27話 「成すべきことを」
間違えた。
見誤った。
目論見が甘かった。
重大な勘違いをしていたんだ。
囚われすぎていた、紫苑の日記に。
そこに記されたシナリオに。
拠点が見つからないというシナリオそのものが変わる可能性だって十分考えられたのに、3人を拠点に戻すよう立案した私のミスだ。いや、でもまだアジトの位置がバレてるとも限らない。悔いるなら全部が終わってしまったその後だ。まずは状況を確認しないと。
空に広がる無数の点が視界に映り込んできて鬱陶しい。服にも肌にも湿った感覚を抱きつつ、箒を握りしめていた手をポケットに移した。
まだ箒のながら運転が取り締まられる世界じゃないから、取り出したスマホで繋に電話を掛けてから耳にあてる。
「香織! 今どこ!?」
3コールを待たずに繋がった通話から、挨拶よりも先に飛び出した。
「ちょうど箒に乗ったとこ。兼継から聞いてるかわかんないけど、今からそっちに──」
「なるはやで来て! やばい! なんでか真壁がこっちに来てんの!」
最初の慌てようから薄々嫌な予感はしていたけど、やはりそうなってしまったみたいだ。
「一旦落ち着いて繋、とりあえずそっちの状況を教えて。まだ見つかってはいないんでしょ?」
相手の勝利条件は紫苑に選択の世界を使うこと。姿を見られるまではまだ負けじゃない。
「見つかってないけど、胡桃が! 今はとりあえずリビングに隠れてやり過ごしてるけど、下の階から順に徘徊してる。そんなに長くは持たないそう」
「胡桃は大丈夫なの!?」
「無事だけど、あいつに協力させられてる」
選択の世界で二人の捜索に協力させられてるのか。正直言ってかなり危うい。
でも、にしたって展開が速すぎる。弐識美音の話を信じるのなら、真壁は私達を出迎えたあとからアジトに向かったことになる。
でも真壁派閥の覚醒者で移動に使えそうな人材はすべてあの場にいたんだ、なら移動手段はおそらく車か。
「箒は!? 箒でアジトから離れられない?」
「中庭の箒、胡桃が最初にへし折った……」
まずい。
ここからでもまだ数分は掛かる。仮に間に合ったとして、そこからどう真壁を撒くかなんて全然思いつかない。
今の状況じゃ紫苑の世界を使っても位置がバレるだけだし、そもそも時間が掛かりすぎる。繋の世界じゃ相手のおおよその位置がわかっても建物から出られない以上、見つかるのは時間の問題だ。
「とりあえず耐えて! すぐい──」
「行かせないっすよ!」
唐突に頭上から声がしたと思った途端、視界が大きくグラついた。
「うわっ!」
急な衝撃で制御不能となった箒は、勢いを増しながら地面へと急降下。
迫りくる地面、激しく揺れ動く箒。身体は完全に投げ出されて、もはや振り落とされないよう持ち手を強く握りしめる他ない。
振り落とされずともこの勢いだ。地面に衝突して無事でいられる見込みもない。
死を覚悟する暇さえ、既になかった。
「──そんな必然、認めないわ」
必死に箒を握りしめ上下の感覚さえ見失った視界の中で、一瞬だけその人を捉えていた。
建物の屋上に凛と佇み、赤く長い髪を靡かせながら、背表紙の厚い本を閉じて呟いた彼女のことを。
「ぇ……あれ?」
次に気が付いたとき、私は幾分か背の低い建物の屋上に、立ち尽くしていた。
握りしめていたはずの箒も地面に横たわっている。
さっきまで確かに墜落しかけていたのに。
「何がどう……」
「ご無事そうで何よりです、一色様」
「え?」
背後からした声に振り返ると、やはりだ。
鮮血のように明るい赤色をしたその髪も、美麗さと優美さを併せ持つその涼しげなドレスも、見覚えがあるそれだった。
凛とした佇まいはブレがなく、そこから綺麗に伸びる影さえも彼女を飾る一部にさえ思える。
背を向けたままでもその顔が鮮明に頭に浮かんだ。
「然律……真ちゃんだよね?」
質直人派閥の彼女がどうしてここにいるのだろうか。状況が目まぐるしく変わっていくのに、理解が全然及ばない。
「今は先を急がれた方がよろしいかと」
少しもこちらを見ようとしないまま告げた視線の先、別の建物からこちらを眺める銀髪の男が見えた。
今更見間違うはずもない、十亀隼人だ。
さっき私を墜落させたのは彼だったのだろう。となれば真ちゃんは墜落する必然を書き変えてくれたんだ。
助けてくれたのは嬉しいし先を急がないといけないっていうのもわかってるんだけれど、今の状況は彼女の世界でどうにかできる場面には思えない。
「いや、そうは言っても──」
「一色様は、一色様が成すべきことを成して下さい。それが必然です」
「成すべきこと……」
交わした言葉は多くないものの、彼女がなんの考えもなしにこの選択をするはずがない。なら私は、彼女が告げてくれた通り、私の成すべきことを成すべきなのかもしれない。
「わかったよ。ここは任せるけど、無理はしちゃダメだよ?」
箒の柄を握りしめて、飛び立つ前に振り返った。
「心得ております」
その佇まいには無機質さすら感じさせながらも、言葉には若干の自信が伺えた気がする。頼もしいな。
質派閥が何を思ってこの場に干渉してきたのかなんてわからない。今考えたところできっと結論なんて出せない。それならなんにせよ、奇跡的に出来上がったこの時間で私にできる精一杯のことをしよう。
まずはアジトに着くまでの時間で、真壁《あの男》をどう出し抜くか考えないと。
飛び立った私の額に、ぽつんと冷たい何かがあたって気が付く。
「今日はとことん、予報が外れるわけね……」
風を切って飛びつつも、あの日のことが頭に浮かんだ。
私の視界から色が消えた、その日のことが。
結局私は、あの日と同じ過ちをなぞっているだけなんじゃなかろうか。いや、そもそも塗り替えたところで、それは私たちのエゴなんじゃないだろうか。
────ダメだ、余計なことは考えるな。
首を振って頭の中をリセットする。
今はただ、紫苑を守る。それだけでいい。それだけでいいんだ。
大丈夫、今回はきっと違う。違うはずだ。
柄を強く握りしめた。
降り出した雨が、私を冷静にさせてくれた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
時間は遡って、まだ雨が降り出す前のこと。
「あっ! 見えたよ」
左手で箒の持ち手を握り、右手に持った双眼鏡を覗き込んでいた繋がふいに声をあげた。
「えーっと、リーダーでしょー、香織、西鶴に詩葉も。あ、真壁も来た! 覗いてみ?」
右手で握りしめていた双眼鏡ごと紫苑の前に差し出すも、視線は変わらず一面硝子張りのビルに向けられていた。
薄く引き延ばされた雲が視界をぼやけさせて、まるでレースのカーテン越しに見せられているかのよう。その上、服や肌までしっとり湿る。早いとこ課せられた任務を済ませて、アジトに戻りたくなる天気だ。
「どう? 見えた?」
紫苑は言われるままそれを受け取って、目に当てる。その後ろには胡桃がいて、手に持ったスマートフォンに浮かぶ通話中の文字。ちょうど兼継が「構わねーよ」と吐き捨てていた。
「ええ、4人とも椅子に座ったみたい。でもまだ────いえ、ちょうど今、二人入って来たわ」
双眼鏡を覗いたまま首を短く、一度だけ左右に振った。上空は風が強く、長い髪が煽られ続けて鬱陶しい。こんなことならヘアゴムで縛っておけば良かったと、内心で少しばかり後悔に駆られた。
「真壁択真離席中。みたい」
吹き抜ける風で通話音が聞き取りにくいのか、呟いた胡桃はスマートフォンを斜めに傾けて耳元に当てている。文字通り耳を傾けた形だ。
「そのようね、背の小さな女の子と金髪の男しか見えないわ」
「繋のこと、話してる……みたい」
目を瞑ったまま少しだけ眉間に寄せたシワから、聞き取りにくさが伺えた。強風の中でも平然と目を瞑っていられるのは、自分の位置座標をデータとして固定しているから。
跨っている箒が空中に留まっているのも、また。
「え? なんて?」
「会いたかった。って」
「うげ……私は会いたくないっての」
誰が、とは一言も聞かないまま苦い顔をしたかと思えば、相手に見られていないことをいいことに、べーっと舌を出す。言われるまでもなく、思い当たる人物がいるようだった。
「十亀隼人、もう一人」
「ふーん。じゃあ、数元学って人とゆかりんがいないのかー」
こちらが別動隊を用意しているように、相手側も何かしらの思惑を持っているはずだ。だとすれば二人の居場所を知ることができれば有利に立てるかも知れない。
敵の繋がりを辿ってみるも結果は想像通り。全員目の前のビルの中。その情報を得たとしても香織みたいに、ぱっと作戦に役立てられない。結局は今自分ができることに注力する他なかった。
「戻った、みたい」
「誰か入って来たわ」
二人の報告はほとんど同じタイミングだった。
「来たの? アイツ」
紫苑を振り返って、物理的に視線も思考も切り替える。
「ええ。予定通りね」
紫苑の瞳を通して見えるその男は、落ち着いた様子で部屋の中央まで移動すると、もともと引かれていた椅子に腰を下した。成人男性の平均身長よりやや高めで眼鏡を掛け、角ばった頬からはやや、やつれた印象を受ける。
「見えたわ! 彼の時間」
数字にして35万は、齢にして40代。日記に記載されていたプロファイルとも合致する。
双眼鏡を目から離したその表情には、自信が感じられた。
「え? こんなんで終わり?」
想像よりもずっと楽に済んだようで、繋はあっけらかんとしている。
「そう───なるわね、香織から言われていたことは、これだけだもの」
箒ごと繋のいる方向に向きなおした紫苑も、そこはかとなくけろっとしている。その横で胡桃は、ふんふんと首を2回縦に振っていた。
「えー! やったじゃん!!」
目にも止まらぬ速さでスマホを取り出して、同時に箒も急発進。
「案外なんにもなかったし、普通に余裕だったんじゃない?」
箒の操作も手慣れたもので、小さな半円を描いて向きを反対方向にしてみせた。それも片手でスマートフォンを操作し、メッセージを入力しながら。
「とりま報告はしておいたからさ、早いとこ帰ろっ、あとはリーダー達が何とかしてくれるっしょ!」
「───まだ」
意気揚々と箒を乗り回し急激に高度を上げた繋だったが、空中で不意に静止する。飼い主にリードを引かれた飼い犬みたいに。
「うわっ! 急になに!?」
危うく振り落とされそうになりながらも、何とか持ち堪えて振り返る。が、呆れた顔をしていたのは飼い主ではなく、紫苑だった。
「戻る前に一度、日記を確認する手筈でしょ? 来るとき寄ったビルに、一旦降りるわよ」
「あっ! そだったね」
胡桃は胡桃でスマホに視線を落としていて、その画面には繋が先ほど送ったのであろう、「任務完了」とメッセージが届いていた。
そのすぐあとに「OK」のスタンプが送られてくる。
「西鶴返信はや。絶対ずっと携帯見てるでしょ」
それもそれで大事な役割なのでは? と思いつつも、それが胡桃の口から発せられる事はなく、ほどなくして、当初香織が計画していた通りに、近くのビルの屋上に降り立った。
兼継達と別れる前、一度全員で降り立ったそのビルには、人数分の箒が隠されてある。予定通りなら、それらが一本足りとも欠けることなく、一緒にアジトに戻って来れるはずだ。
だが確実に、予定通りには進まないだろう。それがわかっているからこそ、何度も日記を確認する。1度でいい。変わった未来を前もって観測できれば、望む形に世界は書き変えられる。
予定を予定で終わらせないように、やれることをする。今はただそれしかない。そう、祈りを込めて紫苑は日記の時間を進めるも、そこに書かれていることは、来るときと寸分違わない文字列。
晴れると予報された空模様さえ、変わらない。それどころか上空を流れる気流はより勢いを強め、冷たさを増した。
予報はどれも、簡単に的中するものではない。
空模様がそう、告げているみたいだった。




