江夏衆と蘇飛の軍
結髪の後ろに、濃緑の巾を掛けている。
甲冑に身を包んだ緑の軍は、その数およそ一千。軍と呼ぶには相応しくない、どこか粗暴な一団だった。騎馬兵百、歩兵七百、弓兵二百余りの陣容だった。
その緑の軍を総べるのは、七尺を越えた巨軀を鎧で包み、上から纏った濃緑の戦袍を肩脱いでは、馬上で軽々と長槍を振り回している。
そして、もうひとり、冷酷非情な薄ら笑いを白面に浮かべ、甲冑で包んだ痩身に長い濃緑の戦袍を羽織っている。戦場を洞察するように馬上から頭を立てていた。
「全然手応えがねえ。このまま一気にやっちまっていいか、陳生に聞いてこい!」
相手を威圧するように長槍を振り回しては、烱々とした双眼に口髭を蓄えた粗野な巨軀が、近くの供を走らせていた。
一方、緑の軍に応戦していたのは、わずか三百ほどの騎馬軍だった。
朱の魚鱗甲に身を包んだ軽騎の一軍は、餓狼が鼠の群れへ襲い掛かるように殺到する緑の軍に、防戦を強いられているように見える。
しかし、あえて騎馬軍の長所を捨て、一塊となって防御の戦を選んでいるようでもあり、どこか統率は執れている。加えて、揃いの武具の出で立ちが、官軍を彷彿とさせた。
「蘇飛さま、私の麾下百騎は呼吸が整いつつあります。いつでも行けます」
蘇飛と呼ばれたその将は、何かを待つように戦況を見守っていた。
齢三十に達したか否かであろう蘇飛は、血気盛んな武将ではなかったが、智的と言えば額は広い。それを朱色の布で鉢巻いている。極めて平凡な風貌の持ち主で、一見、ただの村夫子が魚鱗甲を纏っているようにしか受け取れなかった。
しかし、鏡のような瞳の中に、胸中の炬火が静かに燃えている。
「今、八方の前衛を陳就の部隊が捌いているが、それも限界に近い。だが、江夏衆も痺れを切らす頃だ。もう暫く待機だ、鄧龍」
おっとりとした声音で蘇飛が言った。
「はっ」
三百の騎馬軍の将、蘇飛は、常に鄧龍と陳就という副官を伴っていた。
鄧龍は截頭の薙刀の手練だった。朱色の短い布を羽織り、胸元で結んでいる。
陳就の得物は、一丈余の長く太い豪槍だった。鄧龍と同じように、朱色の短い布を纏い、胸元で結んでいた。
いずれも武芸の修練を積んだ、次代を期待される若武者だった。
「どうした張虎? それで終わりか? ならば此方から行くぞ!」
長槍を振り回す巨軀に向かい、前衛の陳就が、頭上で豪槍を旋回させて挑発した。
「ああん⁉ 陳就だな? 前へ出やがれ‼」
双眼を見開いた張虎が、単騎で挑もうと兵の垣根を掻き分けたときだった。
「ほっほ。相変わらず張虎さんも単純ですねえ。蘇飛軍は我らを追って長駈してきたばかり。更に体力を削って、一挙に屠るのが手っ取り早いものを」
張虎の伝言を受け取った陳生は、後方から弓隊に合図を出していた。
乱戦から緑の軍の弓兵二百が抜け出て距離を取った。
「やってるやってる」
嬉々として言ったのは、丘の上に到着した甘寧だった。
後続して、介象と胡綜も到着すると、眼下の戦況に注視した。
「どこの軍だ?」
言った介象に、甘寧は鼻で笑った。
「軍に見えるかい? 頭に濃緑の巾を付けているのが、張虎と陳生を頭目とする江夏衆だ」
「江夏衆……?」
「荊州の江夏郡を中心に、宗賊が軍の真似事をした成れの果てだ。やってることは賊徒と変わらねえ」
宗賊とは、土地の有力者が一族を集め、里単位で横行する集団のことである。勢いが盛んな宗賊との争いに敗れると一族で傘下に入り、瞬く間に膨れ上がった勢力を軍に見立てたのが江夏衆だった。
「もう一方は?」
聞いた介象に、太々しい笑みを浮かべた甘寧が応じた。
「ありゃあ、官軍と言いたいところだが、荊州牧(長官)劉表の部将、蘇飛の軍だ」
「知っているのか?」
甘寧は、蘇飛軍の動向に眼を遣りながら返した。
「まあな。頭は固いが、悪い奴じゃねえ。劉表の配下では、真っ当な方さ」
江夏衆の弓兵二百が、乱戦から抜け出て距離を取っていた。
そのときだった。
佩剣を抜いたのは、蘇飛だった。
「鄧龍の百騎は、神速で弓兵を叩け! その後反転し、陳就を援護せよ!」
「承知!」
「蘇飛隊は我に続け! 奥に陣取る陳生を叩く!」
蘇飛は剣を掲げると馬腹を蹴った。
すると、一塊だった蘇飛軍から二隊が割って出た。
「動いた!」
丘の上で叫んだ胡綜は、固唾を飲んで戦況を見遣った。
鄧龍の率いた百騎は、火矢の如く江夏衆の弓兵を貫くと、瞬く間に蹂躙していた。
「流石は蘇飛さま! ほど良い頃合!」
張虎に応戦しながら、陳就は疲労の見える顔に微笑を浮かべた。
「何事じゃ⁉」
事態の変化に気付いた張虎は、長槍での攻撃を止め辺りを見渡した。
豪槍の一閃が張虎の頭上から降ってくる。
はっとした張虎は、長槍を横倒して陳就の一撃を防いだ。
「余所見している場合ではないだろう」
対峙する陳就が、張虎を睨みつけた。
「――――⁉」
陳就の一撃を跳ね除けると、張虎は長槍を頭上で旋回させた。
「舐めるなよ、小僧!」
張虎は眼を爛と輝かせ、剛の一撃を陳就に浴びせようと長槍を振り被った。
蘇飛は疾駈しながら鉾矢の陣を敷いた。兵の塊を突破するのに威力のある陣形だった。速さに勢いを付けるように、迂回しながら陳生を探した。
「あそこか……」