7.墓場と濃い霧
「死せる者の地に……雪乃の妹が?」
リビングに集まった雪乃たちはルルシェに攫われた雪凪の奪還に向け、話し合っていた。
そもそもカタクームが何なのか。雪乃はアイリスから簡単に説明を受けた。
「カタクームというのは簡単に言うと……"墓穴"のことを言うの」
「墓穴?」何故そんなところにルルシェが? と、雪乃は首をかしげた。
「多分、雪乃が想像しているよりも凄く大きな、大空洞なの。異世界の文化ではね、死んだ人はそこへ投げ込まれることで処理されるの」アイリスは淡々と言った。
雪乃は随分乱暴な話だ。と思った。死人を穴に投げ入れて処理するなど、雪乃の世界では考えられない供養の方法だった。
しかし雪乃は同時にこうも思う。穴に投げこんで処理することが酷いと思うなら、死人にとって優しい供養とはなんだ? 自分ではもはや当然と思っている火葬だって、アイリスたちの常識で考えれば、酷く惨い方法だと思われるかもしれない。
結局のところ、常識だとかモラルの正しさだとか、そういうことは生まれた世界、育った土地、教えられた道徳によっていくらでも違うということ。
それを考えれば、大穴に死体遺棄することだって、なんでもないように思えるようになっていた。
「でもそれってその、大丈夫なの? えっと……衛生的に……というか、なんというか」
雪乃は思った。死人は、当然ながらその身は腐っていく。どれほどの空洞かは知らないが、今まで死んだ人がそうして処理されているならば、そこには大量の死体が投げ込まれているはず。
清掃など恐らくされていないはず。そのあたりの管理がどのようになっているのか雪乃は気になっていた。
しかしアイリスは「衛生的にって?」と首を傾げる。
聞けば、この世界の人間は死ぬと身体がエーテル化し、空気中に霧散するのだそうだ。だから身が腐り果てることはない。肉体は消えてなくなるのだ。
ならば何故、消えてなくなる者をわざわざ空洞へ放棄するのか。そんな雪乃の疑問にはイリアが答えた。
「イリア達が普段使っているエーテルと、死人から発生するエーテルは厳密に言うと異なります。雪乃様も知っての通り、エーテルとはこの世界の人々にとって命とも言えるエネルギーです。あくまでも"命とも言える"ものであって"命ではない"のです」
「命のようなものであって、命そのものではない……」
イリアは雪乃の呟きにこくりと頷くと、話を続ける。
「人が死亡した際に発生するエーテルは細かく分類すると"純エーテル"と呼ばれるもので、エネルギーの密度がもの凄く濃いのです。膨大なエネルギーゆえに暴走や爆発の危険も高く、我々にはとうてい扱いきれないほどです。濃すぎる調味料は水で薄めてしまうように、濃すぎるエネルギーも薄めて使用しなければなりません。だから純エーテルを希釈するための設備が存在するのです」
「その純エーテルの希釈設備がカタクーム……つまり、墓場――ってことか。人が死ぬと生きている人たちを助けるエネルギーになるなんて……なんか不思議な感じかも。死んでも人の役に立てるなんて、なんだか素敵ね」雪乃のいた世界では考えられない仕組みだった。
「ええ、ですがそれは諸刃の剣でもあります。現にエーテル不足の地域では強制的に――」
「イリア、その話は今はいいでしょ。関係ないわ」
イリアの言葉を遮るように、アイリスが言った。
「あっ……はい、そう、ですね。とにかく、カタクームは純エーテルという危険なエネルギーで満ちた場所です。そのルルシェという方が待っているのが入り口ではなく穴の中だとすれば、長時間の滞在は人体に悪影響をもたらすかと思います」
雪乃のいた世界風に言い換えれば、酸素濃度が高すぎる場所へ赴くようなものだろうか。酸素は人体に必要なものだが、濃度が高すぎればそれは毒にもなるのだ。
「とはいえ、エーテルが身体にない雪乃にはあんまり関係なさそうだけど、ね。注意しなくちゃならないのは私達のほう」とアイリスが言った。
「そんな……。そんなの危険だよ。ルルシェだってそのデメリットがないから私をカタクームに誘い出したんだよ、きっと。身体に毒なら私一人で――」と雪乃が言いかけた時だった。
「あんた一人で行かせるほうがよっぽど危険だって。それが相手の狙いなら尚更ね。しかもそのルルシェって名乗った奴は"おもしろいものを見せる"って言ったんでしょ? その見せたいものってのが"カタクームにあるなにか"だとしたら、純エーテルで私達を陥れようとするのが目的じゃないかもしれないじゃない?」とアイリスが言った。「それはそうかもしれないけど……」と言う雪乃の表情は暗い。
「雪乃、私はあなたを守りたい。絶対に死なせない。それにそのルルシェって子が私の知っているあの子なのか……それを確かめるためにも。私はあなたと共に行く」毅然とした表情でアイリスが言った。
「雪乃様はイリアがいないと力を発揮できません。それにイリアだって、いつも安全なところで守られているわけにはいきません。イリアが、雪乃様をお守りします」
「二人とも……」出会ってからまだ何年も経っていない繋がりだったが、こんなにも心配されている――そう思うと、思わず目頭が熱くなった。
「おっとォ……俺を忘れてもらっちゃあ寂しいよなァ……?」と、突如リビングの扉が開いた。そこにいたのはルルリノとミンドラだった。
「ちょ……あ、あんたたちいつからそこに?」アイリスは剣に手を掛け、椅子から立ち上がって言った。まだミンドラへの警戒は薄れていないらしい。
ルルリノは半分寝ている様子で、寝ぼけ眼で雪乃たちを見ていた。恐らくミンドラに操られる形でここに連れてこられたのだろう。
「話は大体分かった。俺の身体なら死人のエーテルとやらも問題ねェはずだ。俺も行くぜ」とミンドラが言った。
「一体どういうつもり? きっと戦いは避けられない。危険を冒してまでついてくるなんて、見返りでもほしいわけ?」いぶかしむようにアイリスはミンドラを睨む。
「やれやれ……どォやらまだ人間に認めてもらうには時間がかかるらしいな。いいか、こいつは"無償の信頼"だ。見返りなんぞいらん。お嬢の信頼する娘――その妹が攫われたとなりゃあ、黙っておけるか」アイリスに疑われようとも、特に激昂することなくミンドラは言った。言葉に感じられるわずかな怒りは、信じてもらえていないということよりも、ルルリノの関係者が攫われてしまったというところに向けられている。
「でもあなた……ルリちゃんから離れられないんじゃ? ルリちゃんは連れて行けないよ……まだ身体の実体化は不完全なんでしょ?」と雪乃は以前ミンドラから聞いたことを思い出し、言った。
「お嬢の側を離れられないのはエーテルの供給が必要だからだ。これから行く場所はエーテルが濃いんだろ? 足りない分はそこから補給する」とミンドラは言ってのけた。
「どうやら話を聞き逃していたみたいね。純エーテルは扱いが難しいどころか、"今まで扱えた例がない"くらい濃いものなの。いくらあんたがエーテルの扱いが上手いからといって、純エーテルを身体に取り込むことなんてできるのかしら?」と挑発気味にアイリスが言った。しかしそんなアイリスもミンドラを認めている部分はあった。夢の世界で戦った時、すぐさま技を見よう見真似で実戦に取り込んできたところだ。戦う者――剣士として戦いに優れた能力を持つものを、アイリスは認める。それが魔物であろうとも。
「呆れるかもしれねェがよォ。"気がする"んだな。"出来る気が"なァ」ぽつりと、平然とミンドラが言った。
「やけに行き当たりばったりな……根拠があるんですか」ミンドラの突拍子もない言葉に、イリアはいぶかしむように見る。
「こればっかりは俺にもどうしてかわかんねェんだが……俺はその純エーテルを"喰える"。そんな気がするんだ」まるで根拠のない理由。ただ、そんな気がするだけ。だというのにミンドラはどこか自信があった。
「まあ、そこまで言うならあんたは戦力になるし……。どうする? 雪乃」戦闘能力は認めているアイリスは、うーんと唸り、雪乃に視線を向ける。
「私は仲間が多いほうが、心強いよ。ミンドラが出来そうっていうのなら、きっとそれは出来ることなんだと思う」理屈ではなく、仲間への信頼。そんな感情で雪乃は強く頷いた。
「では、カタクームへ急ぎましょう。雪凪様を、一刻もはやく迎えに」
「うん……行こう!」
雪乃達一行はルルリノを家に置き、この国の墓場――アルコスタのカタクームに向かったのだった――。




