009 炊飯器はお米を炊くものですわよ?
妹の家は歩いても片道十五分。俺は怒涛の勢いで片づけに走った。
妹の部屋はすでに一年以上開かずの間になっている。最後の記憶はいつだろうか。おぼろげだが物置にしていたような気はする。ともかく嫌な予感しかしない。
「ケイタさん、箱ばっかりですわ……」
開かずの間の封印を解いた直後、ツヤはほとんど棒読みでそう言った。
カーテンを閉め切ったままの薄暗い部屋。うっすらと差し込む光に埃の粒が漂う。たしか間取りは六畳の洋間だ。しかし一見して部屋はそれよりずっと狭く見える。原因はシンプル。無造作に置かれる段ボール箱の群れだ。その数、ざっと十数個。
「あー……ははは」
有名通販サイトのロゴが入った段ボールたちは、いずれも封が切られた様子はない。
「とりあえず親父たちの部屋に詰め込むか」
去年の記憶が蘇る。昔ハマっていたゲームのプラモが復刻されたのを、つい勢いでポチりまくったのだ。いわゆる積みプラである。
「中には何が入っているんですの?」
「プラモだよ。プラモデル」
「作りませんの?」
「ツヤ。積みプラってのはな。浪漫なんだよ。あんまり、追求してくれるな……」
ツヤにはわかるまい、と思いつつ、俺はひたすらに箱を両親が使っていた部屋に移動させていく。
十数分後。底から現れた最後の一つは、妙にくたびれた箱だった。明らかに積みプラではない。店で備品入れなどに使っているのと同じ箱だった。なんでもいいからさっさと運んでしまおうと手をかけた俺だったが、
「うぉ、重っ!」
想定外の重さに思わずうめいた。
「なんだこりゃ……?」
この部屋にあるということは、置いたのは俺のはず。記憶にあるような、ないような。親父の時代の古い工具とかだったろうか。それとも昔の帳簿とかか?
開けようとした俺は、隙間からピンクがかった肌色が見えた瞬間、勢いよくフタを閉じた。
「なんでしたの?」
「あ、うん。あれだ。工具だったヨ」
変に声が裏返った。なんとかツヤの視界からも隠し通せたらしい。
薄い本満載の箱とか! 中学生の姪が見つけようものなら、死ぬぞ! 精神的にも! 社会的にも!
危なかった……。本当に危なかった……。
それから、とにかくがむしゃらに片付けたのだが、ミャーコが戻ってきたのはたっぷり一時間は経ったくらいだった。
往復三〇分の距離。さすがに遅くないかと、少し気になりはじめたあたりで、ミャーコは大きめのスーツケースを抱えて階段を登ってきた。
そのまま海外旅行にも行けそうなくらいデカいんだが。なんかもうプチ家出みたいだぞ。
時計を見れば、なんだかんだと正午前。まずは昼飯という運びになった。
「うーん……」
キッチンに立ち、唸る。
困った。何にしよう。
世のお母様方が献立に迷うというのはこういう気分か。
「なー、昼飯なにがいいかな?」
スマホを手に持ち、困った時のツヤ先生。そもそも毎日の献立はツヤ先生のお料理教室のメニューだったんだよな。そりゃ思いつかんわ。
「ケイタさんは、ミヤコさんの好きなお料理などはご存知じゃないですの?」
「あー……? いや、知らんな」
「それでは、ミヤコさんはどれくらい召し上がられますの?」
「そうだなぁ、運動部だし、結構食べるんじゃないか?」
「かしこまりましたわ。それでしたら……」
ツヤが食材のストックから、いくつかの候補を出してくれた。俺は少し考えて、一人で作れそうなものに決めた。
今日の献立は鶏の照り焼きと浅漬けキャベツ。あとはご飯とお味噌汁。ご飯は冷凍がちょうど二人分ある。味噌汁はいつものインスタントだ。
準備をはじめたところで、部屋に荷物を置いたミャーコが戻ってきた。
俺と目が合うと、ミャーコは少し複雑な顔をした。
「ケイくん、ホントに料理するんだ……」
味の心配でもしてるんだろうか。ミャーコは昔の俺しか知らんし、まあ、当然の反応か。
「食べられるものは出すよ」
自信があるとまでは言い切れないが、最近はスミレちゃんに弁当のおかずをもっていかれたりもしているし、味音痴ではない、と思っている。
「ま、少しかかるからさ。ツヤと話しでもしててくれよ」
「え? 私も作るの手伝うし」
「いや、いいって。ミャーコは勉強しにきてるんだろ。ご飯できるまでにツヤ先生と仲良くなっておけよ。いいやつだからさ」
一人で作れる献立を選んだ理由はこれだ。ツヤには料理教室のかわりにミャーコの相手を頼んでおいた。これから勉強見てもらうのに、お互いに知らないままじゃやりにくかろう。
ツヤはスマホスタンドに乗せて、畳側のちゃぶ台に置いてある。ツヤはミャーコに向けて笑顔を作ると、画面の中から手を振った。
ミャーコはスマホを見て、もう一度俺の方を見てから、不承不承といった風に「わかった」とうなずき畳に向かう。程なく話し声が聞こえ始め、それをBGMがわりに俺は一人クッキングタイムに入った。
それから小一時間。俺はなんとかふたり分の昼食を用意した。形になってほっと一息だ。
手際は悪かったが、味見した限りではまずますの出来。ただ、盛り付けは正直自信がない。
そもそも大皿にするか個別にするかから悩んだ。気を遣わずにすむかと個別にしたんだが、ウチは元々大皿派だったから、ちょうどいい揃いの食器が見当たらず、並ぶ皿に統一感はない。見た目はぎりぎり及第点という気分。
それでも、ダイニングテーブルを前にしたミャーコはだいぶ驚いた顔をした。
「すごいね……」
そう言ってもらえるなら、努力の甲斐があったというもんだ。少し得意げな気分にひたってみたのだが、皿を眺めるミャーコの表情はあまり芳しくない。
「もしかして、照り焼き、嫌いだったか?」
ミャーコはふるふると首を横に振り、「そんなことない」と言って席についた。
「そっか。じゃあ食べようぜ」
俺も座りかけ、ふとした違和感に椅子を引く手を止めた。
箸もある。コップもあるし、お茶も出した。なんだろうか、なにか足りていないような--。
「ケイタさんー。わたくし! お忘れではありませんのー!」
ちゃぶ台の方から抗議の声が上がった。
「あ、悪い」
ツヤは頬をぷぅっと膨らませて、眉を吊り上げる。
「もう! ひどいのですわ!」
「悪かったって」
苦笑しつつ、ツヤをスタンドごと移動する。いつも向かい合っていたからどこに置くか悩み、お誕生日席よろしく、テーブルの奥に決めた。
改めて、三人揃ってランチタイムが始まった。「いただきます」の声もなぜかみっつだ。
俺はさっそく照り焼きを一切れ口に運ぶ。味見済みなのだが、やはり気になる。
ちゃんと皮目から焼いたし、余分な油も拭いてパリッと仕上げたつもりだ。鶏肉は程よい弾力で、甘辛いタレがよく絡んでいた。悪くない。
確認が済むと、つい向かいが気になった。ミャーコも一口目は照り焼きだった。つい息を呑んでミャーコの口元を見てしまう。真正面で視線が合った。ミャーコは止まり、眉根を寄せた。
「なに?」
「あー……ちゃんとできたとは思うんだけど、気になって、な」
ミャーコはため息をついてから、「いただきます」を改めて言い直し、照り焼きを口に入れた。無言で咀嚼してから、ご飯を一口。味わうように飲み込んで、
「私はもう少し濃くてもいいくらいだけど、まあ、美味しいと思う。ご飯も、ウチより美味しい」
少し早口に言った。小さな声、仏頂面で言われたものだから、褒められたのだとわかるまでに間があった。俺が何か言うよりも先に、すぐ横で声が上がった。
「まぁまぁ! ケイタさん、よかったですわね!」
明るい声ではしゃぐツヤに、気恥ずかしさが湧き出して、俺は無言で箸を進めた。ミャーコも黙ってしまい、静かな食事が続く。普段はツヤの方からあれこれ話しかけてくるのだが、今日は座ってニコニコとするばかり。
こういうとき、なにを話せばいいんだ? 「学校は楽しいか?」とか聞いてしまう世のお父様方の気分がなんとなくわかる。困った挙句つい、ツヤを見てしまう。
あ、そうか。
「さっきはなに話してたんだ?」
どちらともなく聞いてみる。料理で話の中身を聞く余裕などまったくなかったが、小一時間なにかを話していたのは知っている。ミャーコはチラリとツヤを見た。
「別に、普通。好きな食べ物とか、流行ってる動画とか」
「ミヤコさんの学校のこととか教えてもらったのですわ!」
「へー、俺にも聞かせてくれよ」
素っ気ないながらも、話し始めるとなんとなく会話は続いていくもので、そこからは少し和やかなムードでの食事になった。ミャーコは始終ツヤのことをチラチラと見ていた。AIと食事するなんて初めてだろうから、仕方ない。すぐに慣れるだろう。
さて、軽く食休みを挟んで、ようやく勉強タイムになったのだが……。
ここで俺はある重要な事実に気がついた。
家にいても邪魔になるだろうと思い、昼食後は出かけるつもりでいた。しかし、だ。
「あのー、ツヤ先生。炊飯器モードでお勉強みたり、できませんかね?」
「ケイタさん、炊飯器はお米を炊くものですわよ?」
「知っとるわ!」と言いたくなるのをグッと堪えて、俺は「ですよねー……」とため息をついた。パーソナルアシスタントAIの機能のほとんどはスマホアプリ側にあるらしい。炊飯器側は料理特化ということか。
スマホが持ち出せないという事実は、現代社会において不便極まりない。
結局、テスト勉強も三人で揃ってやることになった。昼飯を食べて少し気が緩んだのか、ミャーコはなんだか少しご機嫌だった。