表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
他力本願な世界で救済を  作者: 夜桜
第1章 灰色の世界
1/28

第1話 『少年の独白』

 世間の人々は、世界に、日常に、不幸や理不尽な出来事に巻き込まれている人間がいることに気づいているんだろうか?


 気づいてはいるのだろう。


 しかし、自分の中にその出来事を留めることはしない。

 自分の世界に多少の悪影響が出るからだ。

 多少といえど、悪影響には違いはない。

 その多少の悪影響で、心の突っかかりを覚えたりするもんだ。


 人は、不幸な人間や理不尽な出来事を目の当たりにすると、なんとかしたいとか、なんとかなって欲しいとか、気持ちが湧いてくるんじゃなかろうか。

 そのなんとかしたいという気持ちは、刹那の気持ちでしかない。

 人間の中の善の部分が働いているに過ぎないからだ。

 刹那が過ぎた次の瞬間、なんとかなって欲しいと曖昧な解決を求めるようになる。

 人は、不幸な人間に対して、勝手に自分とは関係ないところで救われることを望むようになる。

 無関心な人間も、不幸を望む人間も当然いるだろうが、今は一旦置いておこう。


 つまりだ。

 不幸な人間を日常のどこかで見つけたとしても、その曖昧な解決を人々は望むが、自分の手でなんとかするという心持ちにはなり得ない。

 その曖昧な解決というのは他力本願でしかない。


 誰かが助けてくれるだろう――とか。


 時間が解決してくれるだろう――とか。


 運に恵まれば助かるだろう――とか。


 世間の人々は、不幸な人間が曖昧に助かるのを求めている。自分の手は伸ばさずに。

 そうでないと都合が悪いから。不幸な人間を目の当たりにして、何もしないという事実に多少なりとも罪悪感が湧いてくる。

 その罪悪感というのが、自分の世界に多少の悪影響を及ぼすものだ。

 人は罪悪感を感じないようにするために、不幸な人間という存在は、自分の世界から排除している。


 自分の世界から排除すると、人々は不幸や理不尽な出来事に巻き込まれている人間を正しく認識することができない。

 人々は確かにいる、不幸な人間という像はうっすらと認識しているが、その背景は知らないし、知ろうともしない。

 知ろうとしなければ、何も世界は変わらない。ただひたすらに不幸な人間が増え続ける。


 でもまぁ、知ろうとしないのは当然のことだ。

 

 知っても、踏み込んでも、面倒なことになることが目に見えているから。

 ただ、ひたすらに見えないフリを、人々はし続ける。例え、手を伸ばせば、助けられる人間がいたとしてもだ。


 仮に不幸な人間が視界に入ったとしても、世界に数多くいる哀れな人間の一人として埋もれてしまう。

 そしてやがて忘れ去られ、誰の頭の中にも残らない。

 SNSでふと不幸な人間が目に映ったとしても、その人の人間風景を覚えていられるだろうか。一瞬、同情は湧くかもしれない。

 だが次のスクロールで、忘れるに決まっている。


 同情なんていうものは、心の余裕から溢れた、上から目線の言葉に過ぎない。

 当事者でないから、自分には関係がないから、同情で終われる。

 自分の世界の延長線上にあるものだから、同情以上の感情が湧いてこない。


 自分の大切な人が、傷ついた場合はどうだろうか。

 大切な人が人に騙されて心に傷を負ったり、事故で体の一部や身近な人間を失ったりした場合、人は忘れることはできるだろうか。

 人間性が冷え切っていなければ、同情だけではなく助けたいとなんとかしたいと、思うのが人間ではないだろうか。

 その出来事は、当人にとって忘れられない出来事になるだろう。


 だがそれは、自分の世界の話で、自分に関わりがある出来事だからだ。

 自分に関係がないものは、徹底的に自分の世界ではなかったことにする。

 なかったことにすることによって、自分が選べたかもしれない道をなかったすることにできる。


「あの時、手を伸ばしていれば」と。


 自分が後悔しないため、傷つかないために、人はそうしていると思う。

 そして、時が過ぎれば「あの時は仕方がなかった」と「自分には関係がなかった」と自分に言い聞かせることができる。


「あの時、出来ることはなかったのだ」と。


 それは、人間に備わっている一種の自己防衛が働いた結果だ。

 数多くの人間は、そうして自分を守っている。

 だから、その自己防衛本能に抗って他人を救おうとする人間なんてほとんど存在しない。

 本能に抗ってまで人を救うだなんて、そうそうできるものではない。


 少し深堀して、例を挙げてみよう。

 例えば、学校でいじめを受け自殺してしまった人間がいたとしよう。

 その人間が赤の他人であるなら、同情だけで終わるだろう。


「可哀想に」と。


 だが、その人が身近な存在ならどうだろうか。

 友人、恋人、家族――同情だけでは済まないだろう。

 当事者ではないから、同情だけで終わるのだ。

 同情されたといって、結果が変わるわけでも気持ちが安らぐわけではない。

 ただされた本人からしたら、虚しいだけだ。


 同情だけでは、人は動かない。

 本当に行動するのは、何かしらの動機や利益がある場合だ。

 少なくとも俺は、そう思って生きている。


 もし大切な人間が、被害の当事者であったなら犯人を目の敵にし、何かしら報復するかもしれない。

 それは、同情とは違う。当事者だけの感情だ。

 赤の他人では、その感情は生まれない。


 人は自分の世界に関係のないものには、自然にフィルターをかける。

 すべてを自分の世界に取り込んでいたら、人は耐えられない。

 自分を守るために情報を制限している。

 もちろん制限しているのは、自分にとって都合の悪いものだ。

 自分の世界から都合の悪いものを取り除いて、自分にとって都合のいい世界を構築しようとする。

 都合のいい世界に不幸な人間なんて、ノイズそのものに違いない。

 

 だから、他人の助けなんて期待してはいけない。

 理不尽な出来事に巻き込まれたとき、不幸な出来事が続いたときは、自分自身の手で対処していくしかない。

 そうやって、目の前の理不尽を乗り越えてたり、受け入れたり、諦めたり、そうやって生きていくしかない。


 この世界に生まれてきて、どれくらいの人が『死にたい』と『消えたい』と思ったことがあるのだろうか。

 一瞬でも『死にたい』と『消えたい』と思ったことがない人間が、本当に存在するのだろうか?


 死という、生きているものが常に背負っているもの、その背後を見向きもしないなんてことは、本当にあるのだろうか。

 今現在進行中にも、この世に、他人に、何より自分に、希望を感じられないまま、この世を去っている人間が存在していることを信じられるだろうか。

 自分達は日常を過ごしてるなか、『死にたい』と『消えたい』とそう思っている人間がいくらでもいる。

 もしくは、その思いを実行している人間もいる。


 『自殺』という行為をするのは、人間という生き物だけだそうだ。

 少なくとも死というもの理解しながら、その行為をするのは人間だけ。

 理解できているのも、人間だけかもしれないが、死を理解して自分の存在を消す、これまでの生きた時間をなかったことにする行為をしているのは、異常としか思えない。


 ――なぜ自殺が起こるのか?


 理由は複数あり、複雑で、例えるのが難しいが言えることは確かにある。

 それは、人間には『意思』と『知恵』があるからだ。

 我々は選択する『意思』があり、未来を予想する『知恵』を持つ。

 その未来を考えるとき、人は嫌なことばかり想像してしまう。

 考えすぎた結果、未来から逃げたくなる。

 その逃げという選択が、自殺という行為なのだと、俺は思う。


 ――自殺を選択するのは、愚かだと嗤うか?


 それは残酷なことではないだろか、何も知らずにこの世界に生まれてきて、無数の選択肢の中で自殺という選択を取れてしまう状況に、生まれてきた意味は本当にあるのか?


 分からない、俺にはもう分からない。

 生まれてきた意味も、生きてきた意味も、もう何も分からない。

 俺は、何も分からないまま――。


「もう終わったことだ」


 そう終わったことだ。

 今日の出来事は、画面上には溢れている不幸の出来事に過ぎない。

 不幸の出来事の域を出ないのであれば、他人に覚えられることもあるまい。


 俺のこの行為すらも、何も意味を為さないということだ。

 だが、もうそれでいい。意味を考えるのも、見出すのも疲れてしまった。

 俺が生まれてきた意味も、生きてた意味も、そんなものなんてなかった。


 もうそれが答えでいい。


 ――この日、一人の少年が自殺を選択した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ