忘れがたき冬の花
セフィラというのは、かつて境界線上の魔王と呼ばれた男の国である。
今は最果ての王と呼ばれているその人は、基本的にはあちこちを旅して回っているそうだ。
物語曰く、というわけでもなく、事実として。
シンは発熱し、早々に寝台にいれられた。小さい子供かっ! と思う。
ディグラも無理をしたのか休んでいる。
食堂で先ほどまで歌っていた吟遊詩人だけが残っていた。
テーブルにある無料で歌った代わりにサービスで出てきたチーズの盛り合わせを見て思う。そう言えば、この人もチーズが好きだ。
吟遊詩人をちらりと見る。
「質問があれば、可能な範囲で承ります」
にこりと真意の見えない笑みで請け負う。
私は向かい合って座る。
彼は、小さく何かを呟いた。聞こえない音で何かを命じた。
それがわかるのは、私も同じ事が出来るからだろう。カイラスの名を継ぐときにやってはいけないとしながらも教えられた知識の一つ。
自分が、なくなってしまうから、と。
「祖父とは、つきあいが長いのかしら?」
「あなたの血族とは長いつきあいですね。エリン」
思わず渋い顔を作ってしまう。
カイラス、は祖父から継いだ詩人としての名だとすれば、エリン、は両親がつけてくれたものだ。
祖父の孫としてお話をするらしい。
「かわいいからこちらを名乗れば良いのに」
にこりと笑って言う。ひさしぶりの眩しい笑顔のやられそうになる。うしろできゃあと可愛い声が聞こえたので、被害者がいたのだろう。
……私を可愛いと言う男は、なぜ一癖も二癖もあるのだろうか。
「それは、どうも」
赤くなった顔を隠すようにうつむく。あれが営業用のスマイルであろうと攻撃力の高さとは関係ない。
動悸がする。
ふふっと笑う気配だけがした。からかわれたのだとわかっても降参だ。
「まあ、アレはもう使わないことです」
「強すぎるから?」
言われなくてもあんな危険なことをしようとは思わないし、考えてもいない。
しかし、私は私の自制心というものが信用出来なくなっている。確約することは出来ないだろう。
いつか、自分の全てを引き替えにしても叶えたい願いが出来るかも知れない。
「うーん。僕は、あなたがいなくなって欲しくない、から、ですかね。まだ、歌をお聴きしてませんし?」
中々に熱烈な告白である。
吟遊詩人冥利に尽きる。
……プレッシャーがかかるとも言う。
「もっとも、度が過ぎればそんなことを言ってはいられないのでしょうけど」
独り言のように。
変わらぬうっすら浮かんだ笑み。
しかし、空気が全く違う。
「僕がしたくなくても、しなければならなくなる」
頬杖をついた姿はどこか子供っぽい。嫌な野菜を無理矢理食べなければいけないような顔だ。
まあ、それくらいには価値があると認めているのだろうけど。
……やっぱり、普通の吟遊詩人ではない。
収集家としてはあり得ないくらい長く語られていても人を逸脱するような話はのこされていない。
この話をするのならば、明らかに滅びる前の文明を知っていなければいけない。
その時代から生きていてもおかしくないような気はしてきたけれど。
そんな存在なんて、一人しか残らない。
「……変な顔してますよ」
「あなたって誰なんですか?」
吟遊詩人のセフィラはそれなりに歌を残している。彼のように歌を作るのが苦手ということもない。
既に百年は歌われているという歌を残すほどだ。
「セフィラ、それ以外の名は持たないし、名乗らない」
彼はきっぱりと言い切った。
まあ、その気になったら教えてくれるだろう。
吟遊詩人の仮面をかぶり直したらしいセフィラは、楽器の弦をならす。
「何か、歌いますか?」
何か弾いてくれるらしい。今までにないお誘いに笑みが浮かんだ。
誰かと歌うのは久しぶりで、とても嬉しかったから。
「それなら忘れがたき冬の花」
それは、妹が好きだった歌。
冬に目覚める王は息を吐く
風は千里を走り王の目覚めを知らせる
風はきらりきらりと光の花を咲かす
氷の乙女を捧げよ
その吐息で花は凍り付き冬の花に
王を花で飾り付けましょう
王を花で飾り付けましょう
その場から動かぬように
美しき庭でまどろむように
氷の乙女の涙の首飾り
氷の乙女の吐息の花
氷の乙女の心臓は赤い
王に恋してしまうまで
全て凍てつかせた庭で
いつまでもいつまでも
王を花で飾り付けましょう
王を花で飾り付けましょう
この地より出ぬように
この一曲で済むわけもなく、望まれるままに数曲歌う。
セフィラは境界線上の魔王を微妙な顔で演奏していたので、ちょっと笑いそうになった。そう言えば最初に会ったときも歌わされていたが、今ならわかる。
あれはとても不機嫌だった。
二度と歌うかという気迫がこもっていたのだ。
店主の顔を思い出して笑いそうになる。伝説の吟遊詩人がへそを曲げたのは、最初の歌のせいだと彼が知ったら、どう思うだろうか。
「皆さん、好きですよね、あれ」
「良い歌だと思いますよ」
あー、とか、うー、とか言って最終的にセフィラが黙った。珍しい。
「恥ずかしいんですよ。死ぬほど」
それはもう白状してませんかね?
魔王様。
翌日、程よい快晴だった。
でも、みんなほどほどに体調不良だった。なぜだろう。やめようと思って深酒をしたのは。
おそらく付き合ってくれたはずのセフィラも沈痛そうな顔で、詫びを入れてきたので何があったのか怖くて聞けない。
理由のわからない本気の謝罪ほど怖いものはない。
昨夜の私、なにをしたの?
シンは引き続き熱を出している。聞けば、この時期は必ず体調を崩すらしい。言われてみれば思い当たる節もあった。
夏の終わりや秋口に彼女に会ったことがない。
いつもは故郷に戻るか、各地にある拠点に退避しているのだという。
ディグラは悪化してはいないけれど、だるいらしい。
良い時期と悪い時期が交互に来て回復傾向にあるらしい。わたし自身、どこまでなにが治っているのかは実はわかっていない。
死んでいない、だけがわかる。
他の人の怪我も治ったとだけ伝えられた。
元の怪我がどれほどだったか聞かされていない。ただ、当日の色々を調べていくうちに無事だった人など誰もいなかったことに気がついていた。
特に隊長やアドルファスは……。
……いや、やめよう。元気そうだったし、今後も元気でやってくれると思う。遠くからなら信じていられる。
英雄譚の最後はハッピーエンドでいいじゃないか。
……まあ、それが逃避ということも知っている。
さすがに気がつかないわけにもいかない。
ディグラ自身が聞いているかはわからないが、彼自身がまだ完全に回復していないにもかかわらず、国を出されたことが既に怪しい。
彼らはそんなこと許す人たちではない。
それにも関わらず、ここにいるのならば、国内にいることがよほど危ないのだろう。
「……無事でいれば良いけど」
「んー?」
シンがぼんやりと問いかけてくる。
熱のあるシンに付き添うと部屋にこもっているのだ。申しわけないが、ディグラはちょっと放置している。あとで様子を見に行こう。
「無茶させてごめんね」
「いやだなぁ。友達でしょ? ちゃんとセフィラを連れてきてくれた」
「ありがとう」
「んー、わかってない顔。私って一族では特別だったから対等な相手ってほとんどいなかったの」
……まあ、それはわかる。
セフィラが昨日見せた子供っぽい表情ととても似ている。セフィラを特別とするラドの一族ならば、似ている彼女も特別だろう。
シンと友達だと思うようになったのは、いつの頃だろうか。
最初は妹と一緒に旅をしていた頃。ちょっとだけ一緒に旅をした。まあ、三日ほど。喧嘩別れして、他の場所であって少しずつ打ち解けてきて。
「一緒にいて楽しかったし、楽しいの」
「いつか、ラドの一族の誰かに刺されないかしら」
憧れのセフィラと同じ吟遊詩人として認められ、おそらくラドの一族のお姫様であるシンと仲が良い。
「……うん、ごめん。それだけは保証できない」
神妙にシンが謝ってきた。
見つめ合いどちらともなく吹き出した。
「でも、この先だともっと不安なのよねぇ」
彼女がそんな呟きを漏らしたことを私は不幸にも知らなかった。




