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第六章 変異

 翌朝、研究所の空気はさらに重くなっていた。

 会議室のスクリーンには、昨夜から今朝にかけての事例が並ぶ。

 そこには、自殺未遂だけでなく、突発的な暴力事件や放火まで含まれていた。

 どれも、現場に居合わせた人間が連鎖的に行動している。


 厚労省から派遣された調査官が、静かな声で言った。

「……自殺衝動だけじゃない。強い怒りや恐怖も、同じように感染しています」

 その言葉は、安藤の中で冷たい刃のように刺さった。

 つまり、このウイルスは媒介する“感情”そのものを選ばない。

 強ければ強いほど、どんな感情も増幅し、広げてしまう。


 分析チームが提出した化学物質のデータは、さらに衝撃的だった。

 分子構造は、昨日と比べて大幅に変化していた。

 しかも、その変化は感染源となった人物の精神状態を反映していた。

 怒りを媒介した場合は交感神経を刺激する構造に、

 恐怖の場合はアドレナリン分泌を促す構造に——。

 まるで、感情そのものを“形”に変換するかのように。


 佐久間が紙束を机に叩きつけた。

「これじゃ、収束なんて不可能じゃないですか!

 変異するたびに対策を練り直さなきゃいけない!」

 声に混じった苛立ちが、室内の空気をざらつかせる。

 安藤は、その苛立ちすら感染の種になり得ることを思い出し、無言になった。


 会議後、研究棟の廊下を歩いていると、

 職員二人が激しい口論をしている場面に遭遇した。

 ほんの一瞬、視線が交わっただけで、

 周囲の三人が同じように声を荒げ始める。

 安藤は咄嗟に距離を取ったが、

 その場の空気はまるで炎のように広がっていった。


 ——これは、もう“病気”ではない。

 社会そのものが燃えやすくなった乾いた森のようだ。

 一度火がつけば、風に煽られて一気に広がる。

 そして、その風は人そのものだった。

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