Communis dies-平穏なる日常-
「ひかりー! 早く支度しないと学校に遅れるぞー!」
「分かってるよパパ! もうすぐ終わるからー!」
父親に急かされながら身支度を整える少女。いつもなら起こしてくれるはずの目覚ましが機能せず(というよりアラームで起きれず)、ひかりは急いでパジャマを脱ぎ捨て制服に着替えていた。
髪のセットも程々に、ひかりは急いで自室を飛び出し階段を駆け下りる。慌ただしく朝の廊下を渡ったひかりを、焼きたてのパンの芳醇な香りが迎え入れる。
添えられていたのは、軽く炙られたハムに乗っかった目玉焼き、そして小さく赤で彩るプチトマト。そしてその横には小さな弁当箱が一個置かれていた。それらは全て彼女の父親が用意したものだ。
「一応朝ごはんは作っておいたけど、食べる時間あるか?」
「ありがとう! パンだけもらってくね!」
「了解。じゃあ今朝はパパが朝食多く食べておくよ」
「ごめんね! じゃ、行ってきまーす!」
「車に気をつけるんだぞ。あと走って転ばないようにな」
「分かってるー!」
いつもの朝の会話を交わし、弁当箱を鞄に詰めたひかりは駆け足で玄関を飛び出した。口中のパンを何度か落としそうになるところを堪えて朝食を手早く済ませる。
喉に詰まりそうになるところを水で強引に押し流し、通い慣れた通学路を駆け抜けていく。
「おはようひかりちゃん! 今日も元気だねー」
「今日は遅刻しないようにねー!」
「おはようございます! いってきます!」
顔馴染みのご近所さんと挨拶を交わしながら朝の喧騒を抜けていく。朝のおしゃべりを繰り広げる主婦たちもひかりが通ると話を中断し、笑顔で彼女を送る。それに対し満面の笑みで返す光景が、この近辺での朝の日常風景となっていた。
朝の日課とも言えるこの一連の行事を終えたひかりは信号で一度立ち止まり、再び学校へと駆け出した。頭の中で宿題はちゃんとやったか、ちゃんとカバンの中に入れているか、今日は友達とどんなことをして話そう、等と一般の女子中学生が考えるようなことを急ぎながら必死で考えていた。
信号待ちを再び駆け出したひかりは素早く横切っていく店を視界に捉えていく。いつも食パンを買いに行くパン屋さん、通りかかるとたまに花をくれる花屋さん、アクセサリーを買いに行くとおまけしてくれる雑貨屋さん。全て自分にとって馴染みの深い場所で、大好きな人たちがいるところ。その皆が笑顔で送ってくれることが、ひかりは何より嬉しかった。ここに住む人たちが、ひかりにとって家族と呼べるような存在になっているのは言うまでもなかった。
数分ジョギングを終えたひかりはようやく自身が通う学校へと到着した。校門前で遅刻者をチェックする先生には軽い呆れ顔をされつつも、早く教室に向かうよう促され、ひかりは笑顔を見せながら「ごめんね、先生!」とだけ言い残し最後のスパートをかけた。
上履きに手早く履き替えたひかりは、その足で階段を駆け上がり自身の教室になんとか辿り着いた。そこでは担任が既に出欠を取っていたところだったが、ひかりはなんとかそこに滑り込めた形となった。担任も校門の先生と同様、少しため息を吐きながらも席に座るようひかりに指示した。
すみません、と一言謝りひかりは自分の席である後ろの窓際に着席する。窓が少し空いていて、そこから吹き抜ける心地よい風が一運動終えたひかりには大変嬉しかった。
汗が引くのを感じながら先生の話を聞いていると、横からとある生徒が話しかけてくる。
「おはよう、ひかりちゃん。今日はどうしたの? 随分急いで来たみたいだけど、時間ギリギリだったよ?」
「くれはちゃんおはよう。それがね、なぜだか今日は目覚ましが機能しなかったんだよ。いつもならちゃんと起きれるはずなのに」
彼女の名前は西条くれは。ひかりの一番の親友で、小学校からの付き合いがある。頭脳明晰で常に学年トップの成績を収める才女だ。あまり活発な方ではなく、おとなしい性格の彼女は常に元気で溢れるひかりと友情を深めたのは小学校時代、ひかりに遊びに誘われたのがきっかけだ。
「そうなんだ。珍しいこともあるものだね? ひかりちゃんは遅刻しそうになったことなんて一度もないのに」
「そうなんだよ。今日もしかして私の運勢悪いのかな?」
「それだけで決めつけるのはどうかと思うけれど…いい夢でも見てたんじゃない?」
「うーん、どうなんだろ。はっきりと憶えてないんだよね」
「まあ夢はそういうものだから、仕方ないんじゃない? でもいつも明るいひかりちゃんならきっといいことが起きるって、私は思うな」
「そうかなぁ? でもありがとう! なんか元気出てきた」
「ずっと元気だった気もするけど、でもひかりちゃんはそうやって明るい方がいいと思うし、笑う門には福来たる、なんて言うし」
「それもそうだね。よし! 今日も頑張るぞ!」
親友のくれはに励まされ、ひかりは沈みかけた気持ちを持ち直した。クラスのみんなに見られ恥ずかしい思いをしたことを忘れ今日を楽しく過ごすことだけを考えることにした。すると途端に気分は明るくなり、朝の失敗を気にしなくなっていた。
「そういえばひかりちゃん、ちゃんと宿題は持ってきたの? 遅刻しそうになって焦って忘れたってことはない?」
心配するくれはに、ひかりは笑顔で否定する。
「大丈夫だよ。ちゃんとカバンの中に…あれっ?」
鞄の中を弄るひかりは、そこに弁当箱と筆箱しか入っていないことに気がついた。思わず「あぁ…」という言葉にならない声が漏れ出す。
「もしかして、ひかりちゃん…」
「……うん。忘れちゃったっぽい」




