日誌の不備問題
6年前。
若葉の美しい季節、アレグリオ侯爵は近隣の貴族を招いて庭での立食パーティーを催した。
貴族学園に入学する前の、子供たちの顔合わせも兼ねていた。
そこで出会ったひとりの小柄な少女に、息子ジェームズは真っ赤になって大はしゃぎした。
「き、君は今まで見た中で一番可愛いな! 今も子猫のように愛らしいが、将来はもっと素敵な美人になるだろう。俺は将来、君の家で暮らすことにする!」
たちまち噂は社交界に広まった。侯爵家の長男が伯爵家に婿入りを希望するなど、噂にならないはずがない。
しかし所詮は子供の言うこと。嫁に来てもらうのはダメなのかと、何度も侯爵夫妻は説得をしたが、
「王都の貴族の娘はみんな化粧を塗りたくって、自分が一番美人だといばってる。サティーはそんなことしなくたって可愛い。父上母上、俺はそんな彼女が好きなんです! 侯爵家なんか継がなくたっていい!」
顔のことしか言ってないが大丈夫かこいつ。
一抹の不安がこの時、侯爵の頭を過ぎった。
しかしジェームズは頑として婿入りを譲らず、結局は両親が折れた。このことは3つ下の弟ワルターには伏せて、こっそり彼に当主教育を始めた。
侯爵夫人はその後、サティーを招いて何度も茶会を開いた。
女主人主催の茶会にアレグリオ侯爵は参加しなかったが、邸内で顔を合わせることがあると、ちょこんと頭を下げてかしこまる小さなレディを、侯爵は可愛がった。
「いらっしゃい、未来の娘さん。今日のお菓子はレモンパイのようだよ」
「あっ、こっそりお部屋にお持ちしましょうか、お義父さま?」
そうして本当に、ナプキンに包んだレモンパイをロウエの手を借りて執務室に届けてくれた。
サティーの父、オルフ・オーランド伯爵は、アレグリオ侯爵よりやや年上の、にこにこと愛想の良い男であった。
「アレグリオ侯爵さまのご子息のおめがねに適うとは、何たる光栄! 大事に育てた甲斐がありました!」
「伯爵は異論ないのか?」
「侯爵とご縁を結べるのです、異論あろうはずがございません! あ、いやしかし……我が領地の主な産業は魔石鉱山でございます。もし、ジェームズさまと引き換えに鉱山を……ということになりますと、我が領地の経済が……」
「心配には及ばない。むしろ侯爵家が鉱山事業を援助し、我が領地の港町デュファイを魔石貿易の拠点として整備しよう。いかがか?」
「ははーっ!! ご厚情、まことに感謝いたしますっ!」
アレグリオ侯爵は、自らの目でオーランド伯爵家を注視してこなかったことを悔いた。
たとえ内政干渉と言われようが、息子の許嫁と決めたからにはサティーを、その生家がどんな家かを監督するべきだった。
警備日誌から見えてくる、あの家の実情は……
「今からオーランド伯爵家に行く。確かめねばならんことが山ほどある」
ブラックベルベットのコートが怒れる主に従い、炎獄の如く闇色に輝く。そこに一抹の焦りを見た侍従は、無礼をものともせず侯爵の足を止めた。
「落ち着きなさいませ、旦那さま。足りないと仰るのは、報告内容がでしょうか?」
「それもあるがな。警備など名ばかりの役立たずどもめ」
吐き捨てるように言葉を荒げる当主を、老侍従は冷静に諭す。
「逸るお気持ちはおありでしょうが、よくお考えを。相手は婚約破棄を告げられた少女の親です。先触れも出さず、娘も帰ってこず、怒鳴りたいのは相手の方かと思いますよ、『若さま』」
「う……」
「馬車をご用意いたします。オーランド伯爵家にはあくまで、お詫びとして参上するのです。その方が懐に入りやすい」
侯爵の若かりし頃、猪突猛進だった彼の手綱を握っていたのは、平民出身の使用人、ロウエであった。
市井に通じた良き相棒であり理解者、ときに共犯者。
なので今でも、尖兵であり大将なのはアレグリオ侯爵だが、参謀と諜報はロウエである。
馬車がととのい、家令に取材対応とサティーの世話を任せると、当然のように侯爵は侍従を呼ぶ。
「共に来い、ロウエ」
「仰せのままに」
王都郊外にあるオーランド伯爵邸までは馬車で小一時間ほど。
もしかしたら今日にも鉱山のある北の領地に戻るだろうので、急がねばならない。
侯爵は馬車の中で警備日誌を侍従にも読ませ、情報のすり合わせをする。
「使用人らの聴取は当然おこなったのだろうな。伯爵が常々メイドをベッドに連れ込んでいたことを、わざわざ書き足しているのだから」
「くだらない情報ですね」
まるで三流ゴシップ紙のようだ。
貴族や上流階級らの根も葉もない醜聞を面白おかしく創り上げ、街角でバラまく連中のことである。
まあ、今回が根も葉もないかは、別だが。
侯爵はこうした醜聞を見て喜ぶ人種ではない。
「それが書けるなら何故、犯人の目星の有無すら書いていない? 警備兵だぞ。自分の雇い主の令嬢が狙われたのだ。伯爵家に恨みを持つ人物の心当たりは? 自分は不審な者を見なかったのか、来客はあったか、あったら誰だったのか? 犯人探しに必要な情報が、どこにもない」
「確かに……穴だらけですな」
書かれているのは、爆発についてのみ。
こんなことは10日後でも書ける。急ぎ調べた労力を全く感じさせない日誌なのだ。
(サティーさまが関わると、事を急がれる。その気持ちを何と呼ぶか、知らない貴方でもないでしょうに)
頬杖をつき窓の外を睨むアレグリオ侯爵に、老侍従はふっと白髭に笑みを乗せる。それに気づいた侯爵が、唇を尖らせた。
「……なんだ」
「いえ、今から押し込まれる者たちが、少々不憫で」
何かをごまかされた気はしたが、侯爵は悪戯少年の笑みで侍従に同意する。
「私に対して鬼教官であったお前に押し込まれるのだからな」
「な、何が起きてるんだああああ!?」
オーランド伯爵邸を警備する兵舎は、天地をひっくり返す騒ぎになった。
イザーク侯爵家の紋章をつけた漆黒の馬車が正門に停まると、続いて侯爵家の私兵およそ200人が兵舎をぐるりと取り囲んだのである。
全員が騎馬、帯刀している。逃げれば斬り殺すという無言の圧力だ。
「何だよ、犯罪者でもいるのかよ……!?」
「けど、うちはオーランド伯爵付きだぜ。いくら侯爵さまでも、こんな勝手なこと……」
「あの伯爵に、なに期待してんだよ!」
兵舎は伯爵邸と、通りを挟んで向かい合うかたちで建てられている。
伯爵邸からもこの異様な光景は見えているだろうに、音沙汰もないことに警備兵のあきらめ感は強い。
彼らが窓という窓から固唾をのんで見守る先で、従者が馬車の扉を開けた。
警備兵よりも優れた体躯、古き黄金のたてがみをなびかせ、アレグリオ・イザーク侯爵は降り立つ。
「こ、侯爵閣下、本日はどのような……?」
中年の警備兵長がびくびくしながら、応対に出る。その愛想笑いを一瞥すると、侯爵は命じた。
「オーランド伯爵邸の警備日誌について、いくつか訊きたいことがある。そなたと、爆発のあった12月3日の警備担当者ふたりの同席を所望する」




