義勇軍の結成と劉表の決断
広場には既に里の者が集っていた。
姚光の探索や捕縛した賊徒たちの処遇について、鄷玖からの指示があるであろうと、里の者たちは自ら集合していた。
里の者たちの前へ鄷玖が姿を現した。
その後方に葛玄が続いた。
介象たちは、それを見守るような位置から眺めていた。
「姚光が攫われたのは知っているね? 姚光を救いに行こうと思うのだが、どうやら大きな戦になりそうだ」
里の者たちは鄷玖の言葉を、固唾を飲んで聞いている。
「捕らえた賊徒たちとも共闘しなければ、姚光を取り返せそうにない。死人も出るだろう。それでも、姚光を奪還するためならば死地をも厭わない者を募りたい」
鄷玖は、葛玄に立ち位置を譲った。
「姚光が攫われた。攫ったのは、方士の左慈という男だ。鄷玖さまも、そこにいる介象どのもそうだが、方士は奇妙な術を使う」
「…………」
「しかし、左慈は方術を悪用する方士。今、その左慈は、方術を使って大軍勢を作り、荊州に内乱を起そうとしている。そして、姚光も悪事に利用されるかもしれん」
里の者たちが騒めき立った。
「姚光は、俺の本当の娘ではない……」
騒めきが止んだ。
「本当の娘ではないが、辛い時も、苦しい時も、これまで本当の娘のように育ててきた。そして、この里に辿り着いた」
「…………」
「その娘がいなくなった。このままでは、俺は人でなくなるだろう。姚光を救いに行きたい。命を懸けねばならぬが、皆、共に姚光を救いに行ってくれぬか?」
「…………」
里には静寂が訪れたようだった。
命を懸け死地に赴く者など、いる筈がないという思いが、葛玄の胸中に湧いた時だった。
「応……」
誰かが言った。
「応!」
また、誰かが言った。
葛玄に応じる者たちの声は、次第に大きくなっていた。
「何を改まってんだ、葛玄⁉ 里の者が攫われてんだぞ。皆で救いに行くんだろうが――‼」
「姚光を救うためだ。死地なんて怖がってる場合か――⁉」
「葛玄先生、必ずや姚光を救出しましょう‼」
「姚ちゃんがいない里になると退屈だからね。私の命と引き換えてでも連れ戻すわ‼」
葛玄は、眼前の光景に驚きを隠せなかった。
老若男女問わず、全員が姚光奪還の死地へと向かう覚悟を持っていた。
葛玄は渋面となると、意を決したように冴えた双眼を開き、大音声の檄を飛ばした。
「皆で姚光を迎えに行こう……。行こう、荊州へ――‼」
「応――‼」
皆、拳を天に突き上げていた。
胡綜も声高に応じると、拳を天に突き上げた。
「介象よ、我らは既に左慈の術中に嵌っておるぞ」
元緒が介象の肩で囁いた。
「ああ。それでもだ。劉表が曹操に兵を向ける気があるのであれば、既に向けている。荊州の内乱、その戦禍を最小限に食い止めるしか、我らに残された道はない」
「劉表に動く気がない時点で、左慈の、否、曹操の戦略勝ちということか」
「そういうことだな。韓信の生まれ変わりが、愈々、冀州も獲ることになろう」
里は、意気盛んとなった。
夕陽が里を橙色に照らしていた。
その頃、荊州では――。
襄陽城の一室で、劉表と四賢による評議が行われていた。
「江夏衆が消えた今、目障りは錦帆賊。これを掃討せねば、荊州に平穏は訪れませぬ」
語気を強めたのは、いつもの順で座していた四賢の筆頭、劉先だった。
上座に端座した劉表は、横並びで対面している四賢の意見を瞑目したまま聞いている。
「左様。これ以上、錦帆賊をのさばらせておく訳には参りませぬ。劉表さま、どうか錦帆賊討伐の号令を」
普段は温厚な傅巽も、眼を血走らせて劉表に嘆願した。
「劉先どのと傅巽どのはそう申しておりますが、錦帆賊の頭領である甘寧は、話の通じる男とも聞いております。加えて、錦帆賊の標的は、常に不正を働いた者と決まっておりまする」
そう言った蒯越を、劉先と傅巽は横目に睨んだ。
それにも構わず、蒯越は続けた。
「民草の中には、錦帆を擁護する者もおる中、公然に錦帆討伐の号令を下しては、反って劉表さまの評判を落とすことにもなりかねませぬ」
「ぐっ……!」
劉先と傅巽が臍を噛むと、劉表は閉じていた眼を開き、韓嵩に視線を向けた。
「韓嵩どのはどう思われる? 錦帆賊の討伐に賛成か、反対か?」
劉先と傅巽に挟まれる位置に座していた韓嵩は、突き刺さるほどの二人の視線によって、答えに窮した様子だった。
「あ、ええと……確かに、錦帆賊の掃討により、荊州は一段と安息の地となり得ましょうが……まだ、交渉の余地はあるように思われ……」
「生温い‼」
拳で床を叩いては、劉表に迫り寄ったのは劉先だった。
「このまま錦帆賊を放っておいては、荊州の発展はありませぬぞ、劉表さま!」
「如何にも! この乱世を乗り切るには、早期に獅子身中の虫を取り除かなくては!」
凄まじい剣幕の傅巽が、劉先の肩を持つように付言した。
劉表は一度、嘆息してみせた。
「その錦帆賊は今、何処におる?」
「此処より南の漢津との情報を得ております」
整然とした調子で劉表に返したのは、蒯越だった。
劉表は、再び眼を閉じた。
横一列に並んだ荊州の名士である四賢が、固唾を飲んで劉表の裁可を待った。
劉表はすっと眼を開くと、低い声音で言った。
「直ちに、錦帆賊討伐の軍令を出そう」
「流石は劉表さま、御英断でございます」
「これで荊州は、更に安泰となりましょう」
平身低頭した劉先と傅巽は、しめしめとばかりに北叟笑んだ。