うだけの不毛な「残業の延長戦」だった。しかし、目の前の美しい受付嬢からの、純粋な感謝と好意による誘いだ。断る理由など、どこにもない。「ですが、今日はお気持ちだけ受け取っておきます。初日ですし、これから新しい宿を探して、荷解きをしなければならないので」「あ、そうでしたね! ごめんなさい、私ったら嬉しくて配慮が足りなくて……。あ、宿なら、ギルドの斜め向かいにある『跳ね馬の亭』がおすすめですよ。女将さんも親切で、ご飯がとっても美味しいんです!」「ありがとうございます。早速そこに行ってみますね」 健はミラに手を振り、ギルドの建物を後にした。 外に出ると、夕日がロンドベルの町を美しく黄金色に染め上げていた。 涼しい川の風が、健の頬を優しく撫でる。 ギルドで紹介された『跳ね馬の亭』に入り、手頃な部屋を一部屋借りる。部屋は簡素だが清潔で、窓からは町並みが一望できた。 宿の一階の食堂で、焼き立てのパンと、肉厚な魔獣のステーキ、そして冷えた果実酒を注文する。「……美味い」 一口食べた瞬間、健の目からじわりと涙がこぼれそうになった。 コンビニの冷え切った弁当ではない。深夜にパソコン画面を見ながら、味も分からずに口に押し込むカロリーメイトでもない。 温かくて、スパイスの効いた、生きている実感が湧く本物の料理だ。 果実酒を喉に流し込み、健はベッドに大の字になって寝転んだ。 ふかふかの乾いた藁の匂いがする。「残業なし。理不尽な上司もなし。給料は前世の倍以上。……そして、最高の倉庫がある」 インベントリの奥深くには、世界を滅ぼす「神殺しの短剣」が静かに眠っているが、今の健にとっては、それすらも「自分が完璧に管理している在庫の一つ」に過ぎなかった。「明日も、しっかり在庫を回すか」 健は心地よい疲労感に包まれながら、静かに目を閉じた。 過労死した元社畜の、異世界での本当のスローライフは、今ここから、完璧な管理体制とともに幕を開けたのだった。




