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LOG_0036:蒼穹の守護輪

 眩いばかりの朝陽が、医務室の白いカーテンを透かして星奈の頬を撫でていた。  


 昨夜の重い倦怠感は、ロベルトの治療と深い眠りによって驚くほど解消されている。


 星奈はベッドサイドに置かれていた、洗浄済みの白磁の鎧——メイが心血を注いで調整した「最終形態」——に袖を通した。


 指先に触れる冷ややかな金属の質感。

 それが、あの上層での死闘が決して夢ではなかったことを彼女に思い出させる。


「ステラ様、お迎えに上がりました」


 扉をノックして現れたのは、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたノアだった。だが、その手には儀礼用の真っ白な外套が握られている。


「団長閣下、ならびに各局の長がお待ちです。……行きましょう、エリュマントスの救世主様」


 ノアに促され、星奈は重厚な石造りの廊下を歩む。

 向かう先はギルド本部最上階。


 重厚な扉を開けると、そこにはエリュマントスの中枢を担う「権力の記述ログ」が凝縮されていた。


 円卓の奥には、ギルド『聖典の守護者』第十四代団長、ジークフリート・フォン・ヴァレンシュタイン。その傍らには、『騎士団』副団長カシムと、『基盤の修復局』総理バルタザールと、『秩序の編纂局』局長イザベラが、それぞれの実務を司る威厳を湛えて座している。


 さらに、共に上層を戦い抜いたハバルト、シフォン、メイ、アネラスの姿もあった。


「ステラ殿。昨夜はゆっくり休めたか」


 ジークフリートの問いかけは、組織の長としての儀礼的なものではなく、一人の騎士を労う実直な響きを含んでいた。


 星奈は短く「はい、問題ありません」と答え、指定された席に着く。


 会議室に設置された魔導スクリーンには、星奈たちがデバッグを完了した上層エリアの最新マップが投影されている。


 赤く汚染されていた領域は白く浄化され、正常な論理構造を取り戻していた。


「改めて、今回の特命任務の完遂、実に見事であった。上層の『根源的バグ』の消去により、都市の処理能力は劇的に改善された。これらすべては、君たちの献身によるものだ」


 団長の賞賛に、メイが誇らしげに胸を張り、ハバルトが深く頷く。


 その光景を眺めながら、星奈の思考はふと、理系的かつ批判的な方向へと逸れていった。


(……それにしても、こう冷静に見ると。とんでもない面子ね)


 星奈は、ジークフリート、バルタザール、イザベラという三層のトップクラスを順に視界に入れる。


 彼らが有するリソースと戦闘力を結集すれば、自分がわざわざ危ない橋を渡らずとも、もっと効率的にバグを排除できたのではないか。


 そんな意地悪な計算が脳内を掠める。


(けれど、今の私ならその「理由」も推測できる。彼らほどの高レベル個体は、いわばシステムのカーネルに近い。もし彼らが前線で致命的な汚染バグに晒されれば、エリュマントスというシステム自体が起動不能に陥るリスクがある。確信が持てるまで「救世主」をテストし、安全圏から観測するしかなかった……。論理的には、それが最適解というわけね。なによりも責任者が易々と前線に赴くわけにもいかないし)


 星奈が自分の中で納得を完結させたタイミングで、イザベラが立ち上がり、小さな小箱を並べた。


「任務の功績を称え、国家およびギルドより『蒼穹の守護輪』を授与します」


 配られたのは、美しい蒼石が埋め込まれた銀の指輪だった。


 それは単なる勲章ではなく、実利を伴う「特権のキー」だ。


 国家が公的に身分と信用を保証し、エリュマントス内のあらゆる公的施設や、制限区域への立ち入り権限を付与する。


 指輪を受け取った星奈は、その感触を確かめる。

 上層の住民たちは既に生活の営みを取り戻し始めているという。

 特別報酬の額も、物理学の研究費に換算すればしばらくは遊んで暮らせるほどの桁数だった。


「救世主としてだけではなく、一人の市民としての信頼も勝ち取ったということだ。どうか、誇りに思って欲しい」


 ジークフリートの言葉を受けながら、星奈は指輪を嵌めた。  


 成功の証としての光を放つその銀の輪は、同時に、この世界のさらなる深淵へと自分を繋ぎ止める楔のようにも感じられた。


 続いて、アネラスとハバルトの前にも小箱が差し出された。


 二人の表情は対照的だった。


 ハバルトは厳かに、己の使命を再確認するように力強く指輪を握りしめ、アネラスは信じられないものを見るかのように、わずかに指先を震わせながらその銀の輪を手に取った。


 騎士団に身を置く者にとって、この指輪を授与されることは栄誉だ。

 それは単なる実力の証明ではなく、「この世界の守護者」として公権力に認められたことを意味する。


 メイに渡された指輪には、修復局システム・メンテナー特有の権限が付与されていた。

 国有施設や重要インフラへの優先的な立ち入り権。

 緊急時における資材や労働力の徴用権。

 さらには、必要と認められた際の高額な修繕費や希少材料費の事後申告による決済承認――いわば、技術者としての「ほぼ無限に近い裁量権」だ。


 一方で、シフォンの指輪には編纂局オーダー・レギュレーターの「秩序宣言権」や「真偽照会権」といった、司法と論理の整合を司る権利が刻まれていた。


 通常なら煩雑な上長への伺いが必要な手続きを一部省略し、現場での即時判断を可能にする強大な権限だ。


「……当然、これらの権利はエリュマントスの法の下にある。私的利用や悪用が認められれば、即座に没収。状況によっては厳しい罰則が下るわ。分かっているわね?」


 イザベラの釘を刺すような言葉に、ハバルトたちは背筋を伸ばして応じる。


 感激に目を潤ませるメイ。

 喜びを噛み締めるアネラスとハバルト。

 対照的にシフォンは「仕事の手続きが減るのは助かるけれど、これ見よがしに指輪を光らせるのも野暮ねえ」と、あまり興味なさそうに肩をすくめていた。


 星奈には、これら全ての権限が「救世主」の特権として包括的に与えられた。

 彼女が騎士団所属でありながら部署の垣根を越えて活動できるのは、その解析能力が世界の全レイヤーに必要不可欠だからだ。


 その「特別扱い」に対し他の四人は不満を抱くどころか、当然だと言わんばかりの信頼の眼差しを向けている。


 だが、恩賞はそれだけでは終わらなかった。  

 ジークフリートが、さらに重厚な声で宣言する。


「今回の武勲に鑑み、諸君らの役職を一段階引き上げることを決定した」


 発表された新体制は、一同を驚愕させるに十分なものだった。


 星奈は『小隊長』から一気に、『上級騎士マスター』へ。


 アネラスは、長年の目標であった都市区画の司令官『守護聖将ガーディアン』へ。


 ハバルトに至っては、騎士団の参謀本部を担う『執行官エグゼクター』への異例のスピード昇進だ。

 執行官には厳しい昇格条件があるが、今回彼が救世主を「片腕一本で守り抜いた」という事実は、それら全ての条件を上書きするほどに重かった。


 メイは『技師長チーフ』へ。


 シフォンもまた『管区長エリア・マネージャー』へと、その肩書きを塗り替えた。


「やったぁ……お給料、跳ね上がるわよね?」


 アネラスが思わずこぼし、ハッとして顔を赤くする。

 シフォンは「やれやれ、管区長なんて責任ばかり重くて、寝る時間が減りそうだわ」とポツリとぼやいた。


 星奈の胸の中にあったモヤモヤは、依然として消えたわけではない。  


 数百年前の記憶。

 日本語のノイズ。

 神様とやらの意図。


 けれど、目の前で自分のことのように喜んでくれる仲間たちや、自分を「信頼に足る個体」として受け入れてくれたこの街の熱量を感じるたび、彼女の中の何かが熱く疼くのを感じた。


(……必要とされる、なんて。初めてかもしれない)


 たった二十年の人生、理屈と数式だけで孤独を埋めてきた。

 けれど、自分という存在が誰かの命を繋ぎ、誰かの日常を守りこうして心から歓迎されている。


 その事実は、どんな論理的な正解よりも、今の星奈には価値があるように思えた。


「総理…早速、権利を行使してもいいでしょうか?」


 不意に、メイが真っ直ぐな瞳でバルタザールを見上げた。


「ハバルトさんの、失われた左腕……最高の義手を、私の責任で作らせてほしい。今回の報酬と権利、全部注ぎ込んでいいから」


 一瞬の静寂の後、一同の顔に温かな笑みが広がった。バルタザールもまた、表情を少しだけ緩め


「修復局の総理として、一人の職人として。そのプロジェクトは全面的にバックアップしよう。予算の心配はするな」


 と力強く請け負った。


 その光景を、星奈は静かに見つめていた。

 たとえ自分の転生も、この戦いも、あの上層のバグさえも――全てが「神」という名の設計者が描いた筋書き通りだったとしても。


(……構わないわ)


 星奈は心の中で、自分自身に強く言い聞かせた。


 この景色が好きだ。


 自分を救世主ではなく「戦友」として見てくれる、不器用で真っ直ぐなこの人たちが今じゃ大切で仕方ない。


 私は、如月星奈であり、ステラ・エーデルワイスだ。


(受け入れてくれたこの世界のために、やるべきことをやろう。生きていこう)


 星奈は腹を括った。

 受動的な観測者でいるのは、もう終わりだ。  

 こ

 の美しきエリュマントスの隅々までを、その記述の深淵までを、自分の『眼』で知り尽くしてやる。


 この世界を、文字通り「解析ハック」して、自分たちの手で未来を記述し直すために。みんなのために。


 星奈の指で、蒼石の指輪が静かに、しかし決意を秘めた冷たい輝きを放っていた。



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