地獄の具現
黒ノ宮邸の地下に存在する〝閉鎖棟〟は、文字通り何重ものセキュリティによって侵入を防いでいる。地中を掘削して作られ、その外壁もまた数十の層からなるため外部からの破壊工作はたとえ核兵器であろうと意味をなさない。
本土に帰還した大蛇は宰相府での仕事を済ませた後、足早にこの〝閉鎖棟〟へと足を運んだ。天野稚彦の身柄はそこに置かれているからである。
勾留所に足を運ぶ道すがら、数日前に花を手向けた巨大な空洞のある最深部への入り口を一瞥した。
――流石は〝魔の者〟だな。
まだまだ最下層までには距離があるのにそこから放たれる異臭と威圧感は尋常ではなかった。
――放出する魔力量が多すぎる。自己認識が周辺の空間を書き換えている……もうそろそろ限界も近づいてるか……。
最深部は――大蛇自身正確な距離は忘れてしまったが――地下十数キロにも及ぶらしく、近しい深さまで掘削したシベリア付近で『地獄の門』が発見されたという。掘削機を溶かすほどの灼熱とやまない阿鼻叫喚は、掘削プロジェクトに参加した全ての者に恐怖と絶望を刻み、計画を中止まで追い込んだ……。
<七竜星>の一人が実際に『地獄の門』を見たらしいが、詳細な報告はまだ受けておらず、そういった意味でも早く彼らが帰還し世界各地で目にした事象を彼ら自身の言葉で聞いてみたい、と好奇心に駆られていた。
何気ない事を考えているうちにその〝独房〟へと辿り着いた。
男一人を拘束し、閉じ込めておくにはあまりにも広すぎる場所だった。
それはここに監禁された男の感想であった。「俺一人に随分と場所を取ってくれるもんだな、小僧」
「そうでもないさ」大蛇はすかさず否定し、続けた。「これから〝狩り〟でもやろうかと思っててね、大漁になるだろうから、一年ぶりにここを使おうかと思って」
「随分と内壁が色鮮やかなもんだな、掃除くらいすべきだろうに」
天野は真後ろの壁を振り返る。赤黒いなにかがべったりと塗りたくられている。だがそれは一面に、というわけではない。所々飛び散った拍子に付着している場所もある。
「別に一時的な保管場所だ、綺麗にしたところで意味がないんじゃないかと思うんだが?」
「違いないな。……それで、ロシアと日本、どちらも裏切った賊であるこの俺を、帝国宰相殿はどういった処遇を下されるのかな?」
「それが迷うんだよ。ここで殺しても、殺さなくても、俺にとっては至極どうでもいいことだし、何だったら自殺でもするか?」
「どうでもいい、か――この俺が? お前の連れの女を、九条美雪の情報をロシアに売ったのは俺なのにか?」
「お前のような三流殺しても意味がないんだよ。美雪の仇はあの槍の男……そうだ、アレに関する情報を何か吐けば、お前の望みを少し叶えてもいい」
「いいや、悪いがそれはできない」
「何故だ? 悪くない条件ではあるとは思うが、まさか情でも湧いたか? 友情でも芽生えたかね?」
「違う、単純に俺には何も知らされてはいなかっただけだ。九条美雪の情報を――すっかり黒ノ宮の小僧に飼いならされてるって報告した後は、『あとはこちらで策を練る』って言って切り捨てられたしな」
やっぱりな、と溜息交じりに大蛇は言った。「結局そんなもんだよな。簡単に見つかったらそれこそ拍子抜けもいいところだ。オリヴィアにたった一撃で手下もろとも打ち倒される誰かのように……」
ふん、と天野は鼻を鳴らした。「お前、何かと女をとっかえひっかえする癖があるようだな。つい五、六年くらい前はあんな金髪の女を連れ回しちゃいなかったろ」
「……あの売女のことか?」
「そうそう。名前なんだったか、もう思い出せないが――お前に殺されるって最後に電話が来た時はすごかったな。悲鳴と嗚咽の入り混じったすごい絶叫だったよ」
「そりゃそうだ、誰にでも股を開くような尻軽女に生きている価値なんてないさ」
「過激だな。〝あの女〟は二ンフォマニアだったのかもしれないのにか?」
「どっちにしろ異常者だろう? 殺されたって文句は言えまい、あんな下品で低俗な欠陥品は……」
「そんな物言いをしてよくあの金髪娘に嫌われないものだ」
「まだ打ち明けていないしな、そこら辺の事情は」
「ほう、天下の黒ノ宮様が女一人にビビってるのか。いやはやコイツは滑稽だね」
この時、天野は若干焦り始めていた。
――この小僧、たった八年で精神的にかなり強固で頑丈になっている。俺がいくら煽っても手一つ出してこない。……それどころか全く怒りもしない。不気味過ぎる……。
「確かに滑稽の極みだ。だが、〝あの女〟の時とは違って、オリヴィア相手だとどうも懐かしく感じられてな。一度話し出したら止まらなくなりそうで、つい時間が押してしまいそうでな」
意を決して天野は訊いた。「……なあ、坊主」
「どうした、今更懺悔でもするつもりか?」
「いや、そうじゃないさ。別にこの命がどうなろうと構わないが、一つ訊きたい。――お前は一体何になった?」
「何になった、とは?」オウム返しで訊き返す大蛇。
「今のお前は、あの時のような必死さがない。余裕のある表情ばっかり浮かべて、ただただ戦いに身を投じるモノになっちまった。このまま九条美雪を死に追いやり、その死を嗤った連中も皆殺しにするつもりか?」
目の前の男は乾いた笑い声をあげ、真剣で、それでいて段々と怯え始めた、自身の表情とは全く逆の感情の色を湛えた天野に応えた。
「まだ足りないな、それだけだと」
「――あのお嬢さんか!」
「そうだとも。きっとお前以外にもこの国には内通者がいる。今度はオリヴィアが狙われるだろう。彼女は強い。俺でもどれほど打ち込めばあの〝鉄壁〟を崩せるかは知らんが、そう簡単には死なない。――とはいえ、俺としてはアイツに手を出されるのは少々気に入らなくてね、芽は早いうちに摘んでしまった方がいい。どうする、ここから外に出て、お仲間にこう言ってもいいぞ?――最強の矛と盾が攻めてくる、って」
「そんなことを言っているからあのガキを殺されたんだろうに、少しも学ばないようだな」
「学んでいないのはお前たちの方だよ。こっちはいつ、どこから、どう攻められても対応できるように準備は整っている」
「……戦争が起きても、か? どれほどいるかもわからない敵に対して――仮に世界を敵に回そうとも?」
「上等だよ。たとえ相手が世界でも、何も変わらない」
「お前が顔色一つ変えない理由が分かった。――お前、人を捨てたな。人間性を切り捨てて、女と闘いを求めるだけの化け物になり果てたんだな」
「人間でいることに固執する方が莫迦なんだよ。生命なんてものはただの欠陥品に過ぎない。そんな弱さに甘え、人間性だの語られても困る。それに、訂正するなら――あえて自分で例えるならば――俺はオリヴィアを守るただの暴力装置だよ」
「オリヴィア・ミラ・ウィンドセアリスに何故そこまでこだわる、あの女に何を感じていた!?」
「その回転の速い脳みそで考えればすぐに答えは出るだろう。――また来る、久々に昔の俺を知る人間と話ができて少しは楽しめたよ」
大蛇の態度に、囚人を……ましてや自身の仇の一人と会話をしているという雰囲気は一切なかった。
「どこへ行く」
「オリヴィアと予定が入っているんだよ、一手手合わせ願ったんだ。――そうそう、外に何人か待機させているが、俺がこの部屋を後にしたら彼らに新しい収容先へ連行してもらう。ここよりも更に鮮やかなモノが見られるだろう、楽しみにな」
そう言って、彼は肩にかけた羽織を靡かせて優雅に歩いて去って行った。それと入れ替わるようにして、彼の言葉通り銃を持った男たちが続々と入室してくる。彼らに促され、背中に銃口を密着させられながら歩いて向かった先には――、
「なんだよ……これ……あの男、やっぱりとっくにイカれちまってたみただな」
天野の胃袋からこみ上げてきたのは何も吐瀉物だけではなかった。
――あそこまで煽っておいて傷ひとつつけられなかったのは何かの奇跡か……。
そう思っていた道中がまるで嘘のように感ぜられた。目の前に広がる凄惨な現実を目の当たりにして、地獄の存在を天野は強制的に信じざるをえなかった。
心の中で彼は仲間に届かない祈りを呟いた。逃げろ、と。俺たちはとんでもない怪物を敵に回してしまったんだ、と……。
おれたちは、えさになるんだ――。
テンプレ主人公なんてヤダ!!って癇癪起こしてたら多分行くところまで行くのでしょう




