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LOG_0067:予兆

 エリュマントス中層、第二十三居住区。 普段は商店や工房が並び、職人や市民が行き交う活気あるエリアだが、今は一般市民の避難が完了し、奇妙な静寂に包まれていた。


「――アルファ班、掃討完了。魔力反応、消失しました」


 通信機から流れる若い隊員の声を聞きながら、星奈は建物の屋上で風にコートをなびかせていた。 彼女の視界——『神の眼』には、街区全体の構造線と、そこにこびりついていた赤黒い「エラー記述」が霧散していく様子が映し出されている。


(……これで、この区画はクリアね)


 ここ数日、中層の市街地や繁華街といった「生活圏」に、小型のバグが頻繁に出没していた。

 個体としての強さは、レベル10〜20程度。正規の騎士団員どころか、自警団でも対処可能なレベルだ。


 だが、問題はその「発生頻度」と「場所」だった。


 本来、バグはシステムの裂け目である外壁付近や下層深部で発生する。

 それが、街のど真ん中で、まるで雨漏りのようにポツポツと湧き出している。

 幸い、迅速な避難誘導により人的被害は出ていないが、この現象は明らかに異常だった。


「ステラ総監。……第二十三居住区、全域の反応がなくなりました」


 背後から、緊張した面持ちで一人の少女が歩み寄ってきた。

 エレン・マクシム。 三年前に星奈と共に下層の任務に同行した若き編纂員である。


「ご苦労様、エレン」


 星奈は振り返り、意識のフォーカスを広域スキャンから通常視界へと戻した。


「怪我人は?」


「軽傷者が二名出ましたが、ロベルト様の部隊による治癒術式ですぐに復帰しました。現在はエリアの封鎖解除準備に入っています」


「そう。……手際が良かったわ。相変わらず貴女の指示、的確だった」


「ありがとうございます」


 星奈の言葉に、エレンは眼鏡を正し、頬を紅潮させて直立不動の敬礼を返した。冷静沈着な彼女は分かりやすかった。

 星奈は苦笑しつつ、再び眼下の街並みへと視線を戻す。

 物理法則ルールが揺らいでいる。

 大規模な崩壊ではない。

 例えるなら、精巧な機械時計の歯車に、微細な砂粒が入り込んだような違和感。

 

 神の夢が、わずかに寝返りを打とうとしているのだろうか。


「……あの、総監」


 エレンが恐縮しつつも、疑問を口にした。


「その……失礼を承知で申し上げますが、わざわざこの程度の任務に、総監ご自身が出るまでもなかったのではないでしょうか?」


 彼女の言うことはもっともだ。 今回の相手は雑魚ばかり。

 本来なら小隊長クラスに任せ、星奈のようなギルド最高幹部トップは本部で指揮を執るのが定石だ。

 ましてや『秩序の編纂局』は、情報の解析や事後処理が専門であり、最前線での戦闘は『騎士団』の領分である。


「普通なら、そうでしょうね」


 星奈は肯定しつつ、遠くに見える別の区画――そこでも微かに戦闘の土煙が上がっている――を指差した。


「でも、今回はそうもいかないわ。……あっちを見て」


「え……? あれは、第十八区画ですか?」


「そう。あそこでは今、騎士団の副団長であるカシム様が、自ら大剣を振るって陣頭指揮を執っているわ。確かにあそこは厄介な獣らが確認されていた」


 豪快な笑い声と共に、巨大な鉄塊のような剣でバグを薙ぎ払う赤髪の巨漢の姿が、星奈には容易に想像できた。

 カシムもまた、この異常事態に危機感を覚え、部下たちの士気を維持するために最前線に立っているのだ。


「騎士団のトップが汗を流しているのに、私たち編纂局の幹部が、冷房の効いた執務室で紅茶を飲んでいるわけにはいかないでしょう?」


 星奈は悪戯っぽく微笑んだ。


「現場の空気、匂い、そして隊員たちの不安。……それらは、データや報告書だけでは読み取れない『変数』よ。それを肌で感じるのも、上に立つ者の務めだと思っているわ」それは、かつて「現場を知らなかった」と悔やんだ経験からくる、星奈なりの教訓だった。 数式だけでは解けない問題がある。だからこそ、自分の足で座標を確定させに来たのだ。


「……! 失礼いたしました……! 私、浅はかな考えを……」


 エレンはハッとしたように目を見開き、深く頭を下げた。


「謝る必要はないわ。合理的判断としては、貴女の方が正しいもの。……さあ、次のエリアへ移動しましょう。まだ『ノイズ』は消えきっていない」


「はいっ! 総監!」


 エレンの返事は、先ほどよりも数段、力強く響いた。

 星奈は翻したコートの裾を整えながら、心中で小さく溜息をついた。


(それにしても……数が多すぎる。これは単なるバグじゃない。何かが、システムの根幹に干渉しようとしている……?)


 続いて『秩序の編纂局』が管理する第四区画へと向かった。

 そこもまた「獣」の出現報告があったエリアだが、先ほどのような完了報告がまだ上がってきていない場所だった。


 区画の境界を越え、編纂局の管理エリアに足を踏み入れた瞬間、星奈の肌にチリチリとした不快なノイズが走った。


(……この感覚、ただの「獣」じゃない)


 『神の眼』が、前方の空間に極めて密度の高いエラー反応を感知する。

 それは、これまで中層で遭遇してきたバグとは桁違いの、強大な敵の予感だった。


「――なんだ、こいつ! 突然現れたぞ!!」


 悲鳴に近い怒号が、通路の向こうから響いてくる。視線の先、広場の中心で、編纂局の現場員たちが必死の形相で魔導拳銃のトリガーを引き、攻撃術式を放っていた。 


 だが、着弾した光弾は、対象の表面で弾け飛ぶだけで、傷一つつけることができていない。物理干渉を拒絶する、上位の防壁。


「! 急がないと!!」


 星奈は即座に地面を蹴った。距離が縮まるにつれ、その異形の全貌が明らかになる。 全身を白銀の幾何学的な装甲で覆い、背中には光の翼ならぬ、鋭利な刃の集合体ごとき翼を広げた竜。その無機質な双眸は、感情の一切ない冷徹な光を放っている。


 星奈は息を呑んだ。見間違えるはずがない。

 上層の「聖歌隊の塔」を守る最強の門番として現れた巨大なバグの塊として遭遇した――。


「『聖域の処刑竜コード・エグゼキューター』……!? なんで!?」


「きゃああああッ!!」


 湧き上がる悲鳴。現場の防衛ラインは崩壊寸前だった。  

 星奈は思考よりも先に声を張り上げた。


「そのまま頭に向かって攻撃を続けて!! 視線を逸らさせないで!!」


 突然の『救世主』の到着と指示に、編纂員たちがハッと顔を上げる。彼らは恐怖に震えながらも、星奈の言葉に従って一斉射撃を竜の頭部へと集中させた。

 当然、ダメージはない。

 だが、その鬱陶しさに竜の注意が一瞬だけ彼らへ向く。

 その隙こそが、星奈の求めたものだった。


解析スキャン開始――対象レベル50。防御術式、物理耐性、共に最大値)


 星奈の視界に、竜のステータスと弱点となる『コア』の座標が赤く浮かび上がる。

 レベル50。一般の騎士では手も足も出ない強敵だ。

 だが、今の星奈にとっては――。


「はああああッ!!」


 星奈は足を止めることなく、疾走の勢いのまま『銀閃』の剣を抜いた。体内の魔力回路を全開にし、身体強化の出力を極限まで高める。

 竜が星奈の接近に気づき、迎撃のために腕を振るう。空気を裂く轟音。

 だが、星奈はその軌道を『眼』で完全に予測していた。紙一重で剛腕をかわし、懐へと潜り込む。


 狙うは一点。強固な装甲の隙間、記述ログの結合点にある、わずかな歪み。


「そこッ!!」


 白銀の刃が、吸い込まれるように竜の眉間へと突き刺さった。

 硬質な手応えと、それを貫く快音。星奈は更に全身の出力を剣先へと流し込む。


「ギ、ギギギギギギガガガガガアアアアアアッ!!」


 竜が、生物のそれとは異なる、電子的なノイズの混じった断末魔を上げる。

 次の瞬間、その巨体は維持できなくなり、無数の光の粒子となって爆散、離散していった。


 後に残ったのは、静寂と、キラキラと舞い落ちるデータの残滓だけ。

 星奈は剣を納めながら、その光景を厳しい目で見つめた。


「上層で見た竜が、まさかこんな場所に……」


 単なる「獣」の発生ではない。明らかに、この世界のシステムに深刻な異常エラーが起きている。


「総監! お怪我は!?」


「私は大丈夫よ、エレン。ありがとう」


 星奈は努めて冷静に振る舞い、彼女と、周囲で呆然としている職員たちに向き直った。


「それより、被害状況の確認と怪我人の手当てを急いで。まだ予断は許さないわ」


「は、はいッ! 直ちに!」


 エレンの敬礼を合図に、現場は再び動き出す。  

 だが、星奈の胸中には、消えることのない不安の影が落ちていた。

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