前編
十八歳の誕生日。ベリー王国のラズ・グース第二王子は父親である国王に二人の姫と引き合わされ、どちらか一人を未来の妃に選ぶよう命じられた。
一人はフランボワーズ嬢。
金色の巻き毛と宝石のような緑色の瞳を持つ十八歳の公爵令嬢で、容姿はむろん、気品も教養も妃として申し分ない。
もう一人はジューン嬢。
辺境伯の娘で、栗色の髪に榛色の瞳が活き活きと輝く愛らしい十五歳の少女だ。
フランボワーズ嬢を王宮の庭園に咲く紅薔薇とするなら、ジューン嬢は森の奥深くに咲いた白い野花だろうか。
実はジューン嬢は幼い頃のラズ王子の初恋の相手で、彼女の名が妃候補の名簿に入った時、王子は飛びあがって喜んだと噂されている。
ラズ王子が昔、辺境伯領に滞在した時、ジューン嬢や友人達を連れて森へ遊びに行ったら突然、飛び出して来た獣に驚いて低い崖からすべり落ち、頭を打ってたんこぶを作ったのも、今となっては笑い話だ。
王宮の者達も漠然と、
「初恋の令嬢を選ぶのだろう」
と思っていた。
「ジューンは、またクランと一緒なのか」
第二王子の執務室の窓辺で。
庭園を何気なく見下ろしたラズは、石のベンチに並んで座る栗色の髪の少女と銀髪の少年を見つけて、顔をしかめた。声はあきらかに苦々しい。
「クランは宮廷白魔術師長の息子で、本人も上級白魔術師を目指しております。辺境伯領は自然豊かで薬草も豊富なことで知られています。クランとしては興味をそそられるのでしょう」
「魔法も白魔術も、質の良い薬草や香草が助けとなります。クランが興味を抱くのも当然かと」
「さよう。クランはラズ様に忠誠を誓っております。ジューン嬢も殿下をお慕いしておられます。ラズ様が不安になられる必要は微塵もございませぬ」
宰相の息子であるローガンがクランをかばえば、宮廷付き魔法使い長の息子であるブラックと、騎士団長の息子であるデューも賛同する。
三人共、幼い頃からラズに付き従ってきた学友で、クランを含めて、将来はラズの側近となることが定められている子息達だ。
その彼らがこうしてジューンとクランをかばい合うのも、ラズにとっては不信の一因だった。
ブラックやデュー自身も、ジューンと親しくしているという噂もある。
幼き日の初恋の少女、ジューンと再会して三ヶ月。
はじめこそ舞いあがっていたラズだが、いまとなってはその高揚感も醒めていた。
再会したジューンはたしかに記憶どおり、いや、記憶の中以上に愛らしい少女に成長していた。
よく笑い、表情がころころ変わって、活力に満ちて輝く榛色の瞳は「こぼれ落ちそうに大きな」という表現がぴったりだ。ラズの記憶に刻まれた『森の木漏れ日の妖精』そのままである。
他方、彼女には聞き流せない噂があった。
いわく、
「ラズ王子の学友を務める名門の子息達と妙に親しげだ」
というのである。
「田舎でのびのびとお育ちになったのでしょう。ですが、いつまでも田舎気分で異性と気安く交流されるのは…………ねえ?」
「王子妃候補ともなれば、王宮での作法もひととおりは身に付けておくべきですし」
令嬢や貴婦人達の間では、そんな会話が毎日のようにかわされている。
噂する者の大半が公爵令嬢派であることは考慮に入れなければならないが、それでも将来の王子妃が
「結婚前から複数の少年、青年に囲まれている」というのは外聞が悪い。
(出会った時から気安い少女だった。それが長所とも思っていた。王宮で見慣れた、気どった澄まし顔の女達とは違う、裏表のない信頼できる相手だ、と…………しかし…………)
公爵の言葉がラズの脳裏によみがえる。
『信頼できる人柄は重要です。しかし第二といえど一国の王子ともなれば、素直なだけではやっていけませぬ。嘘がつけず、他者の言葉も疑わぬ人柄は、政治においては、時に致命的な欠陥にもなりえましょう。無情なことですが、嘘を見破る鋭い猜疑心、時には仮面もかぶる能力こそ、王や王子、その妃達には求められるのです』
(ジューンはたしかに純粋な少女だ。だが、それは王族の妃にふさわしい資質だろうか?)
無邪気で屈託のない、まっすぐな笑顔。
けれどそのころころ変わる表情は、嘘をつくことにも不向きに思える――――
ラズが庭園を見下ろしながら考え込んでいると、侍従がノックして来客を告げる。
「公爵令嬢がおいでです。お会いになりますか」
ラズが「通せ」と命ずると、室内の空気が紅薔薇が咲いたように変化する。
「ご機嫌よう、ラズ殿下。今日は、王都で大人気の菓子店の新作ケーキが偶然、手に入りまして。殿下にも召し上がっていただきたくて、参りました」
上品な外出着姿のフランボワーズ嬢は、裾をつまんで優雅に腰をおとす。
すべての貴族令嬢が手本とすべきような完璧な作法と気品、そして美貌に、ラズも落ち着きをとり戻す。
「お気遣い感謝する、フランボワーズ嬢。ちょうど一息つきたいと思っていたところだ」
フランボワーズ嬢付きの侍女が、ラズ王子付きの侍従に菓子を収めた箱を手渡す。
フランボワーズ嬢が提案した。
「辺境伯令嬢もいらしていると聞きました。みなでお茶にするのはいかがですか?」
「それは…………」
ラズは躊躇した。
フランボワーズ嬢の提案は、同じ王太子妃候補同士、自分だけ抜け駆けするような形になってはいけない、という配慮からだろう。
けれどラズは、フランボワーズ嬢と二人きりで過ごすことを期待していた自分に気がつく。
「殿下?」
ローガンに声をかけられて我に返り、「そうだな」と慌てて賛同した。
「辺境伯令嬢を呼んで来てくれ。――――令嬢は、庭園でクランと一緒にいる」
侍従に指示する声の後半が、わずかに嫌味めいた響きを帯びるのをとめられない。
ラズは己が失望を感じているのを自覚しながら、フランボワーズ嬢に勧めた。
「用意が整うまでこちらで待っていてくれ、フランボワーズ嬢。そうだ、先日フランボワーズ嬢から勧められた本を読んだんだ」
「まあ。いかがでした?」
「面白かった。フランボワーズ嬢が言っていたとおりだ」
王太子専用の応接室に明るい笑い声が響く。
小一時間後、王宮の庭園を見渡す位置に建てられたガゼボで、第二王子と二人の婚約者候補だけが同席した、ささやかなお茶会が開かれた。
とはいえ周囲には給仕の召使いが並んでいるし、護衛や側近の学友達も少し離れて主人を見守っている。
ジューン嬢が礼を述べた。
「お誘いありがとうございます、フランボワーズ嬢。せっかくのお招きに手ぶらで押しかけて申し訳ありません」
「こちらが急に誘ったのですから気になさらないで。ケーキはチョコレートとチーズ味、どちらがお好きかしら?」
辺境伯令嬢が恐縮すれば、公爵令嬢がほほ笑みながら二種類の菓子を勧める。
並べられた焼き菓子と異国の菓子は、どちらも美味だった。
公爵令嬢の前置きどおり、贅沢に慣れた王宮育ちのラズでも初めて味わう甘味だった。
けれど。
(またか)
失望にちかい苦々しさを押し殺しながら、ラズは初恋の少女を見やる。
「とてもおいしいです、フランボワーズ嬢。本当に、頬が落ちてしまいそう」
嬉しそうに細められた榛色の瞳と屈託のない笑顔、心からの賞賛。
ジューンも菓子と紅茶を堪能し、それ自体はかまわないし心行くまで楽しんでほしいと、ラズも思う。
けれどラズはジューンの、たまに見せる無作法が目についてならなかった。
ケーキの端をフォークで割って刺す、ジューンの右手。
「レースの手袋が好きで、集めているのです」
と、いつも手袋をはめているその手の動きはぎこちなく、フォークはもちろん、スプーンを操る時もたどたどしくて、マナーを習いたての子供のように危なっかしい。時折、食器が皿に触れて甲高い音を立てることさえある。
(王都から離れた辺境伯領で暮らす彼女のため、王宮から家庭教師が派遣されて、もう数年が経つのに。レッスンをうけつづけて、まだこの程度か)
失望が深まっていくのを感じる。
それにジューンは字も巧くなかった。
この国では文章は横書きで、文字は左から右へ並べていくものだが、ペンは左手でにぎる彼女は書き方もたどたどしくて、字そのものもバランスがよくない。
口に出したことはないが、右手で書くよう直せばいいのに、とさえ思う。
特にフランボワーズ嬢の流れるように美しい筆跡を見たあとでは、その思いが強くなった。
ラズは出かかったため息を、ティーカップに口をつけることでごまかす。
紅茶を飲みながら、フランボワーズ嬢と話すジューンをじっ、と観察した。
明るい笑顔も朗らかな笑い声も、初めて恋したあの頃のまま。むしろ、あの頃より背が伸びて顔つきも大人っぽく変化し、女性的な魅力はぐっと増したと認められる。
けれど内面は。
(幼い頃は、気品や教養は二の次だった。それよりも、共に野原を駆けまわれる相手かどうかが重要だった。その点、活発なジューンはうってつけだった。けれどそれは、王子妃に必要な資質ではない――――)
ラズの視線はゆっくりと、ジューンと会話するフランボワーズ嬢へ移っていく。
話していても黙っていても、優雅で教養にあふれた高貴な公爵令嬢。
(まさに『紅薔薇』と謳われるにふさわしい――――)
「きゃっ!」と、唐突な悲鳴でラズの物思いは中断させられた。
「まあ、大変!」
フランボワーズ嬢も目をみはる。
ジューンが手をすべらせ、ティーカップを落としてしまったのだ。
幸い、白磁の高価なカップは無事だったが、ジューンがトレードマークのようにはめているレースの手袋がぐっしょり濡れて、紅茶の色に染まっている。
「誰か、すぐに医師を。ジューン嬢、手袋を脱いでくださいませ、火傷してしまいます」
「あ、いえ、大丈夫です」
「なにをおっしゃるの、熱いでしょう、早く外さないと!」
「いえ、こういう時はいそいで外すほうが危険です。手袋ごと水で冷やしてから外します。ラズ殿下、フランボワーズ嬢、今日はもう失礼します。おいしいお茶とケーキでした」
すらすら述べたジューンは、フランボワーズ嬢が止める間もなく席を立って一礼すると、ガゼボを出て行ってしまう。
急なことにラズも「あ、ああ、気をつけて」と、その背に投げかけるのでせいいっぱいだ。
(大丈夫だろうか)
さすがに不安になったが、優秀な中級白魔術師であるクランが、ラズに「失礼します」と断ってジューンのあとを追いかけるのを目にすると、ラズは熱が冷めた。
ベンチに座り直し、召使いがこぼれた茶を拭いてジューンのティーカップをさげるのを見つめながら、これまでうっすら感じていた思いが明確な確信へと凝縮するのを感じる。
(ジューンは野を駆ける風の精霊だった。その屈託のない快活さや自由さ、裏表のない人柄は、間違いなく幼い頃の私を惹きつけてやまなかった。けれど私はもう、あの頃と同じ子供ではない)
確信は決意へと成長する。
(野に咲く花は、野に在るからこそ魅力的なのだ。いたずらに摘んでも、枯れてしまうだろう。窮屈な王宮は自由闊達なジューンにふさわしくない。風の精霊は精霊らしく、野に放っておくべきだ――――)
「殿下? どうかなさいました?」
上品な公爵令嬢の優雅な呼びかけに、ラズは「いや」と首をふる。
「ジューン嬢は大丈夫でしょうか。クラン様が手当てしてくださるようですが、女性ですもの。万が一、傷が残りでもしたら…………」
「優しいのだな、フランボワーズ嬢は」
「え。まあ、そんな」
「クランが同行したなら、心配いらないだろう。彼は若いが、優秀な白魔術師だ。念のため、あとで宮廷付きの上級医師も派遣しておこう」
公爵令嬢に説明しながら、ラズは背後に立ってひかえていたローガンに目配せし、心得たローガンは侍従に王子殿下の指示を伝える。
ラズはそれを最後にすっぱりとジューンの話をやめ、フランボワーズ嬢との会話を楽しんだ。
数日後。
ラズ王子の婚約者が公爵令嬢に決定したことが、正式に発表される。
「殿下の健康と幸いを、辺境伯領からお祈りしております。フランボワーズ嬢は良き妃となられるでしょう。どうかお二人とも、末永くお幸せに」
ラズ王子の婚約について、最終決定が下された王宮の大会議室で。
国王夫妻と重臣一同、それからジューンの両親とフランボワーズ嬢の両親の前で、辺境伯令嬢ジューンは、ラズ王子とフランボワーズ嬢の婚約を笑顔で祝福した。
「ジューン。でもあなた、そんな」
なにか言おうとした母を、ジューンはとめる。
「お母様。これはラズ殿下のご意思です。フランボワーズ嬢は、きっとすばらしい王子妃になられます。これが最善なのです」
母親に優しく言い聞かせるジューンの姿に哀れを覚えたか、国王夫妻はそろって視線をそらし、父親の辺境伯は痛まし気に目を閉じる。
「ジューン嬢…………」
かける言葉に困っている様子のフランボワーズ嬢に、ジューンは明るく挨拶した。
「短い間でしたけれど、仲良くさせていただいて楽しかったです、フランボワーズ嬢。今度、我が辺境伯領で採れる薬草を贈らせていただきますね」
「光栄ですわ。辺境伯領で採れる薬草は、良質で貴重なものが多いことで有名ですもの」
競争相手だった少女達のやりとりに、ラズも「これが最後」と素直な心情を吐露する。
「辺境伯領で過ごした幼い日々、君は私の自由な風の精霊だった、ジューン。どうかこの先も、自由に野を吹き抜けていてほしい。窮屈な宮廷ではなく」
幼き日の初恋の少女が、あの頃のままの屈託ない笑顔を見せる。




