表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/62

瞿恭の機転と単騎の阿亮

「コノ先、敵影ナシ。コノ先、敵影ナシ」

 上空で金烏きんう一頻ひとしきしゃべっては、また何処どこかへ飛び去った。

 里を出た歩兵と弓兵の一団は、今や目指したずい県に辿たどり着こうとしていた。


此処ここまでは何事もなかったな」

 大斧を肩に掛けた瞿恭くきょうが、腹を揺らして闊歩かっぽしていた。

「問題はこの先だ。阿亮ありょうどのの見解では、襄陽じょうよう、もしくは夏口かこうと言っていたが、元緒げんしょさま、何かしらせはありませぬか?」

 文聘ぶんぺいが、肩に乗った元緒に尋ねた。


「…………」

 元緒は微動もせず、押し黙ったままだった。明らかに様子がおかしかった。

「……介象かいしょうが、やられた」

 元緒が口を開いたかと思えば、その内容に文聘と瞿恭も声を失った。

「虫の息のようじゃ……。これは、急がねばなるまい」

 そこへ、突如として姿を現したのは、一体の九尾狐きゅうびこだった。

「介象ハ倒レ、騎馬隊ハ夏口ヘ。介象ハ倒レ、騎馬隊ハ夏口ヘ」

 大人しく腰を下ろした九尾狐は、後ろ足で耳をくと、ふわりとした九つの尾を揺らしながら、また何処かへ走り去った。


「ほ、本当かよ?」

 ひげに覆われていてもなお、瞿恭の顔が引きっていることがわかった。

「し、信じられん。あの、介象さまが……?」

 常に冷静な文聘も、眼を泳がせた。

「心配はいらぬ。奴はってでも我らと合流するであろう。得てして、向かう先は夏口となったが、此処ここからだと先行した騎馬隊に追い着けそうもないのう」

 途端に――。

 瞿恭の引き攣った顔が、自信に満ち溢れたそれに転じた。

「俺に良い考えがある」

 瞿恭はそう言うと、子分を従え溳水おうすいほとりまで向かった。

 しばらくすると、遠くから喧騒けんそうのようなものが聞こえてきたが、わずかの間を置いて静かになった。


 間もなく、鼻血を流した瞿恭が覚束おぼつかない足取りで戻ってきた。

「こっちだ」

 瞿恭にいざなわれ、肩に元緒を乗せた文聘を初め、里の義勇兵たちがずと後に続いた。

「これだけあれば、誰も欠けることなく溳水を下って、夏口まで一直線だ」

 見れば、溳水には豪奢ごうしゃに彩られたてい露橈ろしょう走舸そうか先登せんとうが見渡す限りの水面みなもに浮いている。

 岸辺には、文様のような刺繍を施した戦袍せんぽうの賊徒と、瞿恭の子分たちが倒れていた。

錦帆賊きんぱんぞくと言えば、神出鬼没の川賊せんぞくで有名だからな。溳水の畔の何処かに船を隠していると思っていた。意外にも眼と鼻の先だったな」

 瞿恭は言い終えるや否や、白目をいて仰向けに倒れた。

「良くやった、瞿恭」

い」

 瞿恭の機転により、文聘率いる里の兵団は、船という速力を手に入れた。

 これにより、一足飛びに夏口へ向かった。


 水軍基地を擁す江夏こうか郡の玄関、夏口――。

 今、まさに出陣しようとしていたのは、騎馬五千、歩兵三千、弓兵二千の軍である。

 それを束ねる将は、頭を朱色の布で鉢巻き、魚鱗甲ぎょりんこうまとった蘇飛そひだった。

 その両翼には、截頭せっとう薙刀なぎなたを持った鄧龍とうりゅうと、長く太い豪槍を携えた陳就ちんしゅうを配していた。

 三人は、一万の軍を率いるようにして駒を並べている。

「遂に、この日が来てしまいましたね」

 顔色が雲っている蘇飛を気に掛けた鄧龍が、誰にともなく発した。

「仕方あるまい。これも劉表りゅうひょうさまの指示だ。それにしても、この兵の数は大仰ではないか?」

 陳就は馬上で振り返りながら、あきれた調子で返答した。

「確かに、気の進まぬ戦だ」

 一度、嘆息した蘇飛が、何気なく前方に眼をると、小さな砂塵さじんが見えた気がした。

「あれは、何だ?」

 蘇飛の声に、鄧龍と陳就も前方に眼をらした。

 小さな砂塵が次第に大きくなると、一騎の駒が駈けてくるようだった。近付いてくる騎馬は速度を緩め、ゆっくりと蘇飛の前方まで進んで止まった。


 阿亮ありょうだった。

 その粗末な白い道袍どうほうが砂塵にまみれている。

 阿亮は、さっと下馬して蘇飛に拝跪はいきすると告げた。

「江夏太守、黄祖こうそさまの将どのとお見受け致す。私は、黄嘴こうし豎子じゅし、阿亮と申す者。このいくさ、仕組まれておりまする。その絡繰からくりを告げに汝南じょなんより馳せ参じた次第。こいねがわくは、どうか、黄祖さまにお目通りを」

「仕組まれた戦――?」

 蘇飛はまゆひそめたが、眼前の阿亮から漂う清雅の気色が、蘇飛の眼をいた。虚偽を語るような若者には見えなかった。

 蘇飛は、進軍停止の号令を掛けると下馬し、地に膝を突いている阿亮へと近付いた。

「お立ちなさい」

 すっくと立った阿亮の眼は、澄んでいた。まれに見る立派な面貌めんぼうの持ち主だった。

「面白そうな話が聞けそうだ。水軍の出立には、まだ時がある。付いて来い、阿亮。黄祖さまに会わせよう」

 川面を埋め尽くすように、出陣を控えた船団が見えている。

 蘇飛は鄧龍と陳就に指示を出すと、阿亮を引き連れ、漢水かんすいと溳水が合流した下流域の水軍基地へと歩を進めた。

 楼船ろうせんかざした軍旗がはためいている。

 風は、西から東へ吹いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ