EP.01 果てしなき闇の中
[転生初日]
暗闇の中に、豪は目覚めた。
一筋の光も、ぼんやりとした光源すらもない完全な闇。
漆黒に塗りつぶされた世界。
だから正確には「目覚めた」というのとは少し違う。
意識だけが戻ったのだ。
それ以外は全く、なんの感覚もなかった。
起き上がろうとしたが、体が動かない。
動かす対象が存在する感覚が、繋がっている感覚がない。
声を出そうとしたが、それも無理だった。
どこをどうやれば声が出るのか、忘れてしまったかのようだ。
そう言えば、口の中の感覚がそもそもない。
舌とか歯とか、本来そこにあるはずのパーツの感覚も。
耳もダメだ。
何も聞こえない。
耳鳴りすらない。
金縛りならキーンというあの高音が、耳の奥から頭の中にかけて響いているはずだった。
一切の無音、完全なる無。
(なんなんだ、これは。夢か?)
五感が全て消失してしまっていた。
(死んだ……のか?)
だが、意識はある。
黒岩豪。
良かった、名前は覚えている。
直前まで自分が何をしていたのか、豪は思い出そうとした。
いつものように会社帰りにコンビニに寄って、つまみの惣菜と350ml缶のビールを一本買って、家に帰ってそれをチビチビやりながら録画していたアニメを見て――。
そのまま寝落ちしたんじゃないかな。
まさかそれで死んだのか?
そんなバカな!
もう一度改めて確認する。
意識は――ある。
記憶も、ある。
どうなっているのだ。
死んでも意識はあるものなのだろうか。
死んだことがないからわからない。
常識的に考えれば、ない。
あるわけがない。
それなら自分は今、生きている。
よし、常識で行こう。
ではなぜ、動けないのか。
なぜ五感が機能していないのか。
おそらく体になにか問題が発生しているのだ。
感覚がない、ということは神経系統がいかれているのかもしれない。
半身――いや、全身麻痺?
あまりにも恐ろしいその考えに、豪は絶望しかけた。
別なことを考えよう。
最悪の予想から目を逸らすために。
なぜ何も見えないのか。
一切光の入らない部屋にいる?
地下室とか。
まさか、地中に埋められている?
ゾッとした。
いやいや、それだと息もできずに窒息してしまう。
呼吸をしている感覚はないが、意識があるのだからそれはない……はず。
ならば視力を失ったと考えるのが一番妥当だ。
寝ている間に災害かなにかが起きて、視力を失った状態でいる可能性。
それも恐ろしかった。
視力だけで済むはずがないからだ。
そしてやはりまた同じところへ思考が戻っていく。
全身麻痺。
さらに視力喪失か。
だが、耳も聞こえないし声も出せない。
全身麻痺なら声は確かにダメかもしれないが、耳は? 聴力は?
まさか脳死?
いやいや、脳は動いている。
そうでなければ意識があるわけがない。
豪は必死に考える。
堂々巡りになりそうになるのを堪えながら考える。
それしかできることがなかった。
どれくらいそうしていたのだろうか。
豪は、時間の感覚がなくなっていることに気づいた。
いや、そもそも初めからなかったのではないか。
五感を完全に閉ざされた状態では時間も存在しなくなるのだと知った。
恐怖が、絶望が、その大きな口をぱっくりと開けて自分の意識をまるごと呑み込もうとしていた。
(ああ、これは拷問だ……)
いつまで耐えられるだろうか。
正気を失わずにいられるだろうか。
ストレス耐性は低くないという自負はあったが、さすがにこれは次元が違う。
(助けてくれ……誰か、助けてくれ!)
叫びたいが声が出ない。
意識だけで叫ぶ。
延々と頭の中でリピートされ続ける。
(助けてくれ、たすけてくれ、タスケテクレ、タス……ケ、テ……)
連呼が、次第に重なり、千切れ、歪み、暗闇の中にべったりとへばりつきながらぐちゃぐちゃに混ざっていく。
聞こえないはずの自分の叫びが聞こえるような気がした。
それは本当に自分の声だったのか。
全く違う人間の声が混ざり合っているような。
男の声であり、女の声であり、老人の声、子供の声、獣の声――。
しかし、実際には何も聞こえてはいなかった。
これはたぶん正気を失う一歩手前だ。
豪はぐちゃぐちゃした意識の外に自分を客観視する自我があるのを知覚した。
その第二の自我に一生懸命集中する。
決してぐちゃぐちゃの方に集中してはいけない。
そこから第二の自我の視点を次第に遠ざけていく。
ズームアウトする感覚だ。
ぐちゃぐちゃの自分がだんだん遠くなる。
なにかが見えているのではなく、あくまで感覚だけだ。
ようやく少し楽になった。
楽になった気がした。
オレは――黒岩豪は今どういう状況に置かれているのか。
五感をシャットダウンされた状態。
意識だけがある状態。
その意識はぐちゃぐちゃで、ぐちゃぐちゃの外にも意識がある。
この状態で、なにができる?
――考える。
考えることができる。
考えることしかできない。
ならば考えよう。
ゆっくり考えよう。
時間はある。
あるはずだ。
これは夢なのか?
またそこへ立ち戻って来る。
――わからない。
夢にしては意識がはっきりしすぎている。
しかし一方で、現実離れしているのは確かだ。
夢ではなく、現実でもないとしたら?
あれだ、引き延ばされた一瞬。
死ぬ前の、走馬灯的な。
でも何も思い出してない。
走馬灯ではない。
それにしても随分長い時間の一瞬だ。
こんな何もない真っ暗な時間なんてあっても意味ないのに。
神様もずいぶんと無駄なことをするものだ。
知らんけど。
神様?
神様、いるんかな。
(おーい、神様)
ま、いないよな。
アニメじゃあるまいし。
でも、もし神様がいたらなにを頼もうか。
この状態をなんとかしてください、一択だな。
それ以外ありえない。
(なんとかしてください、神様)
――だよな。
神も仏もない、が真実ってことだ。
宗教ってのがいかに嘘っぱちか、この状態になって確信したわ。
信じることに価値があるってのも嘘だな。
この状況でなにを信じるんだよ、お前がなってみろって話だ。
(あ、なんかちょっと冷静になってきたかも)
豪は意識を保つコツをつかんだ。
自分の状況に呑み込まれないこと。
自分の外に意識を向けること。
悪態でもなんでもいい。
それができればなんとかなりそうだった。
うん、できる。
大丈夫だ。
オッサンの他責思考をなめるなよ。
ブッ――。
少し前向きになったような気がした途端に思考がプッツリ切れた。





