川賊の甘寧
ところが――。
鄧龍と張虎が対峙している奥から、陳生が駈け寄っていた。右腕を突き出し、備え付けた小型の弩で鄧龍を狙っている。
それに気付いたのは、介象だった。五花で疾駈しているが、届かない距離だった。
介象は懐中に手を伸ばすと、小さな紙片を掴んだ。
そのときだった。
タン――。
「――――⁉」
陳生の駒の頭部に一矢が突き立っていた。
その駒は前脚から崩れるように倒れると、馬上の陳生も地へ吹き飛ばされていた。
馬上の介象は、放たれた矢の弓主を眼で追った。
その視線のずっと先には、見覚えのある若者の姿があった。頭上には奇怪な亀の被り物を乗せている。
「まあまあじゃな」
「…………!」
元緒の言葉も耳に入らない体で、己の仕業に唖然として固まった胡綜だった。
鄧龍と対峙していた張虎も、陳生の異変を察した。
「チッ。こりゃあ、分が悪い。ええい、退け! 退くぞ!」
張虎は力任せに長槍を払って鄧龍の間隙を作ると、馬首を翻し退路に着いた。
「くっ!」
白面を地に擦り付け、血塗れの陳生も我先にと走った。
緑の軍、江夏衆は、蜘蛛の子を散らしたように荒野の戦場から離散した。
「追うな! 追撃は禁ずる!」
介象の背後で、蘇飛が声を放った。
戦場に残った蘇飛軍の被害は少数だったが、それでも死者十一人、負傷者三十五人を数えた。
それに対し、江夏衆の死者は、死骸を数えただけでも一六七に及んだ。負傷者はもっと多いことだろう。
そして、死骸の半数以上は、甘寧に屠られた者たちだった。
「快勝だったな」
上機嫌で甘寧が馬上の介象に歩み寄った。
「陳就と鄧龍もだらしねえなあ。張虎ごときに苦戦してんじゃねえよ」
甘寧の言を他所に、斬り傷だらけの陳就と鄧龍は、五花から蘇飛を担ぎ下ろした。矢傷があるはずの肩には、護符が貼られている。
五花から下馬して介象は言った。
「符水に浸しておらん護符だ。回復はせぬが、痛みを和らげ、治りを早くする効果はある」
「貴方の加勢がなければ、我が軍もこれでは済まなかった。感謝いたす、介象どの」
蘇飛が拱手すると、鄧龍と陳就もそれに倣った。
「おい、蘇飛。俺さまも加勢してやったんだぜ。俺にも感謝しろよ」
蘇飛は、甘寧を睨み付けた。
「……何故、お前が此処にいる、甘寧?」
「何故って、この辺は俺の縄張りだぜ。それを張虎と陳生が侵攻したって聞いたもんだから、奴らを追って来ただけだ」
「単騎で……?」
栗毛の駒を引きながら、胡綜は不可解な面持ちを甘寧に向けた。
「否。奴ら、のらりくらり遅えから、先行して来てみりゃあ、この有り様さ」
「……奴ら?」
胡綜が首を傾げた。
「ほれ、もうあそこにいるじゃねえか」
甘寧が顔を向けた方に、一同は挙って視線を遣った。
「――――⁉」
見れば、介象たちが登った小高い丘に、二十騎ほどの姿があった。
甘寧は、その二十騎に向かって大手を振った。
それを合図のように、丘の二十騎が駈け下りて来る。その姿は、どれも文様のような刺繍を施した戦袍をまとい、豪奢な出で立ちである。
シャンシャン――。
近付くごとに、各々が腰に結わえた鈴が、馬蹄の響きと共に賑やかな音色を奏でていた。
「お頭! 劉表軍と一戦交える気か?」
「やらねえよ。お前らが遅えから、暇を持て余してたんだよ」
「お頭がひとりで先走っただけだろ」
馬を止めた甘寧の部下たちは、どれも屈強な無頼漢の様相を呈していた。
呵々と大笑した甘寧は、己の駒を引き寄せると、騎乗して介象を見遣った。
「介象さん。俺はあんたを気に入った」
「…………」
鮮血に染まっている甘寧が、不敵に笑った。
「俺が淮水を渡らせてやるよ」
甘寧の言に、部下たちが挙って肩を落として嘆息した。
「余計な仕事を増やしてんじゃねえよ、お頭」
「またいつもの気紛れかよ」
一斉に漏れ出た不満に、甘寧は再び大笑すると、部下たちの群れに身を投じるように駒を進めた。
「このまま北へ進めばいい。淮水の畔に屯している俺たちが見えてくるはずだ」
言った甘寧は馬腹を蹴って駒を北へ走らせた。
シャンシャン――。
部下の豪奢な無頼漢たちも、鈴の音を鳴らして続いた。
「あ、あの人たちは、一体……?」
無頼の一団に慄いた胡綜は、誰にともなく尋ねた。
「奴らは川賊だ」
小さくなっていく馬群に視線を向け、薙刀の柄を杖のようにした鄧龍が応じた。
「川賊……?」
「ああ。甘寧を首領とする無頼の輩が集った川の賊。奴らの格好を見たろう。豪奢な出で立ちを好むため、錦帆賊と呼ばれている」
「なるほど」
介象は、微笑した。
「江夏衆とは違うのですか?」
胡綜に湧いた疑問には、豪槍の柄に縋った陳就が答えた。
「違うな。江夏衆は里や官舎に関わらず、強襲しては力ずくで略奪する。民草であろうと、逆らえば容赦なく斬り捨てるような奴ら」
「ああ。方や錦帆賊は、里や官舎も襲うが、それは不正を働いた者に狙いを絞っている。何より、遊侠気取りで政府に追われた役人や罪人を匿い、貧しい民草に銭をばら撒くが、縄張りで何か事が起これば、勝手に摘発して処罰までする」
物憂げな鄧龍が、陳就に続けて言った。
「おもしろいな」
再び微笑んだのは、介象だった。
肩に貼られた護符を抑えた蘇飛が、北方に冷めた視線を送った。
「江夏衆と錦帆賊、我らが荊州の悩みの種さ」
蘇飛に釣られたように、介象も北を向いた。
稜線に小さく見える砂煙が、右に流れたようだった。




