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LOG_0001:如月星奈

現在この作品は「カクヨム」様でも連載させて頂いております。

現在連載している話数まで、まとめて投稿させて頂きますのでご了承ください。


~理系女子は物理法則で、神の箱庭を再定義する~

 世界は数式でできている。


 国立大学の理学部で物理学を専攻する如月星奈きさらぎ せなにとって、それは幼い頃からの揺るぎない確信だった 。


 通学路の満員電車。

 人々が押し合い、不快な熱気がこもる空間。


 普通の女子大生なら眉をひそめるような状況も、彼女の目には「粘性を持つ流体の抵抗運動」として映る 。駅の喧騒は、意味を持たない周波数が重なり合った「ノイズの集積」だ 。


 感情を介さず、あらゆる事象を確率と法則に還元して処理する。そのドライな視点こそが、彼女の処世術だった。


「星奈って、本当に冷めてるよね」


 幼い頃から、何度その言葉を投げかけられただろうか。他人の喜びや悲しみに共鳴できない欠落。周囲との温度差に気づくたび、世界の法則を解き明かすことに没頭して孤独を塗りつぶしてきた 。  


 けれど、ふとした瞬間に。

 冷徹な観測者でしかない自分に、ひどく嫌気がさすこともある。


 その日の夜、運命の「バグ」は音もなく現れた。


 研究室の帰りに通りかかった、薄暗い路地裏。古い街路灯の明かりが届かないその場所で、星奈の鋭い観察眼が奇妙な違和感を捉えた。


 空間がまるで古い映画のフィルムが裂けたように、不自然に「剥がれて」いたのだ。


 普通の人間なら、本能的な恐怖で目を逸らしていただろう。


 しかし、彼女は「理系女子大生」だった。  

 未知の事象を目の当たりにしたとき、逃避よりも解析への好奇心が勝ってしまったのだ。


「……あれは、何?」


 星奈はその「裂け目」を真正面から見つめた。  

 そこにあったのは、この宇宙の物理法則を根底から無視した、異質な存在。それは後に彼女が知ることになる「見てはいけない神の断片」だった 。


 理解しようとした瞬間、脳内の数式が激しく火花を散らした。


 彼女を構成していた原子、重力、そして存在を定義していたこの世界の因果律。そのすべてが、一瞬にして書き換えられていく。


「あ――」


 声になる前の思考さえも、物理的な消滅の中に飲み込まれていった 。  

 如月星奈という観測者が、この宇宙から完全にデリートされた瞬間だった。


 如月星奈の人生は、常に「平均値」からの乖離を測定する日々だった。


 夕食のテーブルを囲む両親との会話。母が今日の出来事を話し、父がそれに相槌を打つ。その光景を、星奈は「家庭内におけるコミュニケーションの定型パターン」として分析していた。


「星奈、最近どうなの? 研究室、忙しいんでしょ」

「……普通。昨日の実験データに誤差が出たから、その補正をしてただけ」

「もう、またそんな難しい話。もっと女の子らしい楽しみはないの? 友達とパンケーキを食べに行くとか」

「糖分と脂質の塊を摂取するために並ぶ時間は、私のタイムスケジュールには組み込まれていないわ」


 母が困ったように笑い、父が苦笑しながら新聞に目を戻す。これが如月家の日常だった。


 星奈は、自分が両親の期待する「普通の娘」ではないことを理解していた。彼女にとっての幸せは、誰かと感情を分かち合うことではなく、この世界の裏側に流れる美しい数式を一人で観測することにある。


 他人に興味が持てない。共感という機能が、自分の脳には実装されていない。そんな疎外感を覚えるたび、彼女はスマートフォンに記録された物理定数のメモを見つめて自分を落ち着かせていた。身長が高かったので、今まで運動部への勧誘はあった。


 決して運動が「嫌い」ではなく、「苦手」でもなかったが、彼女にとって一切の興味が湧かなかった。高校は進学校で有名な「女子校」に通った。


 感情の乏しさは時として冷静さであり、クールに映る。故に声をかけられる回数は案の定少なかったが「憧れている」という感情的な言葉をもらった経験はある。


 ――けれど、そんな「冷めた自分」に嫌気がさす瞬間が全くなかったわけではない。


 賑わうキャンパスの片隅で、楽しげに笑い合うグループを見かけるとき。彼女の胸の奥で、数式では解けない「割り切れない寂しさ」がノイズのように小さく疼くことがあったのだ。


 その夜、彼女が路地裏の「裂け目」を直視し、この世界から消滅した瞬間、宇宙の自浄作用が働いた 。


 星奈が立っていたアスファルトの上。そこには一瞬の真空状態のあと、何事もなかったかのように「彼女」が立っていた。だが、それは如月星奈であって、如月星奈ではなかった。


「……あ、危ない。ぼーっとしてた」


 その少女は、ふわりと微笑んだ。外見は、先ほどまでそこにいた星奈と瓜二つだ。白く細い指先も、切れ長の瞳も、同じDNA情報を引き継いでいるように見える。


 しかし、その瞳には冷徹な観測者の光はなく、代わりに年相応の柔らかな熱が宿っていた。


 少女――「上書きされた星奈」は、ポケットからスマートフォンを取り出した。  


 それは星奈が愛用していたものと同じ機種だったが、中身は完全に「最適化」されていた 。


 ロックを解除する指が、迷いなくアイコンをタップする。


 星奈の端末にあった「物理定数のメモ」や「論文の下書き」はすべて消え去り、代わりに友人たちとの自撮り写真や、お気に入りのカフェのブックマーク、賑やかなSNSの通知で埋め尽くされている 。


『星奈、明日のパンケーキ楽しみにしてるね!』


 友人からのメッセージに、彼女は素早く、可愛らしいスタンプを添えて返信する。 かつての星奈が「時間の無駄」と切り捨てた行為を、この新しい人格は心から楽しんでいる。


 少女が自宅のドアを開けると、そこには「いつもの」両親がいた。


「ただいま、お母さん! お腹空いちゃった」

「おかえり、星奈。今日は大好きなハンバーグよ」

「やったあ! さすが、私の好みをわかってるね」


 食卓には、かつての星奈との間にあった「温度差」は微塵も存在しない。  


 両親の記憶もまた、瞬時に書き換えられていた 。彼らの思い出の中にいる娘は、幼い頃から明るく、よく笑い、周囲に溶け込む「理想的な如月星奈」として再構成されている。


 理系女子大生として物理学を専攻していた星奈の記録も、大学のデータベースから消滅した 。代わりに、そこには「教育学部で子供たちの心理を学ぶ如月星奈」の履修表が登録されている。


 世界は、彼女という「冷めた観測者」を拒絶し、より「心地よい」パズルのピースへと差し替えたのだ。  


 彼女の居場所はこの宇宙のどこにも残っていない 。


 彼女の部屋にある本棚から物理学の難解な専門書は消え、流行のファッション誌が整然と並んでいる。


 星奈が愛用していたマグカップも、彼女が綴った研究ノートも。


 彼女が存在した証拠、彼女が感じた孤独、彼女が解き明かそうとした世界の真理。 そのすべてが、物理法則を無視して世界から消し去られた 。


 あとに残されたのは、幸福で、凡庸で、完璧に補完された「偽物の日常」だけだった。


 その残酷な上書きが完了したとき。

 遥か遠く、異世界の聖都エリュマントスの空に、一筋の「新しい星」が流れた。


 それは、世界から弾き出された一人の少女が、神の見る夢へと墜落していく予兆だった 。記憶を保持したまま、自分が「もはやこの宇宙に存在しない」ことさえ知らないままに。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

元の世界から存在を「最適化」されてしまった星奈ですが、

次回からは異世界に降り立ち、持ち前の理系頭脳と物理法則で、

徐々にこの世界を「デバッグ」していくことになります。


もし「この先が気になる」や「なんで神は自らの世界を解析させるようなスキルを与えたんだろう?」と気になり思っていただけましたら、下のボタンから【ブックマーク】や【評価(★)】を入れていただけますと、執筆の大きなモチベーションになります!

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