助太刀の介象
先頭で麾下を率いて疾駈する蘇飛が、陳生の姿を捉えた。
「相手は民草の群れだ。命は獲るな! 陳生だけを捕らえる!」
蘇飛が麾下に下知したのと同時に、陳生も蘇飛の姿を捉えていた。
「これは、まずいですね……」
危急を察知した陳生は、辺りの兵に声を張った。
「蘇飛だ! 蘇飛を殺れ!」
江夏衆の歩兵が、挙って蘇飛の一団に蝟集する。
それを見て取った陳生は、奮戦している張虎に向かって逃げるように馬を駈けさせた。
緑の弓兵を蹂躙した鄧龍が、騎馬を翻して陳就の援護に向かおうとしている。
突破――。
蝟集した兵の群れを割るように、一騎だけ突破した蘇飛が陳生に追い迫った。
「チッ」
舌打ちした陳生が、右の袖を捲り上げると、腕には小型の弩が備え付けられていた。見たこともないほど矢が短い。
陳生は右腕を突き出し、接近する蘇飛に狙いを定めると短矢を放った。
バシュッ――。
「――――⁉」
その凶矢が左肩に突き立った蘇飛は、摚っと勢いよく落馬した。
「そ、蘇飛さま――⁉」
異変を察知した鄧龍と陳就の動きが、一瞬止まった。
白面に冷徹な笑みを浮かせた陳生は、その間にも張虎の方へ駒を駈っていた。
落馬した蘇飛を防護するように、蘇飛の麾下がすぐさま方円の陣を組んだ。
陳就は、急ぎ蘇飛の許へ駈け付けようとしたが、張虎ひとりに掛かりっきりだった。
鄧龍も蘇飛と陳就の間で判断が揺れている。馬脚は止まり、息を吹き返した弓兵の餌食になろうとしていた。
「蘇飛も大したことねえなあ」
薄ら笑いを浮かべた甘寧に、介象が白い眼を向けた。
「困憊の者を見れば、黙っていられない性質ではなかったのか?」
すると、介象は五花の馬腹を蹴って、方円の陣に向かって旋風の如く丘を駈け下っていったのである。
「か、介象さま――⁉」
眼を剥いたのは胡綜だけではなかった。
「あ、あんた、一体……」
甘寧は沈思すると、意を決したように駒を駈った。向かったのは、弓兵と対峙している鄧龍の方だった。
「お主はどうするんじゃ、胡綜?」
胡綜の頭上で、被り物の元緒が言った。
「い、行きますとも!」
臍を固めたように、胡綜も栗毛の馬腹を蹴った。
気付いたのは、方円の陣を組んでいた蘇飛の兵だった。
「な、何だあれは――⁉」
黒い獣のような一騎が駈け寄って来る。すると、大音声が木魂した。
「我、方士介象なり! 蘇飛軍戦況不利と見た! 縁はないが助太刀致す!」
「――――⁉」
両軍の兵は、魔神のように出現した介象に眼を奪われた。
「主将の命は、この介象が一時預かる!」
よく通る声音で言った介象に、方円の陣が開くように道を開けた。
中央で横たわった蘇飛が手当されているところだった。意識はある。
「だ、誰だ……?」
「旅の方士、介象」
介象は蘇飛を担ぎ上げると、五花の背に乗せ、自身も馬上の人となった。
「方円を解き、江夏衆を追い散らせよ!」
呆然としていた蘇飛の兵らは、介象の下知で体が動いたようだった。
その場から離れるように、蘇飛を背後にした介象が戦場を駈け出していた。
鄧龍の元に駈け付けたのは、甘寧だった。
「お、お前は、錦帆の――⁉」
唖然としたのは、鄧龍も同じだった。
「蘇飛は多分心配ねえ。ここは引き受けた。お前さんは、あっちの張虎を殺ってこい」
甘寧は、二本の短戟を背から取り出すと、駒から天高く跳ね宙を旋回して着地した。
「忝い! 五十騎残していく」
「いらねえ。邪魔だから連れてけ」
「…………‼」
苦虫を噛み締めたような鄧龍は、麾下の百騎と共に陳就の許へ馬首を翻した。
身を屈めた甘寧は、鎌のような短戟を左右に持っている。
「か、甘寧――⁉」
「な、何で錦帆がここにいんだよ⁉」
突如として現れた甘寧の猛姿に、江夏衆の弓兵は怯んだ。
「容赦する気はねえぞ」
皮肉な笑みを口辺に刷くと、くわっと環眼を見張った甘寧は、弓兵の群れに踊り込んだ。
刹那――。
腕が飛び、首が飛び、その場には瞬く間に血の虹が描かれた。
甘寧は蘇芳を浴びたように血塗れである。
恐れを成した江夏衆の弓兵らは、野鼠の如く四散した。
「傷は深くない。矢に毒も塗られていなかったようだが、しばらく手綱は握れまい」
介象は戦場を迂回するように駈け、戦況を分析しながら背後の蘇飛に言った。
「……何故、助ける?」
血色の悪い蘇飛が尋ねた。
「良将の器を見殺しにしたくない」
「…………」
「こちらに殺意がなかろうとも、相手にはお主を討つ意気がある」
「…………」
「奴らは武装している。民の反乱とは訳が違う」
「…………!」
「優しさが必要なのは、乱世の先だ」
「…………‼」
蘇飛の瞳に、再び胸中の炬火が灯ったようだった。
「陳就隊は張虎から離脱、江夏衆の歩兵を蹴散らせ! 鄧龍隊は張虎と騎馬兵を討て!」
蘇飛は介象の背後から、戦場に響き渡るほどの音量で下知を飛ばした。
「すまぬが介象どの、陳生を追ってくれぬか?」
「陳生?」
「江夏衆の頭目のひとり。俺に短矢を放った奴だ」
介象は荒野の戦場を見渡した。
単騎で張虎の許へ馳せている。
それを追うような形で、鄧龍隊の百騎が駈けていた。
「承知」
介象は五花の馬首を巡らせ、陳生を追った。
「逃げるのか、陳就?」
全身に斬り傷を負った張虎が吠えた。
陳就は、張虎から離脱するように駒を翻した。
「蘇飛さまの指示だ。お前の相手はもう俺ではない」
「誰が相手でも同じだ! この長槍で屠るまで!」
「蘇飛さまは『討て』と命じられた。お前は既に死地にいるぞ、張虎」
「あん?」
殺気だった。
ガギイイン――。
「――――⁉」
張虎は振り返ると同時に、截頭の薙刀、その鋭利な一閃を長槍の柄で間一髪捌いた。
「俺が相手だ。天に帰るときが来たぞ、張虎!」
「こ、この小童がぁ!」
張虎は、突如として湧いた恐怖を払拭するように、無闇矢鱈に長槍を振り回した。
鄧龍は冴えた眼差しで長槍の凶刃を弾き捌くと、必殺の一閃を狙った。