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010 社長が独身なのちょっとわかった気がするっす

「おっはようございまーす! いやー! なんか大変みたいっすね! 社長!」


 月曜日。いつもより少し早く、スミレちゃんの元気溢れる声が飛び込んできた。トレードマークの丸メガネに、デニムジャケットとパンツの定番コーデ。アップにまとめられた髪は、この週末で染め直したのか綺麗な茶色に戻っている。


「おう、おはよう……?」


 俺はスミレちゃんのハイテンションに首を傾げつつ、なんとなく挨拶を返す。ミャーコのことで大変な週末だったのは確かなんだが、スミレちゃんが知る話ではない。他に何かあっただろうか。


「つやひめちゃんもおはおはっす! おー! 社長、ほんとにスマートウォッチ買ったんすねー!」


 近寄ってくるなりスミレちゃんは、俺の左腕に視線を向ける。なにかがおかしい。俺は立ち上がり、スミレちゃんに向き合った。


「ちょい、ちょい? 買ったの昨日だぞ。なんでスミレちゃんが知ってるんだ?」


 ミャーコにツヤ--というかスマホを専有されているのがあまりに不便で、せめて通信機能だけでも使えるようにしようと、スマートウォッチを購入した。以前からどうしようか悩んでいたガジェットだったから、良い機会と思ったわけだ。

 日曜の朝から駅前の大型量販店に行き、スペックと価格をめぐってツヤと盛大にバトル。舌戦でフルボッコにされ、ほぼ全面的にツヤの要求を飲んだハイエンドモデルを購入した。予定外の出費がだいぶ痛い……とまあ、これがちょうど二十四時間前くらいの話だ。まさかスミレちゃんもあの売り場にいたんだろうか。


「なに言ってんすか社長。私、この間からつやひめちゃんとメル友っすよ?」


 さも当然のように言い、「ねー!」と声を合わせるツヤとスミレちゃん。


「はぁ!? なんだそれ!?」


 するとツヤは首を傾げる。


「先週のアップデートでメール機能が追加されましたのよ。ケイタさんにもお伝えしたのですわ?」


 言われてみれば、あー……なんか記憶にある。アニメを見ながら、そんな話を聞いた気もするけど、ツヤとメールすることなんてないしなーとか、まったく気にしていなかったやつだ。


「つやひめちゃんは俺らともメル友だぞ?」


 コモさんとバラさんも「なー!」と年甲斐もないリアクション。いや、ちょっと待てや。俺はその場でスマホを取り、メールアプリを起動する。ぱっと見、メールが増えているような形跡はない。


「わたくしのメールはメシマセのアプリ機能ですので、ケイタさんのメールボックスとは別物なのですわ! あ、ケイタさんの連絡先にも追加済みですから、いつでもメールして欲しいのですわ!」


「あ、ホントだ……」


 いつのまにかアドレス帳に「ツヤ」が増えてる。ちゃんとアイコンまで設定されてるし。これ自撮りか? いや、なんだよAIの自撮りって。しかも記載されているアドレスにはまったく見覚えがない。ちゃっかりプライベートアドレス取得してやがる。


「わたくしとみなさんのメールは、ケイタさんからご覧になれませんので、あしからず、ですわ」


「んん!? なんでだ!?」


「プライバシーですわ!」


「俺のプライバシーはツヤにダダ漏れなんだが!?」


 なんか理不尽すぎるんだが!?


「まあまあ、社長。細かいこと気にするとハゲるっすよ?」


「そこ! 年頃のおっさんにハゲとかいわない!」


 横から飛んできたハゲワードに思わず反応する。すでに何人もの同級生が、加齢による侵攻から戦線を維持できなくなっている。幸いと俺はまだなんとか無事だが油断はできない。明日は我が身だ。


「社長。運命は受け入れた方が気が楽ですよ」


「そうだぞ。親父さんみたいに潔いほうが男らしいぞ」


「ハゲてないおっさん二人に言われてもなんも伝わってこねえよ!」


 確かに親父はすでに戦線が壊滅している。が、コモさんとバラさんは多少白いくらい。遺伝という言葉が頭をちらつき、軽く敵意が芽生えそうになる。


「男の魅力の半分は財力っす! 社長はまあまあ優良物件だと思うっす!」


 こっちはフォローにすらなってねえ! まあまあってなんだ!


「生々しいわ! あとそれ! 残り半分はがっつり見た目だろ絶対!」


「イケメンは七難隠すってやつっすね!」


「だろうな! ちくしょう!」


 だいぶ息が荒くなってきたところで、


「ケイタさん、ケイタさん」


 ツヤから呼ばれ、俺は文字通り一息ついた。ストレスは髪に良くないっていうしな。平常心、大事。


「……すまん、なんだ?」


「ケイタさんの髪が薄くなりましたら、そのときはわたくしもご一緒いたしますわ!」


 ツヤは着せ替えアイテムのカタログを手に、力と熱のこもった視線を送ってくる。開かれたページに俺の復活しかけた平常心は粉々に吹き飛んだ。


「AIが出家しようとしてるんじゃねぇ!」


 なんでここの運営は、炊飯器のAIに尼僧コスとかマニアックなもん用意してるんだよ! 需要あんのか!? 趣味か!?

 俺は完全に脱力して、崩れ落ちるようにデスクについた。

 騒がしく朝が過ぎていく。


 そんな調子であっという間に昼になった。

 ツヤが正午を告げると、ベテラン勢は各々外へ。

 俺はツヤとスミレちゃんと三人で昼食だ。スミレちゃんがコンビニでランチを調達してきて、ちょうど食べ始めたあたりだった。

 事務所の扉が開いた。

 ベテランの皆さんが帰ってくるには早い。来客だろうか。

 椅子に座ったまま半身を乗り出して、衝立から顔を出す。するとガラス扉から覗き込むようにしている顔と、ばちっと目が合った。


「ミャーコ?」


「えと……ただいま」


 俺の顔を見るなり、セーラー服姿のミャーコはホッとした顔で中に入ってきた。と、思えば衝立を越えたあたりで、ぴたりと止まる。視線の先はスミレちゃん。こいつこんなに人見知りだったか?


「学校は?」


「試験三科目で終わりだもん」


「あ、そういうもんか」


 中学の試験なんて昔すぎて全然記憶にない。てっきり帰りは夕方近くだと思っていた。


「悪い、ミャーコ。昼飯の用意がない……」


「ご飯はありますから、おにぎりでしたらすぐできますわ!」


 うん、ツヤ。その場合、作るのは俺だぞ。しゃあない、と席を立とうとすると、


「いらない。買ってきたし」


 ミャーコはハンバーガーショップの紙袋を掲げてみせた。


「それでしたらミヤコさんもご一緒できますわね!」


 ツヤが嬉しそうに手を叩いた。


「え、いいの?」


 ツヤの言葉にミャーコは驚いたというか、拍子抜けしたような顔をした。スミレちゃんは指で丸を作って振って見せる。あれ、もしかして俺待ちか?


「一緒に食うか?」


「うん、食べる」


 ミャーコは少し笑顔になり、空いている椅子に座った。話しかけたくてウズウズしていたらしい。スミレちゃんがすかさず声をかける。


「この子がウワサの姪っ子ちゃんっすね! ミャーコちゃんていうんすか?」


 いきなり話しかけられて、ミャーコはビクッとして、目を丸くする。警戒されまくりだろ、スミレちゃん……。


「岡部ミヤコ、です」


「私、山本スミレっす! よろしくっす!」


 スミレちゃんはそんな態度もお構いなし。なんかツヤの時もこんな感じだったような。こっちは人見知りというか遠慮を覚えた方がいい気がする。


「その制服ってことは、ミャーコちゃんは湯島中なんすね! 後輩ちゃんっすね!」


「ん? スミレちゃんて湯島中だっけ?」


 区立湯島中学。俺は中学受験組で通うことはなかったが、ウチからすぐ近所なので見知った学校だ。


「そうっすよ? ど定番のセーラー服が結構かわいいんすよねー。懐かしいっす」


 その頃のスミレちゃんは、もう会社に遊びに来ることもなくなっていたから知らなくて当然か。

 そんなことよりミャーコのテストだ。ちゃんと出来たんだろうか。ハンバーガーセットを出している様子は普通に見える。落ち込んではいない、のか? さて、どうやって切り出したもんか。


「ミヤコさん、ミヤコさん。テストはいかがでしたの?」


 ミャーコがピタリと手を止めた。

 ツヤ、勇者か。容赦ないな!?

 ミャーコはツヤ、俺の順に見てから、無言で昼食準備に戻る。中身を出し終えると、下を向いて紙袋を潰しながら、ぽつりと口を開いた。


「わりと、できたっぽい」


 顔は上げない。チラリと見える口元はきゅっと閉められていたが、ほんの少し笑ったように見えた。


「数学、今日だよな?」


 中間テスト全五教科。前回の成績を聞く限り、得意教科は社会。国語、英語は中の下。理科、残念。数学……壊滅的という具合だった。今回の目的は補習の回避。全教科で悪い点数は取れない。確か初日は数学、英語、社会の三つ。つまり今日が山場だ。


「うん。計算問題、全部解けたと思う」


 ミャーコの声はどこか得意げだった。


「まあ! よかったですわ!」


 そんなミャーコに、ツヤが満面の笑顔を向ける。

 ミャーコが数学をできたのだとしたら、それは間違いなくツヤのおかげだ。ツヤ先生はわざわざ小学校の範囲まで戻って、できていなかった分数の計算から丁寧にレクチャーしていた。そこから四則演算をおさらいし、昨日の晩にはちゃんと方程式を理解していたように思う。俺なら試験範囲の教科書をなぞって教えるくらいで、こうはいかなかっただろう。


「いやー、一昨日は壊滅的だったからなあ。あとでちゃんとツヤにお礼言っとけよ?」


 数学さえなんとかなれば、ほぼクリアといってもいいんじゃあないだろうか。俺もツヤに感謝しないとな。そんなことを考えていると、ミャーコは急にむくれた様子で「わかってるよ」と言ってそっぽを向いた。


「ミャーコ?」


 黙々とハンバーガーを食べ始めたミャーコに戸惑っていると、今度は何故かスミレちゃんが深々とため息をついた。


「あー……社長が独身なのちょっとわかった気がするっす」


「は? なんでそこで俺の話が出てくるんだよ?」


 訳もわからずツヤを見るも、ツヤもわかっていないようで、俺たちはきょとんと顔を見合わせた。

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