第十五話 社印喰い
その男が和灯へ現れると、空気が少しだけ騒がしくなる。
「レンジィィ。今日はオッターフェスティバルある?」
暖簾をくぐるなり、声が飛んだ。
蓮二が無表情で答える。
「獺祭な」
「イエス。ダッサイ。オッターフェスティバル」
「篠崎さん、今日もテンション高いですね」
蒼麻が呆れたように言うと、男は楽しそうに笑った。
「いやぁ、日本酒って漢字が強すぎるからさぁ。世界へもっと推し進めるにはキャッチーな翻訳が必要なんだよ」
「翻訳が適当すぎる」
男の名は、篠崎圭吾。
四十前後。
広告代理店勤務。
スーツは高そうだが、ネクタイはだいたい少し曲がっている。
和灯の常連で、酒好き。
ただし、やたらと銘柄を英語っぽく読みたがる悪癖がある。
「今日は何を飲んで来たんです?」
蒼麻が聞く。
「えーとねぇ、まずは“ウインド・フォレスト”」
「風の森ですね」
「あと、“ナイン・ヘッズ・ドラゴン”」
「九頭龍ですか」
蓮二が徳利を置きながら言う。
「篠崎さんの翻訳、毎回酒蔵に怒られそうで怖いんですよ」
「でも覚えやすいだろ?」
「記憶には残るかもしれません」
蒼麻は苦笑した。
圭吾は悪い人間ではない。
むしろ気の良い部類だ。
少しうるさく、少し調子が良く、だいぶ適当なだけで。
だがその日、蒼麻は気づいた。
圭吾の名刺入れから、黒い紙片のようなものが覗いている。
名刺憑きとは違う。
もっと重い。
「圭吾さん、ちょっといいですか」
「ん?」
「仕事で最近なんか変なことありませんでした?」
圭吾の笑顔が、一瞬だけ止まった。
「……あー、蒼麻くんって“あの神代”の家系の人だもんな。やっぱそういうの分かる?」
蓮二が静かに視線を上げると圭吾は苦笑した。
「実はさ。ウチ、最近ちょっと大きめの企業案件抱えてて」
「広告ですか?」
「ブランディングと企業統合系。会社同士がくっつく時のイメージ戦略とか、社名変更整理とか」
蒼麻は嫌な予感がした。
「会社の名前、印鑑、契約……そのあたり触ってません?」
「めちゃくちゃ触ってる」
圭吾は酒を飲み干した。
「それで最近、妙なことが起きるんだよ」
「妙なこと?」
「押印した契約書だけ、話が食い違う」
蓮二が眉を寄せる。
圭吾は続けた。
「契約したはずなのに、“そんな条件では押してない”って揉める。印影も本物だし偽造じゃない。でも、押した瞬間から双方の契約の意図がズレてるんだ」
蒼麻は名刺入れの黒い影を見る。
それは、印鑑の形をしていた。
丸い口。
朱肉みたいな赤い舌。
「……社印喰いってとこかな」
圭吾が固まる。
「何その名前。嫌すぎる」
「俺も好きじゃないです」
真響の蝋梅の香りが、入口から流れた。
今日は暖簾を上げず、そのまま入ってくる。
「企業の印を喰うものか」
「来ると思った」
蒼麻が真響を見ながら言う。
「すごい美人きた!お店間違ってない?!」
興奮した様子で酒を飲もうとした圭吾を見下ろしながら真響が言った。
「こいつ、かなり喰われてるな」
圭吾が酒を吹きそうになる。
「えっ!?俺!?」
「お前の“責任”が薄くなっている」
「それ、社会人として終わるやつでは?」
「終わりますね」
蓮二も真顔で頷いた。
「終わるねぇ」
「店主まで乗る!?」
蒼麻は小さく息を吐いた。
「会社はどこですか」
圭吾は名刺を差し出した。
株式会社 東都ブランディングパートナーズ
その社印の右下が、黒く滲んでいる。
真響が目を細めた。
「……これは神代系列が絡んでいるな」
圭吾が驚く。
「え、分かるの?」
蒼麻は名刺を見た。
東都ブランディングパートナーズ。
最近、神代資源と神代物流の統合案件に関わっている会社だった。
株喰らいの余波。
神代一族の企業群の再編。
数字の次は、印。
「麻那案件だな」
蒼麻が呟くと、ちょうどスマートフォンが震えた。
画面には。
麻那
「タイミングが怖いんだけど」
電話を取る。
『お兄ちゃん、今どこ』
「和灯」
『やっぱり』
「何で分かった」
『東都ブランディングの篠崎さん、そっちにいるでしょ』
麻那の声が聞こえた圭吾が「えっ」と声を漏らす。
蒼麻はため息をついた。
「神代系企業が監視社会すぎる」
麻那は少し疲れた声で言った。
『社印喰いが出た。神代物流と神代資源の統合契約に噛んでる』
真響が横から言う。
「印は“責任の核”だ。喰われれば、誰も責任を取らなくなる」
圭吾が青ざめた。
「それ、企業統合で起きたら地獄では?」
『もう半分地獄になってるんです』
麻那が即答した。
『押印した役員全員、“そんな契約内容だったっけ?”ってなってる』
「うわぁ……」
『だから来てください』
蒼麻は圭吾を見る。
「行けますか?」
圭吾は少し震えていた。
だが、水を一口飲み、息を吐く。
「……行く。俺の案件でもあるし」
蓮二が静かに言った。
「なら、その前にちゃんと飯を食って」
「え?」
「腹が減ったまま行くと判断をミスりますよ」
真響が頷く。
「正論だ」
蒼麻が笑った。
「和灯、完全に出撃前補給所になってるな」
蓮二は焼き味噌を炙りながら言う。
「酒だけ出してる店より健全だろ」
「基準がなんかおかしい」
圭吾が苦笑した。
「でもさ」
「ん?」
「なんか、ちょっと安心した」
蒼麻は首を傾げる。
「何がですか」
「仕事のトラブルって、だいたい人間だけが原因だと思ってたから」
真響が静かに盃を置いた。
「人間だけが原因のことの方が多い」
「怖いこと言うなぁ」
「だが今回は、怪異も原因に混ざっている」
圭吾は小さく息を吐く。
「なら、まだマシかもな」
蒼麻が笑う。
「感覚がおかしくなってますよ」
「蒼麻くんたちといると、そうなるのかも」
和灯の灯りが、柔らかく揺れた。
外では夜風が吹いている。
その風に、朱肉のような鉄臭さが混じっていた。
社印喰いは、かなり近くまで近づいている。
和灯を出た頃には、神楽坂の路地はすっかり夜に沈んでいた。
篠崎圭吾は、スマートフォンを握りしめたまま歩いている。
先ほどから何度も画面を見ては、ため息をついていた。
「契約書ってさ」
圭吾が言った。
「紙じゃん」
蒼麻は横目で見る。
「急に哲学ですか?」
「いや、思ったより怖いなって。紙に印を押しただけで、何億も何十億も動く。人も会社も動く。国境も越える」
真響が静かに言う。
「紙ではない。約束の形だ」
圭吾は苦笑した。
「真響さん、たまにめちゃくちゃ本質つくね」
「たまにではない」
「すみません」
ぴしゃりという真響に小さくなる圭吾。
蒼麻は少し笑ったが、すぐに表情を戻した。
神代物流と神代資源。
その統合契約に、社印喰いが噛んでいる。
偶然ではない。
株喰らいの時もそうだった。
神代系列企業の銘柄が不自然に動いた。
数字の次は、印。
市場の欲望の次は、法人の責任。
経済界に怪異が出ること自体は不思議ではない。
金、契約、競争、嫉妬、失脚、野心、虚栄。
人の欲が集まる場所に、怪異は湧く。
だが、神代一族の企業群が絡むと、ただの怪異では済まなくなる。
神代の企業は、昔から世界経済や国家間取引の裏側に介入してきた。
資源。物流。医療。金融。情報通信。酒造流通。
表では企業活動。
裏では、怪異の発生を抑え、時に国家間の均衡を整え、時に都合の悪い歪みを封じてきた。
だが、封じるということは、歪みを消すことではない。
抑え込まれた欲望。
流れを変えられた金。
結ばれなかった契約。
潰された企業。
救われた国。
見捨てられた人。
それらが積もれば、どこかに澱みが蓄積されていく。
蒼麻は小さく呟いた。
「神代が、怪異を抑えてたんじゃなくて、育ててた可能性もあるってことですかね」
圭吾がぎょっとする。
「え、怖いこと言うね」
真響は否定しなかった。
「火を囲えば、暖も取れる。だが、煤は溜まる」
「神代の企業が、その煤を溜めてきた?」
「あるいは、煤を溜める場所を知っていて、利用してきた」
蒼麻は黙った。
それは、麻那がいる世界でもある。
麻那は怪異を祓う側だ。
だが、神代一族全体が清廉潔白かと問われれば、答えはたぶん違う。
むしろ、怪異を知っているからこそ、経済界の闇に深く根を張れたのかもしれない。
「……嫌な家だな」
「今さらなにを言っている」
真響の返しに、蒼麻は少し笑った。
それから、何も言わずに歩き続けた。
神代商工会調査機構のビルに着くと、麻那がロビーで待っていた。
いつものように整った服装。
だが、目元には疲労がある。
「篠崎さん、ご足労ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ。正直、半分逃げたいです」
「逃げると、契約書上はもっと面倒になりますね」
「現実的に刺すのやめてもらえます?」
麻那は薄く笑った後、蒼麻へ視線を向けた。
「お兄ちゃん」
「状況は?」
「悪化してる。神代物流側の社印と、神代資源側の代表印、両方の効力が揺らいでる」
「効力が揺らぐって、具体的には?」
「契約条項を読んだ人間によって、内容の認識が変わる」
圭吾が顔を引きつらせた。
「契約書として一番やっちゃ駄目なやつ」
「うん」
麻那は頷く。
「しかも、契約書そのものは改竄されていない。印影も本物。法務的には存在している。でも“責任を引き受ける意思”だけが食われている」
真響が低く言った。
「社印喰いは、印そのものではなく、押した者の覚悟を喰う」
蒼麻は眉を寄せる。
「覚悟?」
「印を押すとは、名を刻むことだ。法人であろうとそれは同じだ。そしてそこに責任が宿る」
圭吾は名刺入れを握りしめた。
「俺たち、そんな重いものを毎日デザインしてたのか……」
蒼麻が横目で見る。
「ロゴとか社名とかですか?」
「そう。会社の顔です、とか言ってたけどさ。顔どころか魂の入口じゃん」
「気づくのが遅かったですね」
「広告屋、反省中です」
麻那が歩き出す。
「契約書は地下の封印室に移した。神代の旧式結界で一時的に抑えてる」
「また地下か」
蒼麻が言うと、麻那は苦笑した。
「神代は、都合の悪いものを地下に置きがち」
「笑えない」
肩を落とした圭吾が言うと、麻那も続いた。
「その通りだから私も笑えない」
そして地下封印室。
そこは、資料室よりもさらに古い空気を持っていた。
壁には古い社紋。
床には方位を示す線。
中央の机には、問題の契約書が置かれている。
分厚い契約書。
その末尾に、二つの印影がある。
神代物流。
神代資源。
朱の印が、黒く食われかけていた。
印影の縁が欠け、まるで虫に齧られたようになっている。
「うわ……」
圭吾が思わず声を漏らす。
その瞬間、契約書の上から、赤黒い舌が伸びた。
印影を舐める。
じゅ、と音がした。
圭吾が飛び退く。
「いま舐めた!? 印鑑を舐めた!?」
「社印喰いですね」
蒼麻が言う。
「名前そのままだけど、絵面が想像より嫌!」
契約書の紙面から、丸い怪異が浮かび上がった。
胴体は朱肉壺のようで、顔は印鑑。
口の中には、細かい契約文が歯のように並んでいる。
それは、印影へ何度も口をつけていた。
――押した。
――押した。
――でも、背負わない。
――なら、喰う。
蒼麻は低く言った。
「やっぱり、責任逃れが餌か」
麻那が頷く。
「今回の統合、両社とも本音では責任を取りたがっていない。利益はほしい。でも損失や人員整理の責任は相手に押しつけたい」
「その隙を喰われた」
「うん」
真響は契約書を見下ろす。
「悪いのは怪異だけではない」
「だろうな」
蒼麻は圭吾を見る。
「篠崎さん、この統合の資料、作ったんですよね」
「うん」
「この契約、誰のためのものに見えました?」
圭吾は口を開きかけて、閉じた。
しばらくして言う。
「……株主向けには成長戦略。社員向けには雇用安定。取引先向けには物流効率化。行政向けには地域貢献」
「本音はどうなんです?」
「責任の押しつけ合い」
圭吾は苦い顔で笑った。
「いや、言っちゃうと終わりなんだけどさ。どっちも泥をかぶりたくない。だから“統合シナジー”とか“最適化”とか、綺麗な言葉で包んでるんだよ」
真響が言った。
「包めば腐らぬと思うのは、人間の悪い癖だ」
圭吾は頭を垂れた。
「広告屋に刺さる」
蒼麻は契約書を見る。
名刺憑きは、肩書きの上書きだった。
株喰らいは、欲と恐怖の暴走だった。
社印喰いは、責任から逃げるための空白に生まれている。
なら、やることは一つだ。
「印に責任を戻す」
麻那が蒼麻を見る。
「そんなことできるの?」
「できるかは知らない」
「お兄ちゃん」
「でも、やるしかない」
蒼麻は赤ペンを取り出した。
社印喰いが、ぎょろりとこちらを見る。
――押すか。
――お前も押すか。
――背負うか。
蒼麻は答える。
「俺は押さない」
怪異が揺れる。
「押した本人たちに、背負わせる」
麻那がすぐに察した。
「両社の代表を呼ぶってこと?」
「頼めるか?」
「ちょうど上に来てる。ずっと揉めてる」
「ちょうどいい」
麻那は端末で指示を出した。
数分後、神代物流と神代資源の役員たちが地下へ降りてきた。
顔色は悪い。
だが、互いに睨み合っている。
「これは一体どういうことですか」
「契約書の管理責任はそちらに――」
蒼麻は遮った。
「責任の話をするなら、ちょうどいいです」
二人の代表がその場を仕切ってると思われた若い男性を見る。
「失礼ですがあなたは?」
「神代蒼麻といいます。肩書きは薄いですよ」
圭吾が小声で言う。
「自己紹介それでいいの?」
「肩書きが重い場所だから、ちょうどいいと思います」
蒼麻は契約書を指さした。
「この社印は誰が押しましたか?」
二人が黙る。
「形式上は、あなたたちですよね」
「形式上ではなく、正式にそうだ」
神代物流の社長が答える。
「なら、この契約で発生する責任も、あなたたちのものです」
神代資源の代表が顔をしかめる。
「責任を放棄しているわけではない」
蒼麻は静かに言った。
「でも、相手に押しつけたいと思っていますよね」
空気が止まった。
社印喰いが笑う。
――そうだ。
――だから、喰える。
蒼麻の胸の奥が熱くなる。
神降しの気配ではない。
今回はもっと地味だ。
けれど、重い。
契約。
印。
責任。
それらを結び直すための線。
蒼麻は契約書の余白に赤い線を引いた。
印影と、代表者名と、契約条項を結ぶように。
逃げ道を塞ぐのではなく、責任の流れを戻すように。
「押印は、飾りじゃない」
赤い線が光る。
「印は、押した者の名と責任を結ぶもの。
利益は利益へ。損失は損失へ。
引き受けたものは、引き受けた者へ返る」
社印喰いが悲鳴を上げた。
印影から黒い滲みが剥がれる。
だが、怪異はまだ消えない。
二人の代表の足元から、黒い影が伸びている。
蒼麻は彼らを見た。
「言ってください」
「何を言えと」
「この契約を、引き受けると」
代表たちは沈黙した。
麻那が静かに言う。
「言えないなら、契約は破棄します。神代商工会は、この統合の承認を取り下げます」
その声には、企業群を束ねる者の冷たさがあった。
蒼麻は初めて、麻那がどれほど重い場所に立っているのかを、はっきり見た気がした。
神代一族の巨大企業。
世界経済に介入し、国家間取引を動かし、怪異の発生を抑えながら、その裏で歪みを積み上げてきたもの。
麻那はその内側の一つで、歪みを見張っている。
まだ若い妹が。
二人の代表は、やがて深く息を吸った。
神代物流の代表が言う。
「この契約を、神代物流代表として引き受けます」
続いて、神代資源の代表。
「神代資源代表として、同じく引き受けます」
その瞬間、印影が赤く戻った。
社印喰いの胴体が崩れる。
だが、最後にそれは言った。
――また、逃げる。
――人間は、また押して、逃げる。
真響が静かに黒い狐火を灯しながら言う。
「その時は、また喰われるだろう」
蒼麻が言う。
「いや、喰わせない仕組みに変える」
麻那が頷いた。
「まず契約プロセスを変える。押印前に、責任範囲を口頭で確認する場を設ける。形だけの承認では通さないようにする」
圭吾が小さく手を挙げた。
「あの、ブランディング資料も変えます。綺麗な言葉で包みすぎない。社員向けにも、痛みやリスクがあるならちゃんと書く」
蒼麻は圭吾を見る。
「できるんですか」
「やらないと、またオッターフェスティバルが飲めなくなる気がする」
「動機が軽いですよ」
「でも本気」
蓮二が聞いたら「お前たちは同類だな」と呆れそうだ。
真響は少しだけ目を細めた。
「軽くとも、本気なら届くことはある」
社印喰いは、最後に朱肉の染みとなって契約書の隅に残った。
麻那はそれを見て言った。
「これは消さない方がいいね」
蒼麻は頷く。
「責任逃れが始まったら、また滲む。それが警告になる」
「うん」
契約書の隅に、小さな朱黒い印が残る。
それはまるで、見張りの目のようだった。
その夜。
和灯に戻ってきた圭吾は、カウンターでぐったりしていた。
「今日の案件、広告屋の寿命が三年縮んだ」
蓮二が焼き椎茸を出す。
「じゃあ、三年分飲まなくても大丈夫ですね」
「ひどい」
蒼麻も隣で酒を飲んでいる。
真響は静かに盃を傾けていた。
麻那も少し遅れて合流した。
圭吾は麻那を見ると、姿勢を正した。
「神代さん、今日はありがとうございました」
麻那は穏やかに微笑む。
「こちらこそ。篠崎さんの資料修正、期待していますね」
「はい……」
圭吾が小声で蒼麻に言う。
「麻那さん、柔らかいけどちょっと怖いよね」
「うちの妹を怖いとか言わないでくださいよ」
「いや、蒼麻くんも分かってるって顔してる」
「まぁ……。分かってます」
真響がぽつりと言う。
「兄妹揃って面倒な気を持っていることだ」
麻那が笑う。
「真響さんに言われると、妙に説得力がありますね」
「それは褒めているのか」
「少しだけですね」
蒼麻が横で吹き出した。
「麻那、真響構文がうつってるぞ」
蓮二が徳利を置く。
「今日は何が飲みたいです?」
圭吾が勢いよく言った。
「じゃあ椎茸もあるし、ライスフィールドサケで!」
「田酒ですかね」
「正解!」
蓮二が真顔で言う。
「出禁にしますよ」
圭吾は慌てて手を合わせた。
「すみませんでした」
真響が静かに言う。
「名を雑に扱うな。酒も怒る」
圭吾が背筋を伸ばす。
「はい」
蒼麻は笑った。
「真響に怒られると効くな」
「お前にも効けばよいのだがな」
「俺、そんなに適当か?」
麻那と蓮二が同時に黙った。
蒼麻は二人を見る。
「なんで急に黙るんだよ、何か言えよ」
麻那がにこりと笑う。
「お兄ちゃんは、たまに自分のことを雑に扱ってるよね」
蓮二も頷く。
「そこは同意する」
真響は盃を置く。
「自分の名と器を雑に扱う者は、いずれ他者に扱われる」
その言葉に、場が少し静かになった。
圭吾が真響の顔に見惚れながら言う。
「深いですね」
蒼麻は盃の中を見た。
父がかけたという封印。
御神酒。
地酒。
神降しの器。
向き合っていないものがある。
それらと向き合うにはまだ知らない事が多すぎる。
だが今夜、少しだけ分かった。
印を押した者が、責任を引き受けるように。
自分の器も、いつか自分で引き受けなければならない。
「……分かってるよ」
蒼麻は静かに言った。
真響はそれ以上何もなかった。
麻那も、何も言わなかった。
代わりに蓮二が、温かいハマグリと鯛の潮汁を置いた。
「考えるなら、食ってからにしろ。旨味の強さ的に今飲んでる酒に合うと思うぞ」
横で圭吾が頷く。
「それ、今日一番の正論」
蒼麻は苦笑し、椀に手を伸ばした。
和灯の灯りは、いつも通り柔らかい。
外では、経済界も財界も、神代一族の陰謀も、まだ渦巻いている。
それでも、社印でも肩書きでも契約でもなく、名前で呼び合える場所に自分はいる。
談笑する仲間たちを見ながら「こういうのいいな」とぼんやり思う。
それだけで、蒼麻は楽な呼吸ができるのだった。




