いざ、霊山へ
原野に砂埃を巻き上げ、ふわりと二本脚で着地した龍鵬に、誰もが眼を剥き言葉を失った。
「これより、鄷玖を救出に向かう! 胡綜、葛玄、姚光、龍鵬の背に乗れ」
介象が下知すると、三人は弾かれたように龍鵬へ馳せ寄った。これに、里の若者が十人ほど付き従った。
「残りの者は、捕らえた賊徒を見張り、新たな襲撃に備えよ」
介象は懐中から人型の小さな白紙を四枚取り出し、ふっと一息吹きかけた。
すると、その小さな白紙の一枚は、見る見るうちに龍頭人身の妖し、計蒙に変化した。漆黒の襤褸を纏い、柄の赤い剣を背負っている。
そして、残りの三枚は、巫女の姿をした機転の利く妖し、巫支祁に変化した。
「やっぱり、本物の介象か! 巫支祁とは、また懐かしいな」
捕縛されていた瞿恭は、度肝を抜かれると眼を細めた。
普段、鄷玖の方術を見慣れている里の者でさえ、驚きの表情を隠せないでいた。
「五花、暫し離れる。それまで皆を守れ」
介象は下馬すると、わかったとでも言うように五花が首を縦に振った。
介象は、龍のような長い首をうねる龍鵬に向かって駈けた。
背に胡綜たちを乗せた龍鵬は、巨大な羽を広げ、既に羽ばたこうとしている。
「介象、急いで!」
姚光の声に合わせたように、介象は天高く飛び跳ねた。宙で身を翻して龍鵬の背に着地した介象は、すっくと立ち上がると、共に鄷玖の許へと向かう一同を見渡した。
総勢十五人だった。
どれも瞳は冴え、凛々しい顔立ちで介象の言葉を待っているようだった。
「気を抜くな。霊山は既に妖しの巣窟となっている」
こくりと頷いた一行は、己の得物を強く握り直した。
介象たちを乗せた龍鵬は、瞬く間に天空まで達すると、鄷玖が籠もる霊山に向かって飛翔した。
「怪鳥の背とは言え、意外と足場はしっかりしてるんだね」
この期に及んで、暢気な姚光に介象は返した。
「長く西の霊山に籠もっていた怪鳥だ。苔に足を取られるな」
霊山がぐんぐん近づいてくるようだった。
元緒は介象の肩から胡綜の頭上へ飛び移っていた。
龍鵬が長い首を大きく振っている。
「お出ましのようだ」
介象は眉間尺を抜き放つと、龍鵬の背に乗っている者たちは得物を構えた。
前方から飛来していた。姿は梟のようだが、頭部は人面で一足、翼を広げれば十尺ほどの妖し、鐸飛の大群だった。
「薄気味悪い鳥だ」
葛玄は一度、槍を縦旋回させて腰を落とした。
大群の鐸飛が、龍鵬の首に噛み付いている。
龍鵬も反撃するように長い首を振っては、鋭い牙で鐸飛を噛み砕いていた。
鐸飛は容赦なく、龍鵬の背に乗っている者たちへもその脅威を向けた。
介象が一振りごとに鐸飛の首を斬り落としている。
斬り落とされた鐸飛は、黒い灰になって消えていた。
葛玄が巧みな槍術で次々と鐸飛を屠っている。
「気持ち悪いんだよ!」
姚光は屈盧の矛を繰り、流麗な矛術で襲撃してくる鐸飛を斬り裂いた。
胡綜も龍鵬の後方から攻撃を仕掛ける鐸飛の群れを、次々と射落としている。
「ぎゃっ!」
疲れの見え始めた里の若者が、鐸飛に首を噛まれた。
鐸飛たちは、次々とその若者に噛み付くと、龍鵬から引きずり下ろすように虚空へ連れ去った。まるで大きな餌にまとわり付くように、幾体もの鐸飛が龍鵬より離れ落ちた若者に噛み付いていた。
「仁――‼」
虚空の若者を助けに行こうとした姚光を、介象は制した。
「もう手遅れだ。ああなりたくなければ、必死で鐸飛どもを斬りまくれ!」
涙を浮かべ、ぐっと堪えたような姚光は、弾かれたように身を翻すと、眼にも留まらぬ斬撃を繰り出して鐸飛たちを黒い灰にしていた。
介象と葛玄も、龍鵬の背で飛び回っては、次々と鐸飛たちへ必殺の一閃を放っている。
それでも鐸飛の大群は勢いが衰えなかった。
ひとり、またひとりと、体力を奪われた里の若者が鐸飛の餌食となっていた。
すると――。
前方より飛翔してくるものがあった。全身が薄墨色の羽毛で覆われている。
妖しの鳥人、羽民だった。
羽民は、鐸飛を避けるようして介象の許まで飛来すると、聞きなれない言葉で介象に何かを告げていた。刹那、羽民は再び飛び去ると、鐸飛の群れの中へ稲妻のような速さで突入し、己が羽で鐸飛の首を叩き落としていた。
「胡綜!」
介象の声に、後方にいる胡綜が振り向いた。
「龍鵬の首に噛み付いている鐸飛を仕留めろ!」
胡綜は、足早に龍鵬の背の前方まで身を移すと、矢を放つごとに鐸飛を射抜いた。
速度が落ちてきた羽民は、薄墨色の羽毛が血の色に染まっていた。
一体、二体と、羽民に噛み付く鐸飛の数が次第に増えると、失速した羽民は地に向け落下した。虚空で一枚の小さな人型の紙片に変わっていた。
霊山が近づいていた。
龍鵬は、山の中腹に植わる樹木すれすれまで高度を下げている。
人影のようなものが見えた。
長く伸びた白髪を白巾でひとつに束ね、純白の方衣を纏った老婆だった。
その老婆を庇うようにしている者は、粗末な白い道袍を纏い、黒髪は白の緇撮で結っていた。
二人を守るように周囲を威嚇していたのは、介象が放った妖し、孟極だった。
そして、薄汚れた白袍の大男が、戟を手に孤軍で猿のような妖しの大群に斬り向かっている。
「鄷玖さま――‼」
「阿亮‼ 聘さん‼」
龍鵬の背より叫んだのは、葛玄と姚光だった。
突如の巨大な黒い影に、霊山の中腹にいた者たちは、動きを止め上空を見上げた。
「飛び降りるぞ」
介象は、龍鵬の背から地へ飛び降りた。それに葛玄と姚光、里の若者が二人続いた。
「え、ええ⁉ 此処から飛ぶの――⁉」
「お前が最後じゃぞ。それとも龍鵬と西の霊山へ帰り、一緒に長い眠りに就くかえ?」
意を決した胡綜は、勢い良く龍鵬の背から跳ね降りた。
片膝を付くように、逸早く着地した介象は、周囲に睨みを利かせた。
猾戒の群れが、挙って息を飲んでいる。
刹那――。
介象は旋風の勢いで身を翻しては、それに合わせたように眉間尺の閃光が走った。
幾つもの猾戒の首が宙に舞うと、その姿はどれも黒い灰になって消えた。
地に降り立った葛玄と里の若者は、鄷玖と阿亮の許へ駈け寄ると、その周囲の猾戒に無数の刃を放ち、屠った。
文聘の許に馳せ寄った姚光も、その背後を守るように、近づく猾戒に一閃を加えていた。
「……この者たちは?」
息を切らせた文聘が、介象と胡綜へ順番に眼を向けると、姚光に質した。
姚光は、口許に笑みを浮かせた。
「助っ人だよ。強力なね」
文聘は、安堵の表情を浮かべた。
「元緒さま! あれを!」
驚いたような胡綜が、鄷玖と阿亮の後方を指差した。
そこには、一本の剣が地に突き立っている。その剣の放つ霊気が、これほどの数の妖しを呼び寄せているようでもあった。
介象がぴたりと動きを止めていた。
臆したような猾戒は、後退り、木の上の裏に姿を隠している。
眼を閉じた介象は、左慈の気配を探った。
「胡綜、葛玄、姚光、そして、里の者……」
介象は眼を閉じたまま、眉間尺の切っ先を地に向けて仁王立った。
「……此処からは、己が身を守ることだけに専心せよ」
「か、介象どの、何が起こるというのだ……?」
槍を構えた葛玄が、後方にいる介象へ、ちらと振り返るようにして言った。
突如、眼を剥いたのは、悲壮な態度を示していた鄷玖だった。すると、その驚きの表情はすぐさま、過去を懐かしむようなそれに変わった。
「何と、介象さまか……。昔と変わっておらぬのですね」
鄷玖の言に、阿亮は疑念を抱いた。
「……来るぞ!」
かっと眼を見開いた介象が叫んだ。
姚光の前を、一羽の青い蝶がひらひらと舞っていた。