LOG_0011:小隊
中央シャフトでの激闘から1週間。
星奈は、ギルド本部の修練場で独り、自身の「変化」を確認していた。
木剣を振り抜くと、空気が鋭い音を立てて爆ぜる。ギルドでの歴史や社会。
そして戦闘論といった座学に、何度か獣退治の任務も順調に重ねてきた。
初日の、肉体に振り回されていたぎこちなさはもうない。
ふと、視界の端で点滅する詳細ステータスを、星奈は何気なく展開した。
【個体名:ステラ(如月星奈)】 【Level:15】
「……15?」
星奈はその数字に、思わず動きを止めた。
あれだけの規模の「バグ」を消去し、カシムと共に死線を越えた。身体能力の向上は確かに感じている。けれど、表示された数値は、副団長カシムの「75」には遠く及ばず、あのアネラスの「34」の半分にも満たない。
(「救世主」なんて呼ばれて、システムを直接デバッグできる権限を持っていても……この世界の物理的な階梯としては、まだ新米騎士以下ってわけね)
万能感に溺れるほど彼女は情緒的ではない。
むしろ、その「15」という数字が、彼女に心地よい緊張感を与えた。まだ伸び代がある。
この世界の法則を、もっと深く身体に馴染ませる余地があるのだ。
「素晴らしいキレですね、ステラ様。もはやベテランの騎士にも引けを取りません」 修練場の隅で、ノアが感心したように拍手を送っていた。
「……ねえ、ノアくん。あの日、ノイズにまみれていた女神の彫像。さっき見てきたけど、完全に元通りになっていたわ」 星奈は訓練を中断し、拭いきれない違和感を口にした。
今朝、広場を通った際、彼女はあえてあの彫像に触れてみたのだ。指先に伝わったのは、冷たく、ザラりとした石の確かな質感。軽く叩けば硬質な音が響き、細かな亀裂一つまで「石であること」を証明していた。
「修復された……というより、最初から壊れていなかったみたいに完璧だった。あれは何だったの?」
「エリュマントスは常に神の恩恵によって最適化されていますから。《《一時的な乱れ》》があったとしても、すぐに『あるべき姿』へ戻るのです」
(最適化、か。まるで破損したファイルをバックアップから復元するように……オブジェクト程度なら…まあ、あり得る話よね)
星奈は思考を一度停止させた。深追いすれば、またあの「日本語のログ」という奈落に引きずり込まれる。今はまず、このレベル15という「現在地」から、一歩ずつ進むしかない。
ギルド「聖典の守護者」のロビーに降りると、そこは活気に溢れていた。
掲示板を囲む騎士たちの会話から、ギルドの仕組みが改めて浮かび上がる。ここは「獣」を狩るだけの場所ではない。都市の「恒常性」を維持する多機能組織。ある者は下層の配管修理の護衛に、ある者は中層での紛失物捜索や住民同士の紛争解決に。彼らは、この巨大な自律型閉鎖都市エリュマントスを円滑に回すための、警察であり、消防であり、探偵でもあるのだ。彼らはそうして自らの「生活」を作っている。
そんな喧騒を割って、巨躯のカシムが歩み寄ってきた。その表情は、かつての客人を迎える柔和なものではなく、一軍を預かる副団長としての厳格な色を帯びていた。
「ステラ殿、折り入って頼みがある」
カシムは一枚の羊皮紙を広げ、星奈を真っ直ぐに見据えた。
「中層の第三居住区付近に、小規模な『獣』の群れが出現した。通常の騎士団でも対処可能だが……私は今回、君にこの件の『指揮』を執ってもらいたいと考えている。五名の小隊を率いてな」
「私が……指揮を? まだレベル15の私が、ですか?」
ステラにしか見えない数値を口にした彼女に、カシムは微かに目を細め、重厚な声で応えた。
彼女は一瞬しまったと感じた。
この数値は自分の能力でしか見えないものであることを思い出した。
「そのレベルという数値は分からないが。階梯が、そのまま戦の理を決めるわけではない。私は先のシャフトでの戦いで、君の『眼』がもたらす情報の価値を嫌というほど思い知らされた。君が戦況を俯瞰し、最適解を示す。それは我ら百人の精鋭が力任せに突撃するよりも、遥かに多くの命を救う力だ」
カシムは星奈の肩に大きな手を置いた。
「救世主としての力ではなく、君という個人の『才』を、私は部下たちの命を預ける盾にしたいのだ。……もちろん、独りとは言わん」
カシムが背後を指差すと、そこには腕を組んだアネラスが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「副官としてアネラスをつける。実務の補佐は彼女がやるだろう。どうだ、ステラ殿。一人の戦士として、我らに知恵を貸してはくれんか」
アネラスが挑発するように眉を上げる。
「新米小隊長様のお守り役なんて、柄じゃないんだけどね。まあ、あんたの理屈っぽい戦い方が率いる立場になった時。どこまで通用するか、見極めてあげるわよ」
星奈は自身の右手を握りしめた。独りで計算機を叩いていた頃とは違う、他者の命と人生を背負うという「変数」。それは物理学の難問よりも重く、けれど、今の星奈にとっては不思議と忌避すべきものではなかった。 「……わかったわ。やってみる」
カシムはその返事を受け取ると、ギルドの奥へ消えていく。
託された4名の騎士らと、アネラスはよし。と一声つくと早速向かおうと動き出す。
「待って。まずは詳細な作戦を立てるべきよ」
カシムの提案を受け、星奈は即座に思考のギアを切り替えた。
「敵の総数は? 居住区の構造と、住民の避難経路は確保されているの? それから、小隊員の装備と熟練度の統計データが必要だわ。無策で突っ込むのは、未知の変数だらけの数式を解くようなものよ。あまりに非効率だわ」
理系女子としての本能が、完璧なシミュレーションを求めていた。だが、その言葉にアネラスが苦笑を漏らし、星奈の背中を軽く叩く。
「あんたのその思考回路、嫌いじゃないけどね。でも戦場じゃ、計算してる間に手遅れになることもあるのよ。既に『獣』は出てる。今は一秒でも早く現場に向かうのが先決。作戦なんてのは、道中で走りながら考えればいいのよ。そうでしょ?」
「……移動時間を演算に充てろ、ということね。合理的だわ」
星奈は納得し、すぐさまカシムから預けられた四人の騎士へと視線を向けた。
『神の眼』が起動し、青白いログが彼らの頭上に展開される。
カミィ(男): Level 14 / 前衛剣士。血気盛んだが、少し重心が前のめり。
ロナ(女): Level 12 / 槍兵。リーチの使い方は巧みだが、踏み込みが甘い。
ジーク(男): Level 13 / 重装歩兵。安定感はあるが、旋回速度に欠ける。
ミラ(女): Level 11 / 治癒術師。魔力出力は安定している。
(みんな、私と同じかそれ以下のレベル……。アネラスのような突出した数値はないけれど、平均値としては安定しているわね。私のレベル15というリソースを含め、どう最適配置するかね)
彼らにとって、星奈は「救世主」という高位の存在だ。その背中を見つめる瞳には、敬意と、そして自分たちの街を救ってほしいという切実な願いが宿っていた。
中層、第三居住区。
白亜の建物が整然と並ぶ、エリュマントスの中でも特に静謐なエリア。だが今、その一角は、空間が泥をぶちまけたような黒い「淀み」に侵食されていた。
「ひるむな! 救世主様がついておられるぞ!」 「ステラ様、どうか、ご指示を!」
星奈の背後に並んだ四人の若き騎士たちが、緊張で声を上ずらせながら武器を構える。彼らはまだ実戦経験の浅い、星奈に近い「新米」たち。
けれど彼らにとって、星奈の強さは数値ではない。あのシャフトの戦いで切り裂いた「圧倒的な存在感」こそが、彼女を救世主たらしめている。
(……この子たちには、私のレベルなんて関係ないのね。いや、知らないのか。それよりもただ『救世主』というラベルを信じている。なら、その期待値に応えるのが指揮官の義務よ)
星奈は静かに息を吐き、視界を「神の眼」による戦術モードへと切り替えた。
【対象:シャドウ・ウルフ。Level:8〜12。個体数:14】
【推奨滅殺順序:左前方個体から時計回り。予測される最短終了時間:180秒】
「第一小隊、展開。アネラス、あなたは遊軍として右翼の六体を抑えて。ジークは中央で盾を構え、カミィとロナは私の指定する座標に同時攻撃を叩き込んで。ミラは後方で魔力の供給ラインを維持。負傷者が出たら、私の合図から即座に介入して」
星奈の凛とした声が響く。
彼女は解析ログに示された「最適のタイミング」を読み取り、簡潔な言葉を騎士たちに投げた。
「ロナ、次が来るわ! 上段へ突いて! カミィ、そのまま着地を狙って足を薙いで!」
騎士たちは一瞬戸惑いながらも、その言葉に従って武器を振るう。すると、まるでパズルが噛み合うように、獣の牙が空を切り、騎士たちの刃が急所を的確に捉えた。
(重心の移動から予測される跳躍ベクトル……。今!)
「ジーク、盾を低く構えて! 反動を利用して押し返して!」
星奈の指示は、現場の騎士たちが迷わず動ける「答え」そのものだった。彼らにとって、星奈は未来を予見する預言者のように見えただろう。
最後の一体が、星奈の目の前で跳ねた。
星奈は最小限のステップでそれをかわすと、解析ログが示す「最も抵抗の少ない切断線」をなぞるように剣を一閃させた。手応えすらほとんどない。
影の獣は霧散した。
【任務完了。総戦闘時間:164秒。予測精度:誤差9%】
【Level Up:15 → 16】
視界に小さなポップアップが出る。
それと同時に、全身の細胞が活性化されるような、わずかな熱が体を駆け抜けた。
「救世主様! ありがとうございます!」
「あんなに鮮やかな戦い、初めて見ました……!」
ミラが安堵し、カミィたちが興奮気味に頭を下げる。それは現代日本でレポートの数字を追っていた時には決して得られなかった「生の感触」だった。
「……私は、指示を出しただけよ。戦ったのはあなたたちだわ」
少しぶっきらぼうに答える星奈。その横でアネラスがニヤリと笑った。
「何よ。今のあんた、ちょっとだけ『人間』らしい顔してたわよ?」
「……余計なお世話よ」
星奈は顔を背けたが、胸の奥に灯った小さな達成感までは隠せなかった。
レベル16。数字で見れば微々たる一歩。けれど、仲間と手を取り合い、誰かを守るために力を振るったその事実は、《《彼女の中の「如月星奈」を新しく書き換えていた》》。




